念仏無間・禅天魔・真言亡国・律国賊
わたしは自分の五陰の内に、国土世間を持ちます。ですから、国土世間に属する神々や天使や悪魔、魑魅魍魎も分かり、彼らの力である霊力が、普通の人々の世界である衆生世間に働く様子も分かります。
霊力と言えば、眉唾だと考えられる方も多いでしょう。わたし自身、昔はこのように考えていたのです。あなたがそのように考えたとしても、『当然だ』としか言いようがありません。まぁ、しばらくは眉に唾をつけてお付き合いください。
日蓮如来は、念仏無間・禅天魔・真言亡国・律国賊と、これらの宗教を批判されました。では、本当に念仏宗を信じる者は無間地獄に堕ちるのでしょうか。禅宗を信奉すれば頭がおかしくなるのでしょうか。真言宗を信仰すれば、国が滅びるのでしょうか。
もし、本当にこのようになるのならば、念仏宗を信仰する者たちを無間地獄に堕すもの、すなわち、その霊体と霊力が念仏宗に付随しているはずなのです。ところが、わたしは多くの念仏宗の寺も周っているのですが、見かけたことがないのです。真言宗も禅宗も同じで、ほとんどの寺にこのような霊体もなく霊力もないのです。
ところが、日蓮宗系統の寺は怨霊だらけ。天台宗の寺にも、やはり怨霊が・・・・
有り得ないでしょ。
念仏宗、真言宗、禅宗などの日本仏教のお寺は、ほとんど《きれいなもの》なのです。ちなみに、神社も、ほとんど《きれい》ですよ。精々狛犬が、変なものが入らないように見張っているだけで、中は《きれいなもの》です。寺よりもきれいですね。神社の名目上の祭神にわたしがなっているせいなのかな・・・・
神はいるのかって???・・・・・答えづらいな・・・・・わたしの眷属だしな・・・・酒くらってひっくり返っている時ぐらいしかいない・・・・なんて言えないしなぁ・・・酔っぱらって屋根の上で寝てた。なんて、ばらしたら悪いしなぁ・・・・・落っこちたのが見つかって、中に逃げ込んだ・・・・・なんて言えないしなぁ・・・・・・さぁ、どうしよう・・・・・・黙ってよっか
と言うわけで、この問いにはスルーで。
どうして、日蓮如来が批判された宗派の寺には怨霊もおらず、きれいなのに、
日蓮宗や天台宗の寺は、怨霊の巣窟みたいになっているのか。
わたしには、まったく意味が全く分かりませんでした。
日蓮如来が批判した各派には霊力がない。
念仏宗には人を無間地獄に落とす力はなく、真言宗には国を滅ぼす力はなく、禅宗には人を狂わす力はなかったのだ。
しかし、日蓮宗各派には霊力がある。
しかも、その霊力は、まるで魑魅魍魎のように見える。
これらの事が意味するのは、いったい何なのか???
まるで、連立方程式です。
この連立方程式を解くことによって、物事の実相が分かるのです。
では、念仏宗には最初から人を無間地獄に落とす力などなかったのでしょうか。真言宗には国を亡ぼす力などなかったのでしょうか。禅宗には人を狂わす力などなかったのでしょうか。
もし、最初からなかったならば、日蓮如来は嘘を言っていたことになります。無いものをあると言って、命がけで行動したことになるのです。
では、なぜ、日蓮如来は数々の法難に襲われたの???地下鉄でサリンを撒くぐらいの事は実際にしないと、『あいつは悪者だ。殺してしまえ』とはなりません。
ないものをあると言って批判すれば、人の評価は【あいつは狂人だ】となります・・・・お前も狂人だ・・・・ですか・・・・そうなるかも知れませんね・・・・
狂人が辻説法したとしても、ほとんど誰もそれに聞き耳など立てません。誰も、『殺せ』とはならないのです。
昔、時々、宗教の街宣車が来ていたでしょ。
『イエス・キリストは・・・・・・』
それを聞いて、『殺してしまえ』となりますか???
『勝手に言ってろ』『うるさい。スピーカーのボリーム落とせ』
程度でしょ。
ましてや、スピーカーもない鎌倉時代の辻説法。
それを聞いて、
『あいつは悪だ、殺してしまえ』と、なったのです。
そして、何回も実際に命を狙われた。
どうすると、このようになるのでしょうか???
