皆さま、お気づきだとは思いますが、わたしのポイント整理いたしますね。
1)わたしは、あなた方のことをほとんど知りません。
良く家にいらっしゃいますが、暇で相手が若い女の人なら鼻の下で~んと伸ばして
おもしろ半分で聞くこともありますが、おばさんなら目の前で扉ぴしゃです。
2)ヨハネの黙示録をいじっているのは『目覚めよ』という言葉で十分わかります。
3)ここ、ポイントね。
花の舞さまへの手紙。わたしが書いているのは予言です。
ヨハネの黙示録をわたしの解き方で解くと、間違えた解き方をしている
あなた方の救いは、こういう救いになり、他の人をこのようにしている。
これは、このような理由であり、
ヨハネの黙示録は、これをこのように裁く。
わたし何も見たわけではありません。わたしの解き方でヨハネの黙示録を解くと、こう言う内容
が入っているから、それをそのまま書いているだけです。
4)これに対して皆さまは、やれ失礼だの、われわれは姦淫をしないだの・・・・・スケートリンク
状態。滑りまくりですね。
これ、どういう事かというと、あなた方、皆さまで
『わたしの解き明かしは正しい』と結論付けた上での言葉ですよね。
つまり、それだけ現実に近かったのでしょう。いや、現実そのものかも知れませんね。
よく、お考えください。
これらは、すべてわたしの方法で解き明かしたヨハネの黙示録に入っているのです。
そして、わたしの解き明かしには最後の結論まで一貫して入ってますよね。
つまり、あなた方は認めた時点で、最後の結論まで一貫して受け入れる以外にないのです。
これは、わたしの予言なのですから。
結論として、あなた方は、『わたしたちは間違えてヨハネの黙示録を解いています』
そして、わたしに対して、『あなたの解き明かしは正しい』
と言っていることになりますよね。
あとは、うわすべりの遊びの文章です。
どのように、答えたら良かったんですか。
われわれは、・・・・・の・・・・・の権能に基づき、ヨハネの黙示録を解き、
それを導きに使用しています。
あなたは、こういう予言をされましたが、われわれはこう言う考えにに基づき、
こう言うことを行っているのであって、あなたの言葉は当たりません。
そのため、われわれはあなたの解き明かしも予言も外れているのではないかと考えます。
ただ、単純に机の上だけで考えられても無駄だと思いますので、
我々の主張を聞きに・・・・・にお越しください。
対等になるためには、最低でもこの程度の言葉は必要ですよね。
では、個々の内容についてお答えいたします。
一人一人が神と向き合う時とは、あなたが死ぬときです。
死んだあと、一人一人が神さまに対して申し開きしなくてはなりません。
申し開きが出来なければ、即、地獄送りです。
あなたが死ぬとき、組織が助けてくれますか。どんな立派な組織でも無理です。
『死者を葬うのは、死者に任せよ』
とイエスも言われております。誰にも、助けてもらえません。
黙示録の21章の言葉は、
あなたを地獄に送るかどうかの判定のためにあります。
なぜなら、黙示録は成就されておらず、聖書としてそのまま残っているからです。
神は、自ら語られたことを自ら果たされます。
そうしなければ、神の国は成り立たないからです。
あなたは、死んだあと、神の前に引き出され、聖書に書いてある通り尋ねられます。
『あなたは、臆病な者か』
『あなたは、不信仰な者か』
『あなたは忌まわしい者か』
『あなたは人を殺す者か』
『あなたはみだらな行いをする者か』
『あなたは魔術を使う者か』
『あなたは偶像を拝む者か』
『あなたはうそを言う者か』
そして、今回のわたしの言葉により、『あなたはみだらな行いをする者か』の問いに対して、
言い訳ができなくなっただけです。
どれか一つ、言い訳が出来なくても地獄に落とされます。
何回も言いますが、あなたが死ぬとき、死んだ後の裁きです。
組織は何も助けてくれません。聖書に『組織に入れば免れる』と書いてないからです。
聖書にないことを僅かでも定めるためには、権威と権能が必要です。
誰でも、書き換えることが出来るのならば、聖書は意味がありません。
ヨハネの黙示録には、付け加えるな、差し引くな、の言葉があります。
この言葉を破る、権威と権能を聞いているのです。
組織に聞いているのではありません。
あなた方一人一人に、どうされますか。と聞いているのです。
誰も助けてくれない、あなた一人だけの世界。
そうあなたは死んだのだ。
あなたは、神の前に呼び出される。
もはや遅い。
神が口を開かれる。
隣に地獄の炎が見える。
最後の審判の時が来たのだ。
そら、大きな黒い影が、あなたを地獄に突き落とそうと身構えている。
あなたは、神に何を言うのか『愛』か。
あなたの偽りの『愛』か。
その愛で神が納得されるか。
主イエスは、自ら犠牲になられる愛を示された。
あなたの『愛』は、どうか。
あなたは、自らが救われるため多くの人を犠牲にし、
それを『愛』と呼んだのではないのか。
