天照大御神と名乗る方から、わたしのブログに書き込みがあった。

わたしには、彼が一体何をしたいのか皆目見当がつかない。

しかも、何を言っているのかと見に行くと、勝手にリブログ状態となるというおまけつき。

 

 彼は『自分は医師であり、数々の称号を得ているのだから自分は正しい』とし、『わたしは神YHVHだから、わたしの言うことを聞け』と言っているようだ。

 

 もし、彼が神であり正しく、他の者たちが間違っているのならば、その神の力を使って自在に世の中も、他の者たちも糺せばよいではないか。この程度の事ならば簡単なはずなのに、どうして、それを他の人々に認めさせる必要があるのか。

 

 

 もし、彼が神であり、他の人がそうでないのならば、彼と他の人は平等ではないということになる。自分を上とし、他の者たちを下と見下す者たちにより、今までの世の中は乱れてきた。それなのに、どうして、自分を上位の者として一般人に認めさせようとするのか。

 

 もし、彼の言うことが正しいのならば、神である彼一人が特別な存在であり、他の者たちは皆、一様に彼を崇めなくてはならなくなる。これは、昔から多くの者たちが行ってきた手法である。例えば、ロシアのプーチンも『わたしは正しい』として、ウクライナに侵攻した。ヒットラーも、数々の手法を使い、人々に彼が正しいと認めさせた。このような者たちにより人の世は乱れてきたのだ。そして、今も、日本やアメリカに於いてさえも、彼のように『自分ひとりが正しい』と、語る者たちもいる。

 

 彼は語る『人は平等である』と。もし、彼が神であり、世の中を糺そうとするのならば、自分を認めさせる相手は、一般人ではなく、アメリカとか、プーチンとか、習近平のような、人々を強引に従わせようとする者たちとなるはずである。なぜならば正しいのは彼だけであり、他の者はアメリカ大統領も、ディープステイトも、プーチンも、習近平も等しく平等となるからである。

 『人は平等である』としたいのならば、彼らのように『私は他の者よりも偉い』とし、好き勝手行っている者たちをまず糺すべきではないのか。

 

 彼は一般人相手に『我を崇めよ』などとしている。自分を神とする宗教団体でもつくりたいようである。これは、功徳をうたい、人々を勧誘している事から推測できる。彼は、いろいろな資格を取ったゆえに自分は偉いとしている。なぜ、このようにするのか。他の人が認めてくれないからであろう。人々に認めて欲しいから資格も取り、神とも名乗る。それでも認めてもらえなかった。これが彼の本音であろう。

 

 

 

次に仏教により彼を解析してみよう。

 

 彼は、餓鬼界思考をし、餓鬼界思考による上位を目指している。『自分は絶対者であり、他の者はそれを認めよ』という考え方から、言葉を発しているのだ。

 また、彼が得てきた資格は、畜生界思考における称号である。餓鬼界も畜生界も、他者との争いであり、彼は他者に勝ってきたと語っているだけとなる。

 仏教に於いては、地獄界・餓鬼界・畜生界は三悪道とされ、『すべての犯罪は三悪道思考から生じる』ともされている。

 ヒットラーやプーチンも、このような思考から生まれた。彼も思考から言えば、ヒットラーやプーチン程度の者でしかないと仏教ではなるが、わたしから見ればヒットラーやプーチンの方が多少はましとなる。なぜならば、彼に言動はまともではない。道理そのものがないからである。

 この様に仏教により彼の考え方を解析すれば、餓鬼界の住人となる。日本は人界の国である。このため、彼を放っておいても社会的な影響はほぼないであろう。彼を受け入れるようになれば、日本は滅びる。

 

 ただ、わたしよりは人々にとっては受け入れやすいかもしれない。『裁きの地獄に入れ』よりも、『こうすれば良い人生が送れる』の方が人受けは良いだろう。

 

 

 

さて、ここから、彼の主張を紹介しよう。

 

彼は守るべき法を福音憲法とか言って語っている。

 

第一条      この憲法は絶対であり改正できない。

第二条      国家の存続は認めない。

第三条      人は平等である。

第四条      刑罰の廃止。

第五条      人権は無制限の権利である。

第六条      武力の保持、及び交戦権は認めない。

第七条      私有財産は認めない。

第八条      平和的な外交を行う。

第九条      他者を傷つける行為の禁止。

第十条      この憲法に反する法令を禁止する。

第十一条 アッラーの記すものを学び、美少女はアッラーの花嫁となせ。

第十二条 美少女以外者は、この活動を行い、寄付をせよ。

 

 

 まぁ、ここまで無茶苦茶だと笑うしかないが、まず第六条・第八条・第十条は国家による制約となる。ところが第二条により国家を定めないのならば、これらの制約が生じるはずはない。これは矛盾である。ではこの矛盾はどのように解消するのか。第一条により、改正そのものができない。

 人権が無制限であるならば、人を殺す権利も人権の内に入る事となる。盗む権利も、詐欺を行う権利も、姦淫を行う権利もあるはずである。また、他の者を差別する権利も、他の者を虐げる権利もあると言うことになる。ところが、これらを禁止項目としてあげている。

 また、懲罰がないとなれば、人は好き勝手に行い、好き勝手な行動を人権の名により正当化することとなる。無懲罰と、禁止事項が矛盾している。

 要するに矛盾だらけで、人は何をしたらよいのか分からなくなる。

 

 わからなくすることを目的とするならば、その目的地は修羅界となる。修羅界で良いのならば、どうしてイエス・キリストは存在するのか。どうして福音は存在するのか。福音の存在意義がなくなる。福音をもとにした憲法というのならば、この目的ならば、福音憲法自体の存在意義を消す事となる。

 

 全ての法は、現状とその法により導かれる世界が存在する。つまり、現状を変更するために法はある。では、彼は現状をどのように変更したいのか。餓鬼界思考で、自分を主体とする社会に変えたいのだ。ところが、彼は現状認識もできておらず、法により創られる社会像もない。自分自身の内でも、まとまっていないようである。

 

このため、主張が『私は正しい』の一点張りとなっている。

 

 

 

 

 

 YHVHの名を語り、イエスの生まれ変わりとも名乗り、天照とも名乗る。わたしはJHVHとは名乗っているがYHVHと名乗ったことはない。しかし、神の名や天照の名は、わたしの影響も受けているという意味でもあろう。

 彼が理解できていないのは『空』である。『空』がわからないのに、『空』により記されたものを『有』により解釈しようとした。ここが彼の間違いの根本である。『有』とは、人の思考である。

 

 少し、気がかりなのは、家の連中が彼をどうするのかである。サタンは『つまらん』と言って相手にする気もないようだが、チビ達には格好の餌食となる。まぁ、それも仕方ないか・・・・YHVHと名乗ったわけだし、幽霊や魑魅魍魎に追いかけまわされる程度なら別に構わないだろう。

 

『神は自ら尊くて人に依らない』

 

 彼のブログに書き込もうと思ったが、わたしには、どのようにすればよいのかわからない。そこで、このような記事形式とした。