<さだまさし(第三回:帰去来):私的日本フォーク列伝第二章(Part2)> | 懐かしエッセイ 輝ける時代たち(シーズンズ)

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懐かしい’60s’70s’80s
ひときわ輝いていたあの時代の思い出のエッセイ集です。
毎週土曜日更新予定です。

今日は。
 
 先日、「レッキング・クルー」の中核をなしたドラムのハル・ブレインが亡くなりました。
彼のドラムを愛したポール・サイモンや山下達郎はさぞ、悲しんでいることと察します。
ご冥福をお祈りします。

さて今回は、少し間ががあきましたが、さだまさしの第二回「詩と詞にに続き、第三回をお届けします。

 
<さだまさし 第三回:
               『帰去来』>
 
 では、さだまさしの「三部作」を詩中心に考えてみましょう。
まずは、ファースト ソロアルバム 『帰去来』。
このアルバムは1976年11月に発売されました。
アルバムジャケットには、日傘を持つ婦人と照れながら話をするさだ まさし
 
 さだ まさしと向かい合うきっかけとなったのは、おそらくラジオから流れる『線香花火』だったと思います。
(FMラジオから流れる曲を聴いて、新たな曲に触れることがこの頃は特に多かったですね。
でも、この頃は、FM曲はNHKとFM東京(現:東京FM)の2曲だったと思いますが。)

最近までこのギターを弾いているのはさだ 本人だとばかり思っていたのですが、実はそうではなく、笛吹利明(一部 吉川忠英吉田正美)でした。
今回実家に眠っていたレコードを取り出し、あぜんとしました。
そこからこのアルバム『帰去来』に興味を持ち、買ってしまいました。
 
<ソロアルバム 「帰去来」>
アルバムタイトルは、陶淵明の詩から取ったのだろうか?
帰る、去る、又来るという言葉から、さだがこのタイトルにしたと何かで読んだ気がする。

帰る、去る、又来るという意味で、帰去来が全編の詩に満ちています。  
このアルバムで、まず飛び込んだのが、『多情仏心』
 
<SIDEA>
〇多情仏心

 

 

2番の詩の連からなるこの作品に「ほーっ!」と。
サイモンとガーファンクル(S&G)のアルバム『ブックエンド』ではないのですが、最初と最後にこの曲がテーマとしてでしょうか、位置づけされていました。
アルバム発表時にはなかったと思いますが、最近タイトルの横に「オーバーチュア(序曲)」という言葉が追加されているのに気づきました。
そして対をなす最後の「多情仏心」に「エンディング」が加えられています。
 
 当時、ある県の男子寮に親友が住んでいました。
 ある時、彼のところに泊まりに行き、寮の風呂で彼の一年先輩に呼び止められました。
「 『多情仏心』は二番までしかないけど、三番を考えている」と。
 僕はとっさに答えました。
 「それはできない。」
 なぜなら、歌詞の一番は横風に追われ竹トンボが後ろ向きに落ちる姿で「自分の心変わり」を、二番で秋風に追われてはじけたシャボン玉で「相手の心変わり」を描いているから、三番はないんだと。
 「多情仏心」は自分の心変わり、相手の心変わりをテーマにしている、とそんなことを当時感じました。
  あれから40年すぎ、還暦を迎えた僕は、少し大人になったようです。
 一番で、恋人たちが横恋慕に会い、乗るべき風に抗えなくなり落ちる姿を、二番で、知らないうちに自分たちが、シャボン玉の似合う夏から秋といる違う環境に追いやられ破綻する姿をあらわしている。
 つまり、一番は、恋人たちに外から影響を与える横恋慕、二番は恋人たちの関係がの変化からの恋の破局だと考えるようになりました。
 
 この一番、二番の切り口から見るとこのアルバムで続くさだの曲(詩)はどうなるのでしょうか?
 
○線香花火

 

 

 


先ほどかきましたように、このアルバムを聴くきっかけになった曲です。
 僕は、このギターのスリーフィンガーにまずやられてしまいました。
 線香花火がパチパチ跳ねる様子が、このギターは良く表していると思いませんか。
 このアルバムからのシングルカットされた『線香花火』がリリースされたのは、アルバムと同じ、なんと11月。
 その後さだのコメントで知ったのですが、本来夏のイメージの線香花火を秋に発売したことを、反省していました。
 
 まだ、恋人たちの行く末はわからない恋ですね。
 男性目線で書かれています。
 
 流れ星が落ちてくるお盆の夜。
 君はそれに願いを架ける
 どこかに出ていく主人公が帰るのを待つ彼女。
 夜空にはカシオペア・白鳥座。
 

 蛍が「君の」浴衣の唐草模様を信じている。
 薬指からするりと逃げる蛍に主人公は何を感じたのか
 その未来を暗示するかのように、「君の線香花火を持つ手が震え、火玉が落ちる。」
 この作品は二番目の二人の関係が変わったことによる別れへの序章でしょうか。
 
○異邦人

 

 

 

 

 

 
 こちらは既に終わった恋の話。
 嘗ての恋人との思いでのつまったアルバムを取りに行く女性。
 そこで見る現実。

 これもカミュの小説「異邦人」からタイトルを取ったのだろうか?
 40年以上、調べていない。
 
 かつて過ごしたアパルトメント(異邦人に合わせて、フランス語にしているのでしょう)の部屋を、愛をの終わりを確かめるために、訪れる。
 新しい彼女といる彼を目のあたりにする。
 新しい彼女の出現により、自分がエトランゼ(異邦人)となる。
 つまり、一番目の横恋慕。
 実はこのライブは、レコードにあった間奏部の「ナレーション」を使っていない。
 <ナレーション>
 意地を張るのにウソをついて 
 嘘を隠すために又ウソをつく
 例えば、ごめんさいが素直にを言えたら
 こんな遠回りしなくてすんだろうか
 
