先月28日から入院しているママゴンは来週あたりには退院できることになった。
(「怪獣ママゴン」という呼び名の由来について)
母が認知の初期の頃は、手におえない状態が多くて振り回される事が多かった。
今までと変わらぬ母がいるかと思えば、どこで覚えたのだろうと思うほどの汚い言葉で暴言を吐いたり。
勿論、誰の言うことも聞かず、危ない事やおかしなことを繰り返しやる。
ほとほと困り果てている私を見て、友達が命名してくれたあだ名が「怪獣ママゴン」だった。
ちなみに、彼女の父上も当時は認知症を発症し、「怪獣パパゴン」だった。
途中からママゴンは大人しくなり、今度は絶対に悪い事を口にしない、ポジティブ認知になった。
施設の方にはいつも可愛がってもらっている穏やかな母だが、名前だけが残った。
母の腹痛の原因となった胆管炎の根本的な治療は、高齢の為、しないことになった。
今後、いつ何時どうなるか分からない爆弾を抱える事になるのだ。
もうあまり怖い思いはさせたくないし、長生きすることよりも、安らかに暮らせるようにしてあげたいと思う。
だから、良くも悪くも私の時間が自由になる今、母の事はどうしても気になってしまう。
そんな時に救われているのが、今年から参加している、阿部敏郎さんの禅サンガだ。
阿部さんのブログは以前から読んでいたし、禅サンガというものの存在も知っていた。
彼のブログは物凄くパワフルだったけど、禅サンガに参加するまでではなかった。
単なる座禅のグループだと思っていたから。
それが一気に興味を持ち始めたのが、12月半ば過ぎにアップされた禅サンガで行われた講演の動画を見た事。
A Course in Miracles と言う教えをやっている、香咲弥須子さんを交えての対談だった。
期間限定で無料配信されていたのだが、乾いたスポンジが水を吸い込むように、魂に何かが満ちていくのを感じた。
それでも、数日迷ったのだけど、何かに押されるようにして、ギリギリに申し込んだ。
八木さやちゃんとは全く切り口は違うのだけど、広義で言えば同じことを言っている。
もっと極端に、抽象的に、ただただ、一瞥(ワンネス)状態がどういうものなのかを、説明してくれる。
でも一瞥状態なんて、そんなものは言葉で説明できるようなものではないので、どうかすると、禅問答のような表現になる。
そして仏教関係の方だけでなく、色んなゲストを迎えながら、何とかしてその状態に近づけようとしてくれている。
香咲さんの教えはキリスト教系のものだけど、他にも、引き寄せの、奥平亜美衣さんなど。
仏教界の方達も、多分、異色の方達。
今の私には八木さやちゃんと、阿部さんと両方のアプローチが必要だと感じている。
魂的には常に阿部さんの情報に接していたいという欲求。
それと同時に、日常生活でボディーを持って生きていく上で、さやちゃんの在り方も必要。
要は何だっていいんだと思う。
私が幸せを感じられれば。
ママゴンは一週間の絶食の後、数日前から食事が始まった。
身体を動かすと痛みが伴い、座位もままならないであろうママゴンの食事の様子を見るのが嫌で、看護師さん任せで避けてきた。
でも、看護師さんも手が回らず、ゆっくり食べさせてもらえてないのも分かっていたから、昨日から夕食に付き添っている。
当然ながら認知も進んだのだろう。
ほっておくと、ぼんやりといつまでも食べないママゴンの口まで食べ物を持っていく。
多分、何十年か前には、私がそうしてママゴンから食べさせてもらっていたように。
父の介護には後悔ばかりが残るが、ママゴンにはこうした時間が持てることは幸せなのかもしれない。
それすらもやりたくなければやらなくていいのだろうけど。
一応、今から病院に行ってみる。