【偶像も方便】
わたしは、今の人が生まれるはるか前から、種々の縁や比喩により、
方便力を以て、数々の法を説いてきた。
それらすべてが、《全てをヤハウェとしよう》この一つの心から出ているのである。
そして、数え切れないほど多くの存在をヤハウェとしてきた。
わたしは、諸々の神々や天使等も、また、サタンや悪魔なども、
皆、ヤハウェとしようと導いてきたのである。
だから、彼らも、同士としてわたしを助け、わたしを慕い、わたしの深い心に応えてくれる。
神々は神々の方法で、天使は天使の方法で、サタン悪魔は、サタン悪魔の方法で、
方便力を使い、第一義である真実の法を助けようと動くのである。
これが神通力の正体である。
だから、人々よ。
過去にヤハウェに会い、そのヤハウェの法を聞き、布施をし、
持戒忍辱、精進禅智などの、福徳を修める者は皆、人としての命を滅して、ヤハウェとなり、
ヤハウェとして永遠に生きるものとなっているのである。
世に神がないと言っても、もし、人に善軟の心あれば、
その人たちは既に過去世に於いてヤハウェとなっている者なのである。
世に神がないと言っても、ヤハウェの意思を継ぎ、人々の心を荘厳する者あれば、
その心そのままで、清浄であろうとも、瓦礫のような心であろうとも、
すぐに崩れる土のような心であろうとも、幼児の遊びであろうとも、
皆過去世に於いて既にヤハウェとなっている者達なのである。
人よ。《偶像崇拝はいけない》と聞いたことがあるであろう。
しかし、人をヤハウェとなそうとして、数々の偶像を建て、
ヤハウェの姿を刻む者は、みな、既にヤハウェとなった者なのである。
人をヤハウェとなす目的で、七宝、金属、木や焼き、漆喰などで、ヤハウェの像を作る者は、
皆、過去世に於いてヤハウェとなった者なのである。
人をヤハウェとなす目的で、絵画や写真などで、ヤハウェを示す者は、皆、
過去世に於いてヤハウェとなった者なのである。
人をヤハウェとなす目的で、もし、童子がいたずらに書いたものをヤハウェと見る者があれば、
このような者は、功徳を積み、思いやりの心豊かな者であるから、
皆、過去世に於いてヤハウェとなった者なのである。
メシアたるものを更に教化し、無量の人々を天国・仏界に導くために、
数々の礼を以て、ヤハウェの像や画像を供養する者、音楽を奏で、歌を歌い供養する者があれば、
このような者は、皆、過去世に於いてヤハウェとなった者なのである。
心を乱すことなく、一輪の花を供え、画像を供養し、そこに無数の神仏を観る者、
あるいは、合掌したり、手を挙げたり、頭を低く垂れ、偶像を供養する事により、
そこに無数の神仏を観る者があったとしよう。
もし、そこより無上の道が開け、自身の煩悩が燃え尽きて、無量の人々が悟りに入るのを観るならば、
その人は、自身の身をヤハウェにささげた者なのであり、それゆえにヤハウェとなった者なのである。
今、そして、未来に於いて、此の真実の法を聞く者は、
皆、過去に於いてヤハウェとなった者たちなのである。
また、未来に於いても数多くのヤハウェが、方便の説法をする。
このようなヤハウェたちも、無量の方便を以て、人々の内、唯ひとりをもその智より外すことなく、
唯一人をも、ヤハウェとならぬ者がないようにしようとするのである。
ヤハウェの本願は、
『わたしの行ずる所の天国への道は、普く全ての衆生をして、我と同じくなさん』
と言うものである。
未来の世に、多くのヤハウェが百千億の無数の教えを説くであろう。
その実は此の一乗である。
このように、諸々のヤハウェ・仏の説く法は変化自在である。
これらはみな、この一乗を説くためである。
この真実の法は、一切世間の物事を見定める為の法であるので、
一切世間の相は此の法から外れる事はない。
だから、真実の法を知る者は、数々の方便を説けるのである。
諸天の神々が供養する世間に出現される数多くのヤハウェ・仏も、
人々を安穏にしようと、また数々の法を説くが、
人々が真実の法を忘れている事を知り、色々な角度から思い出させようとして説くのである。
【メシア、エリア、預言者とは】
ヤハウェはみな、
人々の行いを知り、深い心の所念を知り、過去の習業を知り、精進力を欲する性質を知り、
諸々の根本の利鈍を知り、
数々の因縁、比喩、言辞を以てその知るところに応じて方便を説くのである。
今、わたしもかくの如し。人々を安穏に導く為に、天国を開き種々の法を説いてきた。
