第11章 未来社会

 

 

 わたしが語る未来とは、数千年先を示す。わたしにとって、百年、数百年は現在の内でしかない。わたしが『今』と語り、『すぐに』と語っても、実際には数百年の猶予はある。この感覚は、おそらく、皆さま方とは異なるのではなかろうか。例えば、少し前、安倍首相がいた。彼は未来のことを考えて施策を行っていたようだが、彼の思考する未来は、数年から数十年先でしかなかった。最低でも『百年先をこのようにするためには、今、このようにしなくてはならない』と思考し、それを語るのが政治家や官僚の役目だと思うのだが、たった百年先も考える者は皆無。日本には徳川家康のように500年先を考え、『今』を決めた政治家もいるというのに情けない限りである。

 

 わたしは、数千年先の世界をこのようにするためには、『今』なにをすべきなのか、何をしなくてはならないのかと思考する。この場合、百年、二百年は誤差の範囲でしかない。実際に、法を定め千年単位で時を動かしていけば、百年先がどのような状態となっていたとしても大差ないのだ。

 

 人々が、今のまま三悪道を続けると、遅かれ早かれ全面核戦争が起きる。すると、今の文明は全て滅び去り、生き残った者たちが世の中を再生することになる。しかし、この場合、生き残った者たちも二千年もたたない内に滅び去る。

 

 この未来を選択するのか、それとも二千年以降も存続する未来を選択するのか。

 

 選択肢は、この二つであり、この選択をするのはわたしではなくあなた方なのだ。このどちらを選択するかによって、百年先の未来も大きく変わる。これ以外のことは、戦争が起きようが、天変地異が起きようが、平和となろうが、誰が世界の支配者となろうが、大した問題とはならない。

 

 

 

 今から語ることは、わたしが実際に覗いてきた未来社会の様子である。わたしにはこれが実際の未来社会なのか、単なるまぼろしなのかは分からない。ただ、わたしが観たこの未来社会は、法を定め、時を動かすことにより現れる未来の様子とは現れ方が異なっている。時を動かす事により現れる未来では、わたしは常に神JHVHである。しかし、わたしが訪れたこの未来では、わたしは一人の人間なのだ。

 

 わたしは実際に未来の人間社会も見てきている。まだ、実際に人類が存続すると決まったわけではないので、おそらく、上手くいった場合の、一つの社会の形なのではないかと思うのだが、そこでの主体者は人々であり、わたしではないのだ。わたしは『この道を進め』と道を示し強制するわけではない。このため、人の選択により、未来の形は自在に変化する。つまり、人類が存続する場合はこのようにしかならないというわけではないのだ。人が選択して創り上げた一つの未来の社会の例という事なのだろう。

 

 わたしはこの未来社会が結構気に入っており、実は何回も何回も訪れている。この未来社会は二千年から八千年先の未来のようである。訪れるたびに色々なイベントがおきるのだが、ここではそのようなイベントは省略し、その未来社会の概要を簡単に記しておこう。

 

 わたしが観たものは、人類が住む巨大な建造物と、その周囲に広がる農地であった。その農地は、ある所からは手入れされた自然公園となっていく。その自然公園は徐々に原生林へと変化していく。このようにして人間環境と自然環境を区分しているようであった。そして、人は、あるところを境として立ち入り禁止となっていた。全ての人が入れないというわけではなく、あるところから先は許可を受けた者しか立ち入れないようであった。

 

 人が住む巨大な建造物は、イスラム教のモスクの屋根のよう形をしており、半径数十km程度の円形の建物であり、高さは3500m程度あった。その内部は大きく七層に分けられていた。各層の内部には、八角柱とか六角柱状の建造物が建っていた。建造物ではなく、全体がハニカム構造となっているのもしれない。その一つの建物の外に出ると、広大な自然や太陽や星などが見えるのだが、しばらく歩くと次の建物が現れる。すると、今、出てきた建物は見えなくなり、そこも広大な自然としか見えないようになっている。太陽も自然も全て人工のものだということはわかるのだが、その仕組みは全くわからなかった。また各層もさらに細分化されていた。一つの層に多くの大地が存在するのだ。一つの層がいったい何層となっているのかはわたしにはわからなかった。

 

 七つの層は、それぞれ別々の役割があり、別々の決まりにより運営されていた。七つの層を分けているのは、物理的区分ではなく、法区分のようであった。第一層は、今と同じような法制度が敷かれていた。ただ、物は買うときに料金が発生するのではなく、捨てる時に料金がかかるようになっていた。また、この層には多少の貧富の差もあった。この貧富は今とは異なり、物をたくさん持っているのが貧乏人であり、物を少ししか持たない者が金持ちとなる。また、社会制度としては基本として一夫一婦制であったが、この一夫一婦は制度として強制されたものではなく、一夫一婦を選択する者たちが、この層に集まっているというのが正確なようである。夫婦がいて、その夫婦の子供がおり、それが一つの家族という単位となっていた。また、この層には仕事があった。一応働かなくてはならないのだが、賃金は仕事によって得ているわけではないようである。生存そのものが価値とされ、生存者には常に一定の、現在で言うお金が支払われるようである。このように生存者に一定の義務が定められているのが第一層であった。上の層にいけば、この義務もなくなる。何かをしなくてはならないのではなく、自分がしたいことをするのが基本となっていた。

