初めて訪ねたのは、まだソ連時代の1990。手配は行き届かず、ある日などは昼のレストランを当日探すはめに。さんざん「食事可能」なレストランを探して、やっと行けたのは午後三時過ぎ。出てきたのはピザ1ピース!

 

ソ連末期の物資欠乏を身をもって体験した(笑)。

モスクワの有名なデパート「ツム」にも行ったが、ホント―になんもない。食品売り場では、わずかに冷凍庫に肉がいくつか包まれていたが、すべて札が付いていて予約済だった。

ところがロシアとなって2003年に行ったときは、アメリカ並みの「質より量」。夕食で、1.5キロはありそうなツナ(マグロ)のステーキが出たりした。

 

しかし、レニングラード(当時)の街並みは素晴らしかった。大学時代の恩師の教授に「君ィ、レニングラードはいつか行きなさい。美しい街だよ」と言われていたが、そのときは「ふ~ん」としか思っていなかった。しかし、恩師の言葉は本当だった。

 

ソ連時代なので、宗教関係の建物は寂れていて、モスクワのカザン大聖堂なんかは、がらーんとして廃墟じみていたが、レニングラードはヨーロッパ風の街並みだけで素晴らしい。モスクワと比べて「同じ゛国の都市? 」と思ったほどだった。

 

この都市は、よく言われるが「ひとりの男がつくった」。オランダは「ほかの国は神がつくったが、オランダは人がつくった」と言われる。これは干拓をつづけて土地をつくったため。オランダは小国ながら、実に優れた国だけど、それはこの来歴による。

 

さて、元々サンクトペテルブルグの辺りは干潟で貧しい漁村しかなかった。

ひとりの男が1703年に都市をつくり始めた。

 

ピョートル大帝(1672-17)だ。

ピョートル1世 (ロシア皇帝) - Wikipedia

 

彼がいなければ、今のロシアはないだろう。というかその前のソ連もロシアもないだろう。

ロシアを大国としたのは彼の業績だ。

 

巨人だが、実際にも巨人。身長203センチだったという。当時としては隔絶している。エジプトのラムセス二世もかなりの巨人だが。

 

モスクワの武器庫(実際は博物館)に行くと、ピョートルの着た服が展示されている。実際に見ても確かにすげえ。(つづく)