ヨハネの黙示録第21章  まとめ

      (この21章以降は、今までの神の言葉を人の言葉に直す作業が制限されてます)


ポイントは、あなた自身が入ることが出来る位置です。




黙示録は、あなた自身が神であるあかしをたてる。

「知りなさい。神の幕屋は人の間にあって、神は人と共に住み、人は神の一人のごとくなる。

神は自ら人と共にいて、人の神となり、人の心より滅びを拭い取ってくださる。

もはや、人が再び闇に落ちることはなく、闇の悲しみも嘆きも、闇から抜け出す労苦もない。

人々が考えるところの天に至ったからである。」




あなたは、自ら神としてあかしをたてる。

「知りなさい。わたしは万物を新しくする。」

「あかししなさい。これらの言葉は信頼でき、また真実である。」



また、あなたは、このように証しする。

「わたし自身が神の玉座に着くことにより、すべては成就した。

わたしはヨハネの黙示録の一字一句であり、初めであり、終わりである。

悟りの欲しい者には、命の思考の源から価なしに悟らせよう。

勝利を得る者は、これらのものを受け継ぐ。わたしはその者の神となり、

その者はわたしの子となる。しかし、臆病な者、不信仰な者、忌まわしい者、

人を殺す者、みだらな行いをする者、魔術を使う者、偶像を拝む者、

すべて嘘を言う者、このような者たちに対する報いは火と硫黄の燃える池である。

これが、天地の境地の変化である。」


さて、あなたは聖なる災いの満ちた黙示録を受け、そして授ける天使でもあるが

イエス・キリスト花嫁たる思想とは、新エルサレムの名で呼ばれ、

神により示され導かれれる。未来まで届く崇高な思想とすべての人々に開かれる

入り口があり、すべての人の名が刻み付けてある。神と対等なメシアたる人全ての名である。

この崇高な思想には、

律法を定めるあかしがあり、

裁きを定めるあかしがあり、

しるしを定めるあかしがあり、

さらに、聖書以外の聖典によるあかしもある。

この崇高な思想の土台となっているのは、ヨハネの黙示録の証しであり、

ヨハネの黙示録のあかしによるイエス・キリストの使徒の名が刻み付けられている。



新エルサレムは、ヨハネの黙示録により定められるもので、

その、地域的なひろがりも、どの生物まで解釈を広げるかも、

またどの程度の未来まで見通すべきかも、全て人の裁量に任されている。

また、どこまでを新エルサレムに含むかは、

『人が自ら神になる』範囲までである。


また、人が自ら神になるように導く働きと、最高の不動の根本により、

新エルサレムは定められる。

人は、この最高の不動の根本により行動する。



新エルサレムの中に更なる聖所はない。

全能者である神、主と子羊としてあなたがあり、あなた自身が神殿であるからである。

この都には、これを照らす南無妙法蓮華経も、釈迦仏教も、コーランも必要ではない。

あなた自身の栄光が都を照らし、あなた自身のイエス・キリストとしての姿が

都の明かりだからである。人々はその栄光の中を歩き、闇にある我々は、自らの

栄光を携えてこの都に来る。この都の入り口は決して閉ざされることはない。

人は全てを知ることができるからである。

人々は、いろいろな栄光と誉れとを携えて都に来る。

しかし、汚れた者、忌まわしいことと偽りを行う者は誰一人、

決して都に入れない。自ら神、イエス・キリストと名乗れる者だけが入れる。