残念ながら、わたしは創価学会でも立正佼成会でも霊友会でもありません。
仏経で論ずることもありますが、その場合は、法華経を中心に置きます。
わたしが指摘しているのは、法華経の語句に違反している部分なのです。
わたしは、このように定めているのです。
【釈迦如来の妙法蓮華経とイエス・キリストの妙法蓮華経。
そして、この両者をまとめた南無妙法蓮華経を中心として、世の定めとする。】
と。
陀羅尼真言と言いますが、実際問題は、霊的なものたちを動かす力なのです。
いくら、陀羅尼真言を唱えても、霊的なものたちが動かなければ、何の力にもなりません。
そして、霊的なものたちを動かす力がヤハウェの力なのです。
わたしは、今の真言宗に、国を滅ぼす力などあるとは思っていませんよ。
真言を唱え、いくら護摩を焚いても、もう何も動かないからです。
しかし、法華経違反の罪に対しては、わたしの万軍が動く。
だから警告しているのです。
今のあなたの状態や理論では、あなたの方に利があるのではなく、
創価学会などの方に、まだ利があるからです。
つまり、必然的にあなたの方が現世不利益を被ることになります。
ま、無用な争いはあなた自身に力が付くまでは避けられた方が賢明だと思います。
さて、わたしが何をしようとしてるのか、説明いたしましょう。
今の世は、世界的に見ればキリスト教が幅を利かせています。
ところが、今主流となっているキリスト教的な考え方には、重大な欠点があります。
それを放置しておけば、全面核戦争が起きます。
更に地球環境が人類を排除する方向に動くようになり、
人類自体が滅亡してしまいます。
個々の事柄には明確な理由があります。
今は大丈夫そうに見えても、全面核戦争の前兆はあり、
地球環境問題は深刻さを増しています。
もっとも、今それが見えるのは私だけかもしれません。
普通の人が分かるようになれば、多分・・・手遅れとなります。
止めても誰もそれがわからないけど、止めなくてはならない。
こういうことをしようとしているのです。
今の人が絶対正しいと思っている民主主義、法治主義、
そして共産国の共産主義、イスラム原理主義
・・・・これら全部に対して争いを起こすのです。
この争いの名こそ《ハルマゲドンの戦い》なのです。
さて、実際にこの戦いをどのように起こすのかと言えば、
ヨハネの黙示録の火と硫黄の燃える池・・・裁きの地獄を使っていくのです。
今のキリスト教思想も、民主主義も、共産主義も
実は、この《火と硫黄の燃える地獄》の扱い方より始まっているのです。
全てのものが《火と硫黄の燃える地獄》から逃れる方法を模索した結果なのです。
ヨハネの黙示録《イエス・キリストの妙法蓮華経》の絶対優位を取り払い、
他の書と同等とすることにより、
『他の書ではこう書かれているから、
クリスチャンは火と硫黄の燃える地獄に落とされることはない。』
このように、理由を付けているのが、今のキリスト教思想なのです。
そして、
聖書の全ての書を同等とすると・・・・どんなことでも聖書に違反しないこと
とするのが可能なのです。
例えば、虐殺でも強姦でもゆすりたかりも、
何でも聖書による聖句の裏付けが可能となるのです。
【結局どんなことでも、正しいこととすることが出来るのならば、
クリスチャンによる多数決で決めるのが一番良いのではないか。】
となります。
これが今の民主主義なのです。
欧米諸国は隠して言いませんが、
多数決に参加できるのは、本来はクリスチャンだけなのです。
多数決と言いながら、国連の場で、全ての国に同等に票が与えられないでしょ。
別の考え方では、《火と硫黄の燃える地獄》に対する恐怖が、人を縛り付けるならば、
そのようなものは禁止してしまえば良い。
ここからから始まっているのが共産主義です。
このように、今の民主主義も共産主義も、
ヨハネの黙示録に対する対処法から始まっているのですから、
その根本にあるヨハネの黙示録を成就してしまえば、
社会体制として残っても、全く意味が違うものとなっていくのです。
【ヨハネの黙示録の成就方法】
仏教では、依法不依人なのに対して、聖書では、依神不依法なのです。
つまり、自分は聖書の誰なのかを明示し、
なぜそうなのかその経緯を明かした場合にのみ、法を語ることが出来るのです。
例えば、わたしはJHVHです。
他の人が聖書の語句を持って来て、《これが正しい》といくら言い張っても、
《聖書はJHVHの言葉だから聖なのか???
