私はたまーに動植物から「メッセージらしきもの」をもらうことがある。
殆どはお礼のメッセージだ。
でも私が最初に受け取った「メッセージらしきもの」は、今も苦い思い出として残っている。
20年以上前のこと、ここに引っ越して間もなく、まだこの庭がこんなボウボウではなかった頃。
目の前の大家の爺ちゃんはとても几帳面な方なので、当時は真面目にせっせと草取りをしていた。
ある時、ベランダの際の所にタンポポが生えていた。
抜こうとしたのだけど、根っこがコンクリートの下に入り込んでいて抜けない。
上の葉っぱの部分だけ抜くのだけど、しばらくするとまた生えてくる。
花が咲いたこともあった。
気が付けば抜くのだけど、何度でも生えてくる。
「全く!」と思いながら、ある日いつも通りに、平べったい葉っぱを手繰りながら引きちぎっていた。
その時、「これが最後・・・」と、ため息まじりの微かな声が聞こえた。
抜くのと、「しまった!」という思いと、ほぼ同時だった。
外から聞こえてのか、頭の中で聞こえたのか分からないけど、確かに何かがそう言った。
「え???」
ビックリしながらも、瞬時に私は理解した。
「あ、もうタンポポは生えてこないんだ。」と。
それ以来、本当にタンポポは生えてこなかった。
ものすごく苦い思いが残った。
だからと言って草を取らないわけにはいかない。
ただ草抜きする時には、ひと声かけてから抜くようになった。
それでも花を咲かせようとしている草は抜けないことがある。
植物にとって花を咲かせるという事は、人生の一大イベントなのだ。
「じゃあ花が咲くまでね。でも種が出来る前に抜くよ。」
そして抜くのを忘れて種が飛び散り、草だらけになることもしばしば。
この時期の植物の新芽は、エネルイギーに満ち溢れている。
特に冬を耐え抜いた雑草の新芽の美しさは格別だ。
春になると、あのタンポポを思い出す。
朝日の中で餌を食べるメダカ達
気持ちよさそうだね
右下にある黒いのは、間もなく咲く胡蝶蘭