痛くて反論できないところをガンガンつかれると、権力を持つ者はこうなるのです。わたしに対する創価学会本部の対応が、まさに、そうでしょ。
本音は、
『痛いんです。』『信者に聞かれたら困るんです。』
と、言うものでしょ。
これを更に続けると、
『黙らせろ』
となり、最後には『殺してしまえ』となるのです。
つまり、日蓮如来の説法は、痛かったのです。信者に聞かせたくなかったのです。反論できなかったのです。痛いところをぐいぐい突いたから、『殺してしまえ』となり、それが数々の法難となったのです。
念仏無間、その通り。真言亡国、その通り。禅天魔、その通り。すべて真実だったから、念仏宗に命を狙われたのです。
つまり、
日蓮如来が辻説法した時には、
確かに、念仏には、人を無間地獄に落とすものがおり、そのものの霊力もあったのです。
では、
なぜ、
今の念仏宗にはそれがないの???
その力が自然消滅したか、誰かが奪い去ったのか・・・この、どちらかしかないのです。
晩年の日蓮如来は、念仏の寺を見ても知らん顔です。昔、徹底的に追い詰めていたのに、『こうしろ』と言っていた通りになったわけでもないのに、相手が降参しますと白旗を掲げたわけでもないのに、
無視するように、身延の山奥に引っ込んでしまわれたのです。
では、日蓮如来は負けたのでしょうか。もし、念仏宗に負けたのならば、念仏僧侶の弟子となっているはずです。念仏宗側も日蓮を負かした学僧が、したり顔でその法理論を説いているはずなのです。でも、どこからもそのようなものは出てきません。
では、日蓮如来はあきらめたのでしょうか。9回の裏、ツーアウト、ランナーなし。スコアは100対0。あと、アウトを一つ取れば日蓮の勝利。・・・・・おっと、ここで変な動きが出てきました。え、まさか、ここで日蓮の降参です。勝者は念仏。信じられませんが試合は、念仏の大逆転勝利で幕を閉じました・・・・・・あり得ないでしょ。
残る可能性は一つ。日蓮如来は別の方法で勝ち切ったのです。念仏宗と言う宗教を残しておいても、その宗教に人を無間地獄に落とす力がなければ、人は無間地獄に堕ちることはなくなります。
真言宗という宗教を残して置いても、その宗教に国を亡ぼす力がなければ、国は亡びません。禅宗と言う宗教を残して置いても、その宗教の人を狂わす力を奪い去っておけば、問題はないのです。
では、人を無間地獄に落とす力とは何なのでしょうか。宗教の国を亡ぼす力とは何なのでしょうか。宗教の人を狂わす力とは何なのでしょうか。これをわたしは【霊力】と呼ぶのです。
つまり、日蓮如来はどこかの時点で、既存仏教の【霊力】を奪い去ったわけです。【霊力】と言っても、普通の人には実体など分かりません。普通の人に【霊力勝負】などと言っても、マンガやゲームの世界の話でしょう。《ドラクエで、いろいろな魔法を使ってモンスターを倒す、その魔法のようなものだ》程度の認識になるんじゃないかな。
ま、確かに魔法あり・実力行使ありのゲームのようなものですね。でも、勝負は一瞬ですよ。ゲーム感覚で言えば、相手が強いと思ったら、すべてのマジックポイント・ヒットポイントを全て力に変えて、一瞬で相手にぶつけるのです。相手が消滅すれば勝ち、生き残れば負けと言うゲームです。連合する場合は、その場にいる全てのモンスターが合体して、そのすべてのマジックポイント・ヒットポイントを全て力に変えて相手を攻撃します。相手が消滅すれば勝ち、生き残れば負けとなるのです。
これが基本かな・・・・でも、何でもありで、弱点を見つけて弱点攻撃をしても良いし、寝ていたり油断しているところを攻撃しても良いし、MP・HPを温存しながら攻撃しても良いのです。相手が自分よりも弱ければ、相手のMP・HPを少しだけ残してあとは奪い去るような攻撃をしても良いし、相手の全力攻撃を受け止めた後で自分のMP・HPゲージを見せて降参させるなんて方法もあります。ゲーム感覚で言えば、こうなりますが、実際にはMP・HPゲージなんてありません。
強弱の差は歴然としています。ゲームで言えば、弱い方のモンスターが何万、何億と合体して攻撃しても、強い方のHPは1ポイントも削り取れないと言う状態なのです。
でも、現実世界に実際にこのようなものがあると言う事の方が信じられませんよね。基本は人間社会とは別次元の話なのです。
超能力ですか・・・・違いますね・・・・・わたしには、そんなものないもの。あっても邪魔だし・・・・・超能力は肉体に付随する能力です。霊力は・・・・・魂の本質的な力なので肉体がない方が強くなります。ですから、霊力使いは、基本は肉体は攻撃してこないのです。(・・・・・と思って油断してたら、死なない程度に肉体を締め上げるという攻撃を食らいましたが)