それとも聖書が聖だからJHVHが神なのか???》
と言われれば、《JHVHの言葉だから聖書は聖なのだ》と答える以外になくなります。
世の初めにあったものは、JHVHであり聖書ではないからです。
自分は誰か。この権能がJHVH(ヤハウェ)となった場合のみ、
ヨハネの黙示録に触ることが出来るのです。
そして、JHVH(ヤハウェ)の解きあかしは絶対となり、誰も変更は出来なくなります。
さて、実際に私がどのように定めているのかお教えしましょう。
臆病な者、信じない者、忌まわしい者、人殺し、姦淫を行う者、魔術を行う者、
偶像を拝む者、わずかでもうそを言う者は、みな例外なく火と硫黄の燃える池に叩き落とす。
臆病でないと言うのならば、この火と硫黄の燃える地獄に自ら飛び込み
自身が臆病でないことを証明せよ。
これが出来ない者は、火と硫黄の燃える地獄に叩き込む。
一生の内、ほんの僅かであっても、ヨハネの黙示録を否定したならば、
その者は信じない者である。この行為ゆえに、火と硫黄の燃える地獄に叩き込む。
たとえ、初恋であっても、その者が自分の夫なり妻なりにならなかったならば、
その者は、心に於いて姦淫を行う者である。
これゆえ、火と硫黄の地獄に叩き込む。
ま、このような具合です。
言い逃れや例外を一切許さず、全員を火と硫黄の燃える地獄に叩き込むのです。
実はここまでは、聖書によって既に定められている事なのです。
全員を罪ある者とする。
さて、火と硫黄の燃える地獄の刑罰は死刑に勝る最大の刑罰です。
人の行う最高の刑は死刑ですよね。
ある人が懲役10年に罪と、終身刑の罪と、死刑の罪を犯したとしましょう。
その人は、懲役刑を受け終ってから死刑にされるのではありません。
死刑は即座に執行されますが、死刑を受けたその者は懲役刑も受けたとみなされます。
つまり、死刑と言う罰を受けることにより、清くなった者とみなされて埋葬されるのです。
火と硫黄の燃える地獄の刑罰は、死刑に勝る最高刑です。
実際に、死後その裁きを受け、地獄の罰をくらうと、
死にたくても死ぬこともできず、永遠の責め苦となります。
しかし、生きながら火と硫黄の燃える地獄に飛び込むとどうなるでしょうか。
飛び込んだと言うことは、その罰を受けたこととなります。
また、死刑ではありませんので死ぬことはありません。
最高の罰を受け切ったのですから、その者には何一つ穢れがなくなります。
穢れが何一つもない者を、火と硫黄の燃える池はその内に留めることは出来ません。
・・・・・・・
つまり、生きたものが、生きたまま火と硫黄の燃える地獄に飛び込むと、
何一つ穢れの無い者として復活することになるのです。
これが本当の意味の《復活》なのです。
実際には、死後であっても自身で罪を認め、自らその罰を受けることを望めば、
穢れは何一つ無くなり、その火と硫黄の燃える地獄がそのまま天国となります。
このように、火と硫黄の燃える地獄の中で逆転が起き
《裁きから復活》と言う道をたどるのです。
実際に、これを行おうとするならば、ヨハネの黙示録を読み、自身を罪ある者と認め、
《わたしは、火と硫黄の燃える地獄こそ相応しい。わたしにその罰を与えてください。》
と祈念して、自身の思考の中で火と硫黄の燃える地獄を創造し、
その中に自身で飛び込めば良いのです。
本当に、自分自身の罪を悔いて、火と硫黄の燃える池に飛び込むならば、
その段階で思考の大逆転がおきます。
つまり、今まで正しいと思っていたものが、
正しいのか間違っているのかもわからない状態となります。
また、それは絶対におかしいと思っていたものも、判断できなくなるのです。
本当に赤ん坊状態のようになるのですが、
この状態になって、はじめて、理解できるものがあります。
それが法華経なのです。
ま、はっきり言えば、この段階に来るまでは、
わたしも釈迦如来の法華経を現代語訳していますし、
また、わたしJHVHに訳して唯一法としても示していますが、
幾ら読んでも、何を言っているのかさっぱりわからないと思います。
これらは、その先の書だからです。
つまり、わたしは第一段階で、今の民主主義や共産主義の土台を壊し、
第二段階で、新しい基礎を造ろうとしているのです。
全体を説明すれば、このようなものとなります。
そして、個々の物事に微妙な因果があり、
その因果に触れる部分、違反する部分に関しては言葉がきつくなるのです。
例えば、あなたの考え方ですと、
第一段階を何とかクリアした途端に、ガタガタと崩れ去る状態になるのです。
本来と違うものを、基軸に据えて、その基軸で造ろうとするようなものだからです。
