今期の福祉事業がほとんど進められない状態の日々ですが、、

 

 

私がやってきたこと、やっていることは一般的な福祉とは流れがちがうので、約8年のこの経験が誰かのヒントや良いまちづくりのきっかけになれたらうれしいので有料記事ということで公では書けない本音とドキュメントに基づいて書いていけたらと思います。

 

 

コロナ禍もあり、他の収入も考えていかないと地域の居場所として浸透しつつある今、まちの居場所「たいよう」をなくすわけにはいかないので活動支援と思って読んでいただけても助かるのでよろしくお願いします。

 

(各事業のHPはプロフィール欄にそれぞれのリンクがありますので参考にどうぞ)

 

 

 

序章

 

平成24年、長男が1歳になる直前に夫の急死がありました。ここを書かずしては始まらないので書きます。

 

 

 

ただでさえ小学生低学年、幼稚園生、0歳児を育てる専業主婦でしたのでもうその時は怒涛の毎日過ぎて記憶があまりありません、、、

(寝顔がかわいかった頃  あ 今もかわいいですけどね^^)

 

 

他県出身の夫でしたので私を助けるために、県外から父が来て数か月一緒に暮らしていました。覚えているのは人が亡くなるということは3か月ほどなんだかんだと書類関係に時間がかかるのだということです。

 

 

 

ただ不思議なものでこれに耐えられるかのように私が冠婚葬祭業の仕事に携わっていたこと、家政科関係の学校や仕事がとても助かっていたし、周りの方にもとても良くしてもらったことは後の活動に繋がっていくことになります。

 

 

 

そんな日々から3番目の保育園入所が決まり、やっと時間をとってゆっくり考える時間ができるようになりました。実家は飲食店でしたのでそこを手伝いつつではありましたが、人がいつ死ぬのなんかわからないのだから、どうせなら家族を大事にしながらやりたいことをやっていこうと改めて決心しました。

 

 

 

 

今までパソコンを使うようなことはなかったのですが、HP作成やブログなど飲食店の宣伝のために自分で行うようになり、ブログを書き始めたことは結果的に勉強になりましたし、今でもSNS関係は自分で行います。また勉強中だったセラピスト業も並行しながら少しずつ行うようになり、そんな日々が1年過ぎたころ

 

 

なんだかおかしい 子どもが大事、子育て支援が大事というわりには母親支援て実は少ないのでは?

そもそもリアルに子育てしている母親の声が届いてないよね?と

 

 

 

男女平等とはいえまだまだ女性が子育てするのが当たり前の時代だし、どうして子供を産む前にこんなに自分の時間が無くなることが大変だと教えてくれなかったの! トイレすらひとりで行けない、洋服もよだれや食べこぼしがついているのなんて日常だし、あー友達とスタバに行きたい!大人としゃべりたい!

 

 

 

実際に母親になって初めて知ったこと、赤ちゃんはかわいいだけでなく、うんちもおしっこも、泣いて寝ないなど人が寝たいときに寝れないということがどんなにストレスになるか、初めての熱や咳などドキドキして心配になるし、そんな日々なのに夫は仕事や飲み会でほぼいない 自由に過ごせる夫に嫉妬や恨みすら生まれる子育て、身をもって知りました。

 

 

 

またセラピストとして相談を受けるうちに、悩みの大元がかなり幼少期の環境や親子関係からきているものが多いのだなと実感したこともあります。

 

 

 

子ども 子ども よりも子育てする母親がニコニコ楽しく子育てできる環境であればこんなことにならないのでは?と そして私自身もどんなに子育て本を読もうと、夫が子供を見てくれる間に一人でお茶したり、友達とランチに行けることのほうがとても心に良い影響を与えていたよね、という実体験もあります。

 

 

 

あんなに一人になりたかったのに、子どもと離れてしまうと泣いていないかな?とか気になったりして、それでも楽しい時間を過ごして家に帰り、子どもの顔を見たらかわいくてたまらなくて、また子育てがんばろうと素直に思えたものです。

 

 

 

そんな時に勉強になるよと東京の研修に誘ってもらい、参加した2泊3日!そこで気づいたのが私がセラピストをしたいのは幸せな生き方を皆に知ってほしいし、その根源である子どもを育てる「母親の支援をしたい」という想いでした。

 

 

 

すると神様からのお知らせか偶然目にしたチラシ

「どなたでもいいので子育て支援に興味ありませんか?」と。すぐに電話して地域事務所内にある中央東まちづくり推進委員会の事務局員Kさんと面談して、私でできることがあればお手伝いします。とボランティアに関わることになりました。

 

 

 

 

その当時の中央東まちづくり推進委員会では、偏った予算や、子育て支援がほとんどない状態だったので、行政側から指摘があり本来ボランティア部会員の希望で事業を行うはずなのに、事務局員Kさんだけに半ば押し付けられる状態で始まっていたのです。そもそも他のシニアの方や部会員、ボランティアの方が子育て支援には興味がなかったのです。残念ながら、、、

 

 

 

街中中心部という地域性もあったのかもしれません

 

 

 

そんな中自身も3人の子育てをしている事務局員Kさんがひとりで、一生懸命母親のために託児付きが良いだろうとおもしろい企画をしていたのでそれをお手伝いしていくことになりました。これも後でわかったことですが本来地域の部会員がやるはずなのに、一人ですべてをやらなければならないプレッシャーはすごかったらしく、すでに予算もついており、はたして一人で回せるのか心配で泣きながらやっていたそうです。

 

 

 

そう2,000枚のボランティア募集チラシ配布の中、問合せしたのはたった一人 私だけだったのですから。

 

 

続く