生き別れになった私の母と祖母が会えた日 | 小夜と私と時々ピートそしてモチ

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2010年。
マメなアメリカ人夫と大雑把な私の間に誕生したSayaの成長日記。
2020年パンデミックの最中仲間入りしたミニゴールデンドゥードルもちの成長日記も併せて更新中!

長年探していた母の産みの母が、遠く離れたアメリカのアラバマ州で見つかりました。

私が住んでいるロサンゼルスから飛行機で3-4時間。そして車で2時間。



母は実父と継母に育てられ、本人には実の母の記憶がありません。










生きていれば96歳。

僅かな希望だったけれど、まだどこかで生きていてくれたらと願っていました。


見つかったのはご主人と一緒に眠るお墓。

なんと37年前に59歳という若さで亡くなっていました。

46歳で14歳年下のアメリカ人と結婚し、その13年後生涯を終える。

どんな人生だったんでしょう。

幸せであった事を心から願います。




もう母が探し始めた1年前には既に亡くなっていた事になる。


37年前と言えば、私は12歳。

今思うとその頃から私はなぜかアメリカに興味を持ち出す。

そして母はその頃に

「お参りしていないお墓がある」

ととある占い師に言われ、それをきっかけに実母の事を探し始める。


私は念願だったアメリカ留学を27歳の時に経験、

そしてそのままアメリカ人と結婚。


今思うとその祖母が導いていたのかもしれません。


この日の為に。。




 2人の生きた形跡がほぼ見つからなかった中、このお墓が見つかったのは本当に奇跡。


私も母も感極まり溢れる涙が止まらない。





他に家族が居ない2人。


お墓は放置されて手入れはされていませんでした。


生前を知る誰かと繋がりたく、手掛かりになる全ての人に連絡してみたけれど、既に亡くなっていたか、返事がなく八方塞がり。


と、ある事に気付きました。


この2人のお墓の横には、Haruと言う日本人であろう人のお墓が。

どうやらご主人が先に亡くなり、その時ハルさんも将来一緒のお墓に入る予定で自分の名前も掘ったのでしょう。


とても分かりにくいけど。1937年に生まれ、没日が記されてないという事は、まだ86歳で生きている可能性が高い。


ここはいまだに日本人がほぼいないアラバマ州モビール市。

40年前、恐らく日本人はこのハルさんと、祖母の幸子さんだけだったのではないでしょうか。


そのお墓が隣同士というのは、ただの偶然だろうか。


ここに来て、生前の幸子さんを知る人の話を聞けるかもしれない。という希望が見えてきました。


続く