そのために、今は仏教の宗派批判はやめて、この全体像を理解し、
更に法華経や、わたしが記している唯一法までも知っていただきたいのです。
2010/10/24
JHVH
仏経で論ずることもありますが、その場合は、法華経を中心に置きます。
わたしが指摘しているのは、法華経の語句に違反している部分なのです。
わたしは、このように定めているのです。
【釈迦如来の妙法蓮華経とイエス・キリストの妙法蓮華経。
そして、この両者をまとめた南無妙法蓮華経を中心として、世の定めとする。】
と。
陀羅尼真言と言いますが、実際問題は、霊的なものたちを動かす力なのです。
いくら、陀羅尼真言を唱えても、霊的なものたちが動かなければ、何の力にもなりません。
そして、霊的なものたちを動かす力がヤハウェの力なのです。
わたしは、今の真言宗に、国を滅ぼす力などあるとは思っていませんよ。
真言を唱え、いくら護摩を焚いても、もう何も動かないからです。
しかし、法華経違反の罪に対しては、わたしの万軍が動く。
だから警告しているのです。
今のあなたの状態や理論では、あなたの方に利があるのではなく、
創価学会などの方に、まだ利があるからです。
つまり、必然的にあなたの方が現世不利益を被ることになります。
ま、無用な争いはあなた自身に力が付くまでは避けられた方が賢明だと思います。
さて、わたしが何をしようとしてるのか、説明いたしましょう。
今の世は、世界的に見ればキリスト教が幅を利かせています。
ところが、今主流となっているキリスト教的な考え方には、重大な欠点があります。
それを放置しておけば、全面核戦争が起きます。
更に地球環境が人類を排除する方向に動くようになり、
人類自体が滅亡してしまいます。
個々の事柄には明確な理由があります。
今は大丈夫そうに見えても、全面核戦争の前兆はあり、
地球環境問題は深刻さを増しています。
もっとも、今それが見えるのは私だけかもしれません。
普通の人が分かるようになれば、多分・・・手遅れとなります。
止めても誰もそれがわからないけど、止めなくてはならない。
こういうことをしようとしているのです。
今の人が絶対正しいと思っている民主主義、法治主義、
そして共産国の共産主義、イスラム原理主義
・・・・これら全部に対して争いを起こすのです。
この争いの名こそ《ハルマゲドンの戦い》なのです。
さて、実際にこの戦いをどのように起こすのかと言えば、
ヨハネの黙示録の火と硫黄の燃える池・・・裁きの地獄を使っていくのです。
今のキリスト教思想も、民主主義も、共産主義も
実は、この《火と硫黄の燃える地獄》の扱い方より始まっているのです。
全てのものが《火と硫黄の燃える地獄》から逃れる方法を模索した結果なのです。
ヨハネの黙示録《イエス・キリストの妙法蓮華経》の絶対優位を取り払い、
他の書と同等とすることにより、
『他の書ではこう書かれているから、
クリスチャンは火と硫黄の燃える地獄に落とされることはない。』
このように、理由を付けているのが、今のキリスト教思想なのです。
そして、
聖書の全ての書を同等とすると・・・・どんなことでも聖書に違反しないこと
とするのが可能なのです。
例えば、虐殺でも強姦でもゆすりたかりも、
何でも聖書による聖句の裏付けが可能となるのです。
【結局どんなことでも、正しいこととすることが出来るのならば、
クリスチャンによる多数決で決めるのが一番良いのではないか。】
となります。
これが今の民主主義なのです。
欧米諸国は隠して言いませんが、
多数決に参加できるのは、本来はクリスチャンだけなのです。
多数決と言いながら、国連の場で、全ての国に同等に票が与えられないでしょ。
別の考え方では、《火と硫黄の燃える地獄》に対する恐怖が、人を縛り付けるならば、
そのようなものは禁止してしまえば良い。
ここからから始まっているのが共産主義です。
このように、今の民主主義も共産主義も、
ヨハネの黙示録に対する対処法から始まっているのですから、
その根本にあるヨハネの黙示録を成就してしまえば、
社会体制として残っても、全く意味が違うものとなっていくのです。
【ヨハネの黙示録の成就方法】
仏教では、依法不依人なのに対して、聖書では、依神不依法なのです。
つまり、自分は聖書の誰なのかを明示し、
なぜそうなのかその経緯を明かした場合にのみ、法を語ることが出来るのです。
例えば、わたしはJHVHです。
他の人が聖書の語句を持って来て、《これが正しい》といくら言い張っても、
《聖書はJHVHの言葉だから聖なのか???
