サタンだとか、666の獣だとか、いろいろなものの根本になっている部分です。
まず、何がこれら一つ一つに当るかと言うことが問題となります。
まず、竜とかサタンとか呼んでいるものは何かというと・・・・・・実は聖書なのです。
正確に言えば、聖書という個別のものを指すのではなく、
条件つきの聖典と呼ばれるものを指しますが、解りやすくします。
その聖書の目的は、あなた自身を『神の座』に座らせることにあります。
この目的が達成されると、神の座に着いたあなたには無用の物となります。
このため、地に対して示されるのです。
次に、海からの獣ですが、これはイエス・キリストを示します。
また、あなた方が信仰の対照とするものを指します。
しかし、聖書を見て人々が思い描くイエス・キリストです。
最初はおとなしいのですが、このイエス・キリストは聖書に書いてないことを
しゃべり始めます。皆さまどうでしょう。
皆さまの神やイエスは、聖書に書いてないことを、さも書いてある事のように
言いませんか。理由は簡単です。
先に人の考え、気持ちがあり、それを補強するように、聖書の語句を並べて、
さも絶対のことのようにしているのです。
人の思考の集合体が、この神や、イエス・キリストを作っているから、
善意であれ、悪意であれ、適当に何でも、イエスの名を使って
正しい事のように言う人々が出てくるのです。
最後に地の獣ですが、これは混沌を治める土台みたいなものです。
聖書のように戒律を定め、罰則を定めます。
これを補強するために、先のイエス・キリストを使うわけです。
そして、それを絶対のものとして作り上げ、人々を洗脳し、
自らの権威を、宗教的な権威よりも上にしてしまいます。
つまり、神も、何もかもそれによらなくてはならない状態を作り上げます。
この条件に今日当てはまるのは、民主主義になると思います。
まず、何がこれら一つ一つに当るかと言うことが問題となります。
まず、竜とかサタンとか呼んでいるものは何かというと・・・・・・実は聖書なのです。
正確に言えば、聖書という個別のものを指すのではなく、
条件つきの聖典と呼ばれるものを指しますが、解りやすくします。
その聖書の目的は、あなた自身を『神の座』に座らせることにあります。
この目的が達成されると、神の座に着いたあなたには無用の物となります。
このため、地に対して示されるのです。
次に、海からの獣ですが、これはイエス・キリストを示します。
また、あなた方が信仰の対照とするものを指します。
しかし、聖書を見て人々が思い描くイエス・キリストです。
最初はおとなしいのですが、このイエス・キリストは聖書に書いてないことを
しゃべり始めます。皆さまどうでしょう。
皆さまの神やイエスは、聖書に書いてないことを、さも書いてある事のように
言いませんか。理由は簡単です。
先に人の考え、気持ちがあり、それを補強するように、聖書の語句を並べて、
さも絶対のことのようにしているのです。
人の思考の集合体が、この神や、イエス・キリストを作っているから、
善意であれ、悪意であれ、適当に何でも、イエスの名を使って
正しい事のように言う人々が出てくるのです。
最後に地の獣ですが、これは混沌を治める土台みたいなものです。
聖書のように戒律を定め、罰則を定めます。
これを補強するために、先のイエス・キリストを使うわけです。
そして、それを絶対のものとして作り上げ、人々を洗脳し、
自らの権威を、宗教的な権威よりも上にしてしまいます。
つまり、神も、何もかもそれによらなくてはならない状態を作り上げます。
この条件に今日当てはまるのは、民主主義になると思います。