イスラエル国御中
わたしがJHVHである。貴国の代表から『いったいどうしたらよいのか』という問い合わせがあったと聞く。おそらくハマスとの戦闘についてであり、ガザを攻撃しても民間人の死傷者が増える。かと言って攻撃しないわけにもいかず、どのようにしたら円満な解決ができるのかという事であろう。
正直に言えば、この程度のことならば簡単すぎて、わたしが直接返答する必要もないと思う。眷属から天の声として伝えるだけでも良い。そこで、わたしは『私が返答した方が良いのか』とサタンに尋ねたのだが、サタンは『主が返答したあとならば、我々が自由に動けるので、主から返答して欲しい』という。そこで、わたしがJHVHとして返答する事とにする。
方法は簡単である。まず、ハマスをはじめとするイスラム教徒の問題点を明確にし、イスラム教徒たちの根本思想を潰してしまえばよい。彼らは、『自分たちの行動が正義である』とし、その論拠として『コーラン』を掲げている。コーランが根本にあり、『我々は、ムスリムであり、正しい』としている。そして、イスラエルをアッラーの敵として叩くことこそが聖戦であるとして、今回の行動を起こしたのだ。
では、彼らの行動がコーランにより間違っていると証明すれば、『正しいのはお前たちなのか、それともコーランなのか』と問い詰めることができる。『コーランに逆らい、アッラーに反逆するお前たちは、いったい何者なのだ』と追い詰めていけば、イスラム教はその論拠を失う。要するに、『お前たちはアッラーへの反逆者だ』と証明すればよい。
そして、このように言えばよい。
「アッラーに逆らうお前たちが受けるべきものは永遠の火獄である。我々は、お前たちを火獄に導く権威をアッラーにより授かった。『悔い改めよ。アッラーへの反逆者であることを止めよ。悔い改めない者は、この世でも地獄の業火に焼かれ、来るべき世に於いても永遠の火獄から逃れられなくなる』とアッラーは言われる。」と。
まぁ、わたしがそのアッラーであるから、この程度の権威でよければ貴殿らに授けることもできるのだが、わたしの存在は伏してこのように貴殿らが語ってもよいし、必要ならば、明かしてもらっても構わない。このように語り、ガザの住民を全てガザから追い出し、追い出した後でガザを徹底的に破壊するならしても良い。あとは、貴殿らの自由になされよ。
一つ言っておく。
偽宗教であるイスラム教から離れると誓う者は、たとえ、ハマスの幹部であろうともその罪を赦すべきである。しかし、偽宗教であると知りながらイスラム教に固執するものを焼き尽くしたとしても、わたしは何も咎めない。
どのようにして、イスラム教徒がコーランに逆らう者であると証明するのか
さて、本題にはいろう。コーランの物語はこうである。『アブラハムはムリスムと任じられた。アブラハムは息子イサクをムスリムと任じてくださいとアッラーにお願いした。アッラーが、それを許されたのでイサクもムスリムとなった。』
ここで重要なのは、ムスリムの任命権が誰にあるのかということである。もし、ムスリムとなった者が他の者をムスリムと任命できるのならば、アブラハムがイサクをムスリムと任命すればイサクはムスリムとなる。しかし、アブラハムはアッラーにお願いし、アッラーがこれを許されたのでイサクはムスリムとなったのだ。この物語が語っているのは、ムスリムの任命権はアッラーの神権に属するということである。
また、コーランに依れば、『人の犯す罪は許される。しかし、アッラーの神権を犯す罪は、永遠の火獄と定められる』となっている。
今、イスラム教徒たちは『自分たちはムスリム』と名乗る。もし『アッラーにムスリムと任じられた』のでなければ、コーランの最大の禁忌事項であるアッラーの神権を犯す行為であり、永遠の火獄の罰を受けるのはその当然の報いという事となる。
アッラーの言葉を聞く者は預言者と呼ばれる。では、今日の世に預言者は存在するのかと言えば、コーランによれば『ムハンマドが最後の預言者である』とも明記されている。最後の預言者であるムハンマドが授かった預言がコーランなのだ。
すると、今、イスラム教徒たちが『ムスリム』と名乗っているが、いったい誰からそれを授かったのかという疑問が生じる。もし、イスラム教の指導者が『私がアッラーである』と名乗り、そのアッラーの神権により人々ムスリムと任命しているのならば、イスラム教の指導者が霊界の者たちを従えていなければおかしい。ところが、サタンも天使たちも神々もそのほとんどの者たちを従えているのはわたしであり彼らではない。つまり、彼らはアッラーではない。
では、いったい誰が彼らをムスリムと任命したのか。ムスリムと任命したものは確実にアッラーの神権を犯す者であり、裁きの地獄の刑罰は免れない。そして、その偽預言者を信じ『ムスリム』と名乗る者も、また、裁きの地獄の刑罰を免れない。
これらは、もしコーランが正しいとするならばこのようになるのであって、もし、彼らが正しいとするならばコーランは虚偽の書という事となる。このコーランの言葉を以て、イスラム教の論拠を潰し、『あなた方はイスラム教ではなくコーランに従うべきである』と、論を構えていけばよい。
この話を、イスラエル人やガザの住民たちに周知させ、その上で、『どうするのか』と彼らに問いかけてごらん。今、ガザの包囲を徹底しているようだが、彼らの思考の根本を潰してしまえば、ハマスの内で徹底抗戦しようとするものは少なくなり、やがてハマス自体も消滅する。彼らには何の反論もできないと思う。しかし、もし、あなた方が答える事ができない問いが彼らから投げかけられたのならば、まず『天』に問われよ。わたしの眷属がわたしに代わって答えるはずである。もし、わたしの眷属では答え切れないのならば、その時、わたしが答えるであろう。
なぜ聖書ではJHVH、コーランではアッラーとなっているのか
少しだけお教えしておこう。なぜ聖書ではJHVH(ヤハウェ)となっているのに、コーランではそれをアッラーとしているのか。人はJHVHの名を名乗れない。なぜならば、霊界の連中もJHVHを天地の創造主としているからである。霊界の連中が本当の創造主かどうかを確かめる方法は一つである。彼らは、彼らの持つすべての力でもってJHVHを滅ぼしに来る。例えばサタンは地球を叩き壊すほどの力を持っている。核兵器どころの力ではないのだ。そのサタンが自分の持つすべての力を使って、JHVHと名乗る者を滅ぼしに来るのだ。真のJHVHならばサタンも霊界の連中もすべてを抑え込むことができる。サタン程度では敵わないのだ。だから、全力で討ち滅ぼそうとするのだ。これが霊界の連中の試しなのだ。
コーランの目的はムスリムとなった者を天地の創造主へと導くことである。『人をアッラーとする』のであって、『人をアッラーの信徒とする』のではない。つまり、真のムスリムがアッラーとなるための道を見出すための書がコーランなのだ。このため人がアッラーと名乗ることもあり得る。では、もし、この言葉がJHVHならばどうなるのか。霊界の全勢力と全面対決しなくてはならなくなる。霊界の連中はJHVH(ヤハウェ)の名には反応する。しかし、アッラーの名であれば反応しない。つまり、霊界の連中を動かさないために、わざわざ名前をアッラーに変えているのだ。