それとも聖書が聖だからJHVHが神なのか???》
と言われれば、《JHVHの言葉だから聖書は聖なのだ》と答える以外になくなります。
世の初めにあったものは、JHVHであり聖書ではないからです。
自分は誰か。この権能がJHVH(ヤハウェ)となった場合のみ、
ヨハネの黙示録に触ることが出来るのです。
そして、JHVH(ヤハウェ)の解きあかしは絶対となり、誰も変更は出来なくなります。
さて、実際に私がどのように定めているのかお教えしましょう。
臆病な者、信じない者、忌まわしい者、人殺し、姦淫を行う者、魔術を行う者、
偶像を拝む者、わずかでもうそを言う者は、みな例外なく火と硫黄の燃える池に叩き落とす。
臆病でないと言うのならば、この火と硫黄の燃える地獄に自ら飛び込み
自身が臆病でないことを証明せよ。
これが出来ない者は、火と硫黄の燃える地獄に叩き込む。
一生の内、ほんの僅かであっても、ヨハネの黙示録を否定したならば、
その者は信じない者である。この行為ゆえに、火と硫黄の燃える地獄に叩き込む。
たとえ、初恋であっても、その者が自分の夫なり妻なりにならなかったならば、
その者は、心に於いて姦淫を行う者である。
これゆえ、火と硫黄の地獄に叩き込む。
ま、このような具合です。
言い逃れや例外を一切許さず、全員を火と硫黄の燃える地獄に叩き込むのです。
実はここまでは、聖書によって既に定められている事なのです。
全員を罪ある者とする。
さて、火と硫黄の燃える地獄の刑罰は死刑に勝る最大の刑罰です。
人の行う最高の刑は死刑ですよね。
ある人が懲役10年に罪と、終身刑の罪と、死刑の罪を犯したとしましょう。
その人は、懲役刑を受け終ってから死刑にされるのではありません。
死刑は即座に執行されますが、死刑を受けたその者は懲役刑も受けたとみなされます。
つまり、死刑と言う罰を受けることにより、清くなった者とみなされて埋葬されるのです。
火と硫黄の燃える地獄の刑罰は、死刑に勝る最高刑です。
実際に、死後その裁きを受け、地獄の罰をくらうと、
死にたくても死ぬこともできず、永遠の責め苦となります。
しかし、生きながら火と硫黄の燃える地獄に飛び込むとどうなるでしょうか。
飛び込んだと言うことは、その罰を受けたこととなります。
また、死刑ではありませんので死ぬことはありません。
最高の罰を受け切ったのですから、その者には何一つ穢れがなくなります。
穢れが何一つもない者を、火と硫黄の燃える池はその内に留めることは出来ません。
・・・・・・・
つまり、生きたものが、生きたまま火と硫黄の燃える地獄に飛び込むと、
何一つ穢れの無い者として復活することになるのです。
これが本当の意味の《復活》なのです。
実際には、死後であっても自身で罪を認め、自らその罰を受けることを望めば、
穢れは何一つ無くなり、その火と硫黄の燃える地獄がそのまま天国となります。
このように、火と硫黄の燃える地獄の中で逆転が起き
《裁きから復活》と言う道をたどるのです。
実際に、これを行おうとするならば、ヨハネの黙示録を読み、自身を罪ある者と認め、
《わたしは、火と硫黄の燃える地獄こそ相応しい。わたしにその罰を与えてください。》
と祈念して、自身の思考の中で火と硫黄の燃える地獄を創造し、
その中に自身で飛び込めば良いのです。
本当に、自分自身の罪を悔いて、火と硫黄の燃える池に飛び込むならば、
その段階で思考の大逆転がおきます。
つまり、今まで正しいと思っていたものが、
正しいのか間違っているのかもわからない状態となります。
また、それは絶対におかしいと思っていたものも、判断できなくなるのです。
本当に赤ん坊状態のようになるのですが、
この状態になって、はじめて、理解できるものがあります。
それが法華経なのです。
ま、はっきり言えば、この段階に来るまでは、
わたしも釈迦如来の法華経を現代語訳していますし、
また、わたしJHVHに訳して唯一法としても示していますが、
幾ら読んでも、何を言っているのかさっぱりわからないと思います。
これらは、その先の書だからです。
つまり、わたしは第一段階で、今の民主主義や共産主義の土台を壊し、
第二段階で、新しい基礎を造ろうとしているのです。
全体を説明すれば、このようなものとなります。
そして、個々の物事に微妙な因果があり、
その因果に触れる部分、違反する部分に関しては言葉がきつくなるのです。
例えば、あなたの考え方ですと、
第一段階を何とかクリアした途端に、ガタガタと崩れ去る状態になるのです。
本来と違うものを、基軸に据えて、その基軸で造ろうとするようなものだからです。
そのために、今は仏教の宗派批判はやめて、この全体像を理解し、
更に法華経や、わたしが記している唯一法までも知っていただきたいのです。
2010/10/24
JHVH