この世界は… | Petit Petit Happy Search(ぷちプチしあわせさがし)

Petit Petit Happy Search(ぷちプチしあわせさがし)

たけにむが求めていくぷちプチしあわせさがしの旅。ぷちプチしあわせも積もれば山となる。

世の中が自分を中心として回っていると信じ、自分だけを中心とした生活をすれば、失望ばかりを味わうだけです。
世界に対抗して闘うのが「私」ならば、私はいつでも犠牲者になり、闘いに敗れるでしょう。
私は、私以外の者たちより、明らかに数的に不利です。
もし自分をほかの人から区分し分離主義者になれば、自分を保護するために、私は漸進的に、しかしはっきりと自らを孤立させるようになります。
内面の深い所から、外にいる彼らに負けるということを知っているので、自分と利己的自我を守るために、より多くの壁と、防御と保護のバリアーを張らなければならないからです。

そうなれば、ほかの人たちが自分よりも偉大で、もっと大きく、もっと豊かに見え、彼らがもっているものに対して貪欲さを感じるようになります。
彼らがもっているものを奪いたいと思い、そのあとに初めて心の安定を得て喜びを感じます。
しかし、もっと豊かだったり、もっと成功したり、自分より幸福に見える別の人たちを見れば、また嫉妬し、怒り、憎しみを育てます。
「どうして彼らがそのように幸福になれるのか。
私がこのように苦労し、熾烈な人生を生きているこの世の中で、彼らは、あまりにも簡単に生きているではないか」と言います。
私はもっとたくさんのものを願い、それでしばらくの間は豊かになり、すぐに消えてしまう喜びを享受することもできます。
しかし、それは、ただ人々に見せる自尊心と優越感にすぎません。
少しの喜びはすぐに消え、私は、不幸な心で一人残り、再び自分がもっているものを人のものと比較して、現在の状況に対して世の中を恨むのです。
(文亨進著「天和堂 心身統一と家庭和合の修練」82~83ページ
6 心身統一の理由(一)「神様と世界と私の連結」より)


自分が食べているものよりも、人のものの方がおいしそうに見える…
そんな単純なものではないか…

人の持っているものが、自分のものよりはるかに優れている…
そう思えば思うほど、その人のことを憎んだりしてしまいますが、
そこに和合や平和は存在しません。

今の世の中がそんな感じがします。
共通点よりも相違点を見つけて相手をチクチクつついてみたり、
自己中心的になって人のことを陥れたり、
そこから抜け出していくところから平和な世界が築かれていくのかなと思います。

嫉妬、怒り、憎しみはサタンの持ち物です。
神様はどこまでも愛の方なので、そのようなものは持っていません。
神様がご自身の似姿として創造した私たちが、本来あるべき姿に目覚め、
この世界を本来あるべき姿に変えていかなければなりません。

クリックお願いします
にほんブログ村 その他日記ブログ 気ままへ
にほんブログ村