 このナレーションがあるとシチュエーションが変わってしまう。
 二人の関係の変化から最初にこの部屋を出て行った。
 実は、二番が最初だった。
 
 
 曲的には、エレクトリック・ギター、ハーモニカがメインで、ポール・サイモン『ナイトゲーム』の雰囲気を感じざるを得ません。
 
 『帰去来」は(1976年発表だから、75年発表のポール・サイモンの名作『時の流れに』のアルバムに収められるこの『ナイトゲーム』をじっくり聞いていたはずです。
 
〇冗句(ジョーク)
  

 

 

 


 まだまだ恋が成就していない、これから恋が始まる状況の初々しい状況。
 これは、一番にも二番にも属さないと思います。、
 そういう意味では、この曲を『多情仏心 オーバーチュア(序曲)』の直後に置く方が、よかったのではないでしょうか?

〇第三病棟

 

 

 


  おもちゃのピアノのイントロで始まるこの曲は、入院している主人公(さだでしょうか)の前の部屋の子供の話です。
 主人公の彼女でしょうか、ナースがでてきます。
 梅雨明けの空に飛び立つ紙飛行機が、子供の夭折を暗示しています。
 
〇夕凪
    

 

 

 

 
 さだではなく、このアルバムのプロデューサーだった 渡辺俊幸の曲。
 やはりサウンドのテーストが少し違う。
 この詩は、彼女との思い出を語る詩で、ウミネコが彼女の思い出を象徴しています。

 海岸で思い出浸る主人公。
 来る次の夏の姿が、僕に見えないものが、彼女には見えた。
 赤い夕陽が、彼女の涙に沈む。
 
 彼女の心変わりによる別れですから二番のテーマですね。
 
 後半のベースが印象的です。
 
<SIDE B>
○童話作家

 

 

 


  「私が童話作家になろうと思ったのは
  あたなにさよならを 言われた日」
 恋人はなぜ、さよならをいわれたのでしょうか?
 彼氏に新しい彼女ができたから?
 それとも、心変わりしたから?
 ここでは一番か二番かの答えは、風の中?
 
 童話の中にあるのかもしれません。
 
○転宅

 

 

 

「人生は潮の満ち引き
 来たかと思えば また逃げていく
 なくしたかと思えばまた
 いつの間にか戻る」
 このアルバムのテーマ「多情仏心」からは、一見離れているように見えます。
 
 
○絵はがき坂

 

 

 

 
 さよならを言ったのは彼女の方から。
 
 「ひとりでいきていけるほど お互い大人じゃないし
  それにしてもあなたの時計 ああ 進み過ぎました」
 「あたたの横顔越しに シャボン玉がいっせいに
  弾けた気がしたのは ああ紫陽花 ですか」
  主人公は彼女の時の進み具合に追いつきません。
  弾けたシャボン玉が象徴するように、二番の心変わりのテーマなのでしょう
 
〇指定券
  

 

 

 


  やはり野に置け れんげそう」
 これも、大都会に住む主人公と地方が似合う彼女の別れ。
  やはり、二番の恋人たちの間からの別れ。
 
〇胡桃の日
 

 

 

 

 

 「きみのしらない僕と 僕の知らない君が
  カラカラと音立てて 転げ回っているじゃない」
 

 「僕は何をしようとしていた
  まるで胡桃を素手で 割ろうとしている様で
  驚いて振り向いた 君の目が哀しい」
 
 唯一、テーマ1の横恋慕の別れの歌ではないでしょうか?
 別れに、男性は胡桃を割ろうとする仕草で、今までの別れの物語にはない、一種の怒りをあらわしているのでしょうか?
 それが、曲の最後に二人を切り裂く、「シャキーン」という効果音が表しているようです。
  
〇多情仏心(エンディング)
 いままで見てきた、「恋」の物語を総括するように、再びこの曲に戻ります。
 さだは、ここで10の物語を総括しています。
 さて、冒頭であげた、この10曲は、外からの破局と中からの破局のどちらかだったのかと問いかけけているようです。
 
 僕が考えるに、シャボン玉が割れる恋がほとんどでした。
 ただ、シャボン玉が割れる原因に、横風が影響する場合もありましたね。
 
 恋ですから、この二つのテーマできっぱりは分けられないですね。
 第三者がはいってくることで、恋人たちの心変わりに続きこともありますね。
 
 その中で、『第三病棟』と『転宅』が「多情仏心」の二つのテーマから考えると収まりが悪いのです。
 そこで、アルバムタイトルの『帰去来』をもう一度考えます。
 2曲とも、帰る、去るまた来るという意味では収まります。
 恋をテーマにした「多情仏心」が中心ですがが、恋の上の段階でしょうか、「愛」のテーマがこのアルバム全体に流れている。
 そういえば、「多情仏心」も「あなたとの『恋』」ではなく、「あなたの『愛』」と歌っていました。
 
<僕的1976年>
 この頃僕は、大学二年生で、大学生活と恋が進行中でした。
 洋楽ではスティービィー・ ワンダーの全盛期。
 解散してしまいまいしたが、まだまだビートルズやサイモン&ガーファンクルが人気があった時代でした。

 そんな中、今まで洋楽中心だった僕は、初めてさだまさしという邦楽の曲に心を奪われていました。
 
 『童話作家』や『絵はがき坂』でさだが語るように、初めて親元を離れ、「一人で生きていけるほど お互い大人じゃないし」が心に響いた年頃だったのかと思います。
 
 邦楽ではこの頃、大瀧詠一ナイアガラ レーベルが立ち上がり、『NGAIARA TRIANGLE Vol.1』がそこそこヒットしていましたが、この頃は全然気づかぬ存在でした。