【あなたの見ていることを巻物に書いて、エフェソ、スミルナ、ペルガモン、

ティアティラ、サルディス、フィラデルフィア、ラオディキアの七つの教会に送れ。】




《あなた》

自ら見ない者は、この《あなた》の言葉を、過去のヨハネと言う人物としてしまう。

しかし、真に見る者はこの《あなた》の言葉を自分自身として受け止める。



《見る》

《見る》とは、認めることである。

人は言葉を見るが、それを認めない。

禁止の語句が書かれていても、それを自身が認めないために平気で破る。

平気で破っておいて、屁理屈を付けて、『わたしは禁止の語句を破っていない』

と語る。


破ったか、破っていないのかを判定するのはヤハウェの権威に属する。

人が、百千万億人集まり、証言しても無駄である。

神によらざれば、その百千万億人が、その罰を受けるからである。


つまり、自ら《わたしはJHVH》と宣言し、

そのJHVHの名に於いて語る以外に真実とすることは出来ない。


しかし・・・・・

わたし以外は誰も《わたしはJHVH》と公然と語り、その判定を示した者はいない。

これが事実である。



わたし以降の者は、《わたしはJHVH》と語る者が多くあるだろう。

わたしがわたしの権威を彼らに貸しだすからである。

これゆえ、彼らはJHVHの名や権威を持つと言えども、

貸主であるわたしの示す条件に違反するならば、

その名も権威も返さなくてはならなくなる。

これゆえ、わたしの言葉に違反するならば、

彼らはJHVHではなく、何の権威も力もない。