十方の三千世界の一つを切り取って、右の手のひらにのせ、それをこねて器を作り、

それを他方の微塵世界に置いたとしても、その中の衆生は誰一人、それに気づかないのです。

ただ、これを知る者のみがそれを知るだけなのです。仏界とはこのようなものなのです。


善男子よ、菩薩が大般涅槃経を知るとは、十方無量諸仏の三千世界を全て自分の内に入れるようなものです。

どうして、自分の内にある衆生を脅迫する必要があるのでしょうか。

人々が往ったり来たりしても、自分の内から出る者は誰もいない。

ただ、これを知る者のみがこれを知るのです。仏界とはこのようなものなのです。


また、菩薩が大般涅槃経を知るとは、

十方世界の中にある一つの塵の中で衆生が自由にしているようなものです。

どこを往来し何を思っても、衆生はその塵の中から出る事は出来ません。

ただ、これを知る者だけがこれを知るのです。仏界とはこのようなものなのです。



善男子よ、菩薩が大般涅槃経を知るとは、無量の神通変化を示現する事でもあります。

この神通変化ゆえに大般涅槃経と呼ぶのですが、

この菩薩が示すところの無量の神通変化は一切衆生では測り知る事は出来ません。

あなたが『如来は淫欲に溺れ、女に子をはらませた』と言うのも、この神通変化に依るのです。

善男子よ、わたしはすでにこの大般涅槃経に久しくあり、種々の神通変化を示現しているのです。

すなわち、この三千世界のあらゆる時に於ける、ありとあらゆる事象全てを示現しているのです。

即ち、ある経の中で『これは決して行ってはならない』と厳に禁止している事であったとしても、

それはわたしが三千世界の中で示現しているから現れるのです。

そして、このことを現すのが涅槃経なのです。