第二章 世の中に存在する各種宗教
宗教とは何か???わたしは【宗教とは広義には人を利己愛から離れさせる働きであり、狭義には自分自身を含まない他者に自分自己愛を預けることである】と定義しておこう。つまり、わたしがここで語ることは広義の宗教ではあるが、狭義に於いては宗教となるかどうか微妙なところである。
当然、人に依っては利己愛こそが重要であると考える者もいる。しかし、それによって生じる恨みや嫉妬心はどのように解消しようと言うのか。人の内に生じる恨みや嫉妬心を解消しようとすれば、利己愛から離れるしかない。この関係が分からず他の方法を模索しているのが現代社会であり、その対策は、宗教的な方法しかないのが実情なのだ。
この道理が分かれば、広義の宗教は教育となり、狭義の宗教は不要となるのだが、不要となるからと言って、狭義の宗教を禁止すべきでもない。たとえば、人が犯罪を犯さなくなれば、警察は不要となる。そして、犯罪に対する考え方を変えれば実際に警察が不要となる社会も到来する。この道理が分かったからと言って、警察を廃止すべきであろうか。現状は、なかなか理想通りにはいかないものである。
人の悩みは単純である。【自分が抱く恨みや嫉妬が自分自身を傷つける】これだけの事なのだ。そして、恨みや嫉妬と愛とは同じもの。良く見える側面を愛と呼び、悪く見える側面を恨みとか嫉妬と呼ぶ。ならば、その愛を自己愛から利他愛へと変化させれば、人は悩みから解放される。利他愛には、恨み嫉妬と言う側面がないからである。
各人の利己愛を利他愛へと変化させる対象が【本尊】と呼ばれるものである。人は各種の悩みから自分を解放してくれる相手を求めるのだ。この為、各個人にとっては、その対象は何でも構わない。対象がどのようなものであったとしても、その対象に愛を預けてしまえば、自分は悩みから解放されるからである。しかし、多くの人が自身の愛を預ける相手(本尊)にとっては、大問題なのだ。その本尊の内にある自己愛が怨嫉へと変化し、そのグループ全体を傷つけるからである。