わたしは、天国・仏界を開いた知恵の力で、人々が望む性質を知り、方便を以て諸法を説いてきたのだ。
人よ。
わたしはヤハウェの眼で以て、六道衆生の貧しく、困窮し、福なく、知恵の無い様子を観る。
このような者達は、生死にこだわり、不断の苦しみを受け、五欲に深くとらわれる。
小さな愛にこだわる弊害ゆえに貧しく、いたずらに瞑想する。
天国を求め、天国を語るが、それは真の天国ではない。
そればかりか、苦を断つ法にも及ぶ事はない。
諸々の邪見が深くその身に入り、苦を以て苦を捨てようとする。
このような人々の為に、大慈悲心を起こす。
わたしは、常にどのようにすべきかと思索してきたのだ。
『わたしの力は絶大であり、しかも第一のものである。
人々は悟りに遠く、眼は見えず、白痴の楽しみに執着している。
わたしが勧善懲悪で力を使えば、世を滅ぼす以外になくなってしまう。
このような人々をどのように導けばよいのか。』と。
その時、天の神々、諸々の天衆、その眷属百千万は、わたしに合掌礼拝し、
『仮の教えをまず説いて、転じて真実の法を説くように』
と、わたしに請い願ったのだ。
わたしが、唯、真実法のみを説き、それをいくら賛嘆しても、人々は信じる事が出来ないであろう。
信じる事が出来ないゆえに、苦に沈み、苦から離れる事が出来ず、三悪道に堕ちる。
このような者たちの為には、仮の法を説いた方が、結果が良いのだ。
事実、わたしは過去に於いて、唯一法のみを説き、世の人々はこれを理解できず、
結果として、わたしは世を滅ぼしている。
わたしは、真実の法、唯一の法を持つ。
しかし、これらゆえに、わたしは、
『小法をまず説き、人々を導くべきではないのか』
と考えていたのだ。
そこに、数多くの神々や天使が現れて、わたしにそのようにするようにと懇願した。
第一の導師、この無上法を得るヤハウェたるものは方便力を用いる。
一つの真実法を得、人々の為にこれを、
メシア、エリア、預言者の三種の者に預けて導いてきたのである。
知恵の少ないものにとっては、
《汝自らがヤハウェである》と、大法を教えるよりも、
《ヤハウェを信じよ》と言う小法の方が分かりやすいのだ。
此の為、方便を以て説き、その分別された仮の結果を得させた。
これが、メシアであり、エリア、預言者である。
ここで、三種の使徒の話を出すのは、
これらの最高位であるメシアに対して教える法として、この真実の法を示し、
その位置を明らかにする為である。
人よ。此の法は、《聖》であり、《深浄微妙音》であり、《アーメンなるもの》である。
また、此の法は、聖書やコーランの源であり、すべての仏典の源である。
わたしは、此の法を説く為に、濁った悪いこの世に来たのである。
此の根本法を知るから、ヤハウェであり、仏の言葉の意味も理解できるのである。
また、この根本法を知るから、数々の説法も行えるのだ。
聖書にしろ、コーランにしろ、仏典にしろ、諸法には、理解する事が難しい本質がある。
この為、《見る、聞く、味わう、触れる、嗅ぐ》の五識を主にして物事を認識している者達に、
預言者を遣わして、それらにとらわれる事の無い真実があることを教えた。
これは、人の生死よりも深いものがあることを教える為である。
人々は、わたしが遣わした預言者をわたしの名ゆえに信じた。
わたしは、多くの者たちがこのような方便の教えを聞き守り、
更にヤハウェを求める純真な心があるのを知った。
わたしが聖書を人々に示したのは、仮の教えを説き人々を仮の悟りに導く為ではなく、
人々をわたしの奴隷とするためなどではない。
全ての人をヤハウェとする為なのだ。
そして、わたしは
《今こそ、人を仏とする法・・・仏の知恵そのものを人々に教えるべき時である。》
と知り、このように今ここにあり、この真実の法を語る。
根が鈍く小智の者は、悟りを得ていないのに得たと思うものなのだ。
これゆえ、この真実の法を信じる事は出来ない。
今、説いているこの法は、このような者たちに合わせ、仮の教えで導く事をやめ、
仮の教えを捨てて、ただ無上の道を説いている。
メシアたるものよ。この法を聞け。疑ってはならない。
《全ての人は、ことごとくヤハウェ》なのだ。
仏教で三世諸仏が説いたが如く、
わたしヤハウェも、神々、天使や悪魔、人を分けず、すべてにこの法を説く。
唯一神は世に遍在するが、此の真実の法