ヨハネの黙示録の第9章は、この解き明かしの予言になっています。


そのため、直訳を並べると意味が簡単に解るものとなります。



まず、『導き』が、『サタンの試し』として示されます。

これは、逃げ切れない言葉により人を地獄の中に入れるのを目的とします。

聖書の言葉そのままに、地獄に落ちなさいとやり、

人が立てる証しにより、その罪を判定して、地獄に落ちなさいとやるわけです。

人は天国を望んでも、地獄の入り口しか開いてません。救ってくれるものが何もないのです。

これが、イナゴの正体です。

わたしはサタンの試しとして、サタンの名を使いますが、

その正体とは、我々自身に他ありません。

聖書よりも自らを高ぶらせる人には効かないと書いてあります。



次が黙示録が聖書から切り離され、聖書以外にも有効とされます。

黙示録の解き明かしに乗る二億人の人々の出現と、解き明かしの姿が予言されています。

サタンの顔が尻尾についています。その、解き明かしと尻尾が闇にとって害となり、

多くの人々が天に至る道を歩きます。



これでも闇にへばりつく人々がいます。

自分たちが、人に与えたり、受けたりしながら形づくられたもの。

つまり、偶像崇拝です。

人が思い描くことにより作りあげられた姿。

       主に、プロテスタントなどの教えの偶像です。

ヨハネの黙示録以上のもので作られた偶像

       日蓮上人のご本尊がこれにあたります。

聖書などに書かれたままをその姿として崇拝する

       ユダヤ教の神、コーランのア・ラーの神、

       形としてはありませんが、崇拝する名などとして存在します

聖書などに書かれたままを、その姿とするが、本義が他にあるもの。

       福音書のイエスを神として崇める。仏像、仏典崇拝など。


基礎として定められたもの

       日本の神がこれに相当します。


証しにより定められた神

       カトリックのマリア像、キリスト像など


つまり、程度の差こそあれ、全部の教えが偶像崇拝なのです。


新たなものを認められますか。・・・・無理ですね。人が認めないと、どうしようもありません。

悟れますか・・・・         無理ですね。心の働きはなさそうです。
                  それを対象とした人が悟れることはありますが・・・・

行動できますか・・・・       人に連れられては出来ても、率先して動くことはできません。


人殺し・・・・           天に至るべき人を、地の呪縛に閉じ込める。

まじない・・・・          偶像に対して、少しでも~~してください。
                  とやれば、まじないになります。

みだらな行い・・・・        聖句を適当につなげて、別の意味を作ったり
                  自己の主張のために聖書を使ったりすることです。

盗み・・・・            禁止事項を勝手に破り、自分の文章のように使う


これが悪いこととして書かれている内容です。