お釈迦さまは迦葉に告げられました。


「善男子よ、大力士の譬えを語りましょう。

ある王国に力自慢の力士がいました。

その力士は眉間に金剛の珠を持っていたのですが、

他の力士と争い大けがをして眉間を思いきり打ち、その珠が体にめり込んでしまい、

どこにあるのかわからなくなったのです。



良医により一命を取り留め、その傷はなおったのですが、

その医者はその傷が原因で珠が体の中に入ってしまったことを知ったのです。

良医は力士にこのように言いました。

『あなたの額の珠は分らなくなりましたよ。』

力士は、

『わたしの額の珠がなくなってしまったのですか。あの球はいったいどこに行ってしまったのか』

と、愁い悲しみ泣いたのです。

その時医師は、力士を慰めて言いました。

『あなたは今、嘆き悲しんでいますが、

あなたが戦っている間に珠はあなたの体の中に入ってしまったのです。

戦いの怒りの毒により珠はあなたの体の中に沈み込んでしまい、

どこにいったのか分からなくなっているだけですよ。』


力士は医者に言いました。

『もし、珠が体の中に入っているならば、膿や血などの不浄の症状が出てくるから分かるはずです。

もし、筋肉の間に入っているならば、その形が見えるはずです。

どうして、あなたはわたしに嘘をつくのですか。』


その時、医者は鏡で力士の顔を映し出したのです。

するとその鏡には珠が明らかに写っていたのです。

力士は、それを見て《不思議なこともあるものだ》と驚いたのです。



善男子よ、一切衆生も同じです。善知識に親近しないと、仏性があるとは言っても、

それが覆い隠されているゆえに、見ることが出来ないのです。

色情、憤り、愚痴などによって地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界に堕ち、身分さえも定まってしまう。

これらの業や縁は全て心が原因で起きるのです。

来世に於いて、譬え人身を受けたとしても、

聾唖、盲、などの二十五有の諸々の悪果を得ることとなります。

これらは、色情、憤り、愚痴などが心を覆ってしまい仏性を知ることが出来ないのが原因なのです。


彼の力士が珠が体の中にあるのに、なくしてしまったと嘆く。

衆生も同じで、善知識に親近することを知らないから、如来の秘密の法蔵を知ることが出来ないのです。

無我を修学しても聖とはなりません。

また、自我があると言っても、真の自我とは何かが分かっていないのです。

諸々の弟子の説法はこのようなもので、これは善知識に親近することを知らないからです。


また、無我を習い修めると言っても、無我とは何かを知らないのです。

真の無我を知らないのに、どうして真の自我を知ることが出来るのでしょうか。

善男子よ、如来が【すべての衆生には仏性がある】と明かすのは、

良医が力士に金剛宝珠があることを示すのと同じです。

これは、衆生は諸々の煩悩に覆い隠されて仏性を知ることが出来ないことを示します。

もし、煩悩が尽きればそれを知り得られると言うことが、

力士が鏡の中でその珠を見ると言うことなのです。

善男子よ、如来の法蔵は無量であり不思議なものなのです。