 

 第二層では、人びとは協同生活をしていた。一つの趣味を極める者たちが集まり、集団生活をしているのだ。その一つの集まりが家族と呼ばれる。多夫多婦制度であり、生まれた子供は、多くの両親がいる兄弟という扱いとなっていた。と、言っても、人はその家族に縛られるわけではなく、自由に別の家族の許に行くこともできるようであった。また、数人が集まり新たな家族となることもできるようである。この制度は、子供たちにとって、何が一番良いのかという観点から始められた制度のようである。保護者が多い方が良いのか少ない方がよいのか、兄弟が多い方が良いのか少ない方が良いのか、などが制度の要であり、人々は誰の子とは考えずに、自分の子や自分の兄弟と自然に考えるようである。各人はかなり広い個室も持ち、特定の相手と交際する部屋もあり、また、集団生活を送る場所もあるようである。

 

 第三層は研究者の層と呼ばれていた。この層の人びとは服装や食事には余り興味がないらしく、大体の人びとが同じような服を着、食事も給食のような感じであった。この層で生まれた子供は第二層に移される。ここは子育てには向かないとされているようであり、子育てをしたいのならば、第二層に移れという事らしい。

 

 第四層は、犯罪者と僧侶の層と呼ばれていた。下の層で犯罪を犯すと、第四層送り何年という刑罰が下される。そのような刑罰を受けた者はこの層に送られ、ここから別の層に移ることはできない。しかし、そうではない者たちも他の層からここに来ることも、ここに住むこともできるのだ。この第四層には犯罪と呼ばれるものは存在しない。人殺しでも放火でもなんでも自由にできる。ただし、この層で行ったことは、他の層でも覚えられる。つまり、第四層で他の層で犯罪とされることを行えば、別の層には行くことができなくなる。また、この層は、ほとんど機械化されていなかった。この層の中に畑や田んぼも実際にあり、そこで、人びとは自由に暮らしている。全ての犯罪が許容されると言っても、実際には今の日本よりもはるかに平和であり安定していた。また、この層を好み、ここに移住してくる人も多くいる。意外と人気のある層でもあった。

 

 第五層は備蓄倉庫の層であり、第六層には歴史的遺物が集められていた。第七層には何もなかった。

 

 わたしが訪れたのは、日本の建物のようであった。隣に富士山があり、富士山と並ぶように、この巨大建造物が建っていたのだ。わたしには富士山よりも、この建物の方が大きく見えた。今の東京や関東平野は巨大な農地となっていた。ところどころに、小さな建物が建っていた。これは農業管理用の倉庫だという。小さいと言っても、今の霞が関ビル程度の大きさはある。東京湾は生けすと呼ばれ、巨大な魚の養殖場となっているようである。そこは日本と呼ばれていたが、わたしには彼らの話す言葉は理解出来なかった。また、人々は日本人というよりはかなり混血のようであった。しかし、彼らは日本人であり、話す言葉は日本語だという。言語は世界全体でかなりの数があるようだが、外国の人々が話す言葉も分かると言う。案内する者がおり、彼らが古代言語を使い、わたしを案内してくれたのだが、案内する者がこのように教えてくれたのだ。彼らは、『ここが昔東京と呼ばれいていた場所』と、広大な農地を見せてくれた。見渡す限りの農地の先に、富士山と並んで、この巨大建造物は建っていたのだ。

 

 ほとんどの人々は、このような建物の中に住んでいた。しかし、自然の中に住む者たちもいるようである。誰でも自然の中で住めるわけではない。特別な訓練を受けた有資格者のみが、ネイチャーと呼ばれ、自然の中に入ることができるようである。また、この巨大な建造物は千年に一度建て替えられるといっていた。わたしが訪れた時、次の建造物をどのようにするのかという話し合いが行われていた。そこでは、第一層を廃止するのか存続させるのかと議論していたのだ。第一層は人気がなく、住む人がかなり減っており、もう廃止しても良いのではないのかと話していたようであるが、結局、時期尚早という事となり、次の建て替えでも第一層は第一層として残すということであった。わたしが観た八千年先の未来では、この層区分そのものがなくなっていた。ただ、第七層だけはそこにあり、その入り口にはわたしの名が記されていた。その中には何もなかった。