ここ数日は、妖怪”いつか”が暴れまくっていた。
「いつか、こうなるんだ!」「いつかこんな生活をしている私がいる!」
この妖怪”いつか”が出てくるととても苦しくなる。
今朝瞑想していて気が付いた。
一見、”いつか”はキラキラ輝いているように見える。
明るい未来、夢に向かっているように見える。
確かに、純粋な望みとしての”いつか”もいる。
でも私の”いつか”は、偽りの希望や夢をまとった、ただの否定意識だった。
本当に何かを望む時、その時は既に未来と真っすぐ繋がっていて、”いつか”とは思っていない。
意識はもう、むしゃぶりつくように、行きたい未来に夢中、ただひたすらそのキラキラした未来に行く事だけを考えている。
そこに”いつか”という考えは浮かんでこないはず。
気が付かない潜在意識の中で、今を否定し、自分を否定し、そのどっぷりと浸かった否定の湖から、物事をみている。
だから、現実と未来と自分の間に溝が出来て、”いつか”が生まれるのだ。
無意識の中に住んでいた妖怪”いつか”
自己否定と現実逃避という栄養をたっぷり貯えて、そりゃあ居心地が良かったはず。
自分の目線がどこを向いているのか、どういう現実の層に自分を置いているのかで、自分の心良さが変わるのだとやっと腑に落ちた。
全てが腑に落ちたとは思わない。
いずれまた苦しくなって、また違う段階での肚落ちがあるのだろう。
今回のは、本当に、恥ずかしいくらいの、基本中の基本のレベルの肚落ち。
これだけ長年、自分を見つめてきて、それでも、ここまで来ないと気づかないものなのだろうか。
妖怪”いつか”は、なりたい自分になる、キラキラ”いつか”だけではない。
「いつかやらなきゃいけない事」から生まれた”いつか”もいる。
「いつか片付けなきゃ」「いつかこれをやっておかなきゃ」という、片付け”いつか”、事務処理”いつか”などなど。。。
この数日の最悪とも言える体調不良は、消えゆく妖怪”いつか”の断末魔の叫びと共に、吐き出されたネガティブにやられていたのかもしれないと思った。
妖怪”いつか”を白日の下に晒したおかげで、今日は少し身体が軽くなった。
久しぶりに見かけた、フィリカちゃん。
妖怪フィリカではありません、ワイルドフラワーのフィリカちゃんです。
そろそろ、このフワフワを見ても暑苦しい感じが無くなってきました。
これからドライにします。