さあ、神が口を開かれる。
あなた裁くために。
1)わたしは、あなた方のことをほとんど知りません。
良く家にいらっしゃいますが、暇で相手が若い女の人なら鼻の下で~んと伸ばして
おもしろ半分で聞くこともありますが、おばさんなら目の前で扉ぴしゃです。
2)ヨハネの黙示録をいじっているのは『目覚めよ』という言葉で十分わかります。
3)ここ、ポイントね。
花の舞さまへの手紙。わたしが書いているのは予言です。
ヨハネの黙示録をわたしの解き方で解くと、間違えた解き方をしている
あなた方の救いは、こういう救いになり、他の人をこのようにしている。
これは、このような理由であり、
ヨハネの黙示録は、これをこのように裁く。
わたし何も見たわけではありません。わたしの解き方でヨハネの黙示録を解くと、こう言う内容
が入っているから、それをそのまま書いているだけです。
4)これに対して皆さまは、やれ失礼だの、われわれは姦淫をしないだの・・・・・スケートリンク
状態。滑りまくりですね。
これ、どういう事かというと、あなた方、皆さまで
『わたしの解き明かしは正しい』と結論付けた上での言葉ですよね。
つまり、それだけ現実に近かったのでしょう。いや、現実そのものかも知れませんね。
よく、お考えください。
これらは、すべてわたしの方法で解き明かしたヨハネの黙示録に入っているのです。
そして、わたしの解き明かしには最後の結論まで一貫して入ってますよね。
つまり、あなた方は認めた時点で、最後の結論まで一貫して受け入れる以外にないのです。
これは、わたしの予言なのですから。
結論として、あなた方は、『わたしたちは間違えてヨハネの黙示録を解いています』
そして、わたしに対して、『あなたの解き明かしは正しい』
と言っていることになりますよね。
あとは、うわすべりの遊びの文章です。
どのように、答えたら良かったんですか。
われわれは、・・・・・の・・・・・の権能に基づき、ヨハネの黙示録を解き、
それを導きに使用しています。
あなたは、こういう予言をされましたが、われわれはこう言う考えにに基づき、
こう言うことを行っているのであって、あなたの言葉は当たりません。
そのため、われわれはあなたの解き明かしも予言も外れているのではないかと考えます。
ただ、単純に机の上だけで考えられても無駄だと思いますので、
我々の主張を聞きに・・・・・にお越しください。
対等になるためには、最低でもこの程度の言葉は必要ですよね。
では、個々の内容についてお答えいたします。
一人一人が神と向き合う時とは、あなたが死ぬときです。
死んだあと、一人一人が神さまに対して申し開きしなくてはなりません。
申し開きが出来なければ、即、地獄送りです。
あなたが死ぬとき、組織が助けてくれますか。どんな立派な組織でも無理です。
『死者を葬うのは、死者に任せよ』
とイエスも言われております。誰にも、助けてもらえません。
黙示録の21章の言葉は、
あなたを地獄に送るかどうかの判定のためにあります。
なぜなら、黙示録は成就されておらず、聖書としてそのまま残っているからです。
神は、自ら語られたことを自ら果たされます。
そうしなければ、神の国は成り立たないからです。
あなたは、死んだあと、神の前に引き出され、聖書に書いてある通り尋ねられます。
『あなたは、臆病な者か』
『あなたは、不信仰な者か』
『あなたは忌まわしい者か』
『あなたは人を殺す者か』
『あなたはみだらな行いをする者か』
『あなたは魔術を使う者か』
『あなたは偶像を拝む者か』
『あなたはうそを言う者か』
そして、今回のわたしの言葉により、『あなたはみだらな行いをする者か』の問いに対して、
言い訳ができなくなっただけです。
どれか一つ、言い訳が出来なくても地獄に落とされます。
何回も言いますが、あなたが死ぬとき、死んだ後の裁きです。
組織は何も助けてくれません。聖書に『組織に入れば免れる』と書いてないからです。
聖書にないことを僅かでも定めるためには、権威と権能が必要です。
誰でも、書き換えることが出来るのならば、聖書は意味がありません。
ヨハネの黙示録には、付け加えるな、差し引くな、の言葉があります。
この言葉を破る、権威と権能を聞いているのです。
組織に聞いているのではありません。
あなた方一人一人に、どうされますか。と聞いているのです。
誰も助けてくれない、あなた一人だけの世界。
そうあなたは死んだのだ。
あなたは、神の前に呼び出される。
もはや遅い。
神が口を開かれる。
隣に地獄の炎が見える。
最後の審判の時が来たのだ。
そら、大きな黒い影が、あなたを地獄に突き落とそうと身構えている。
あなたは、神に何を言うのか『愛』か。
あなたの偽りの『愛』か。
その愛で神が納得されるか。
主イエスは、自ら犠牲になられる愛を示された。
あなたの『愛』は、どうか。
あなたは、自らが救われるため多くの人を犠牲にし、
それを『愛』と呼んだのではないのか。
さあ、神が口を開かれる。
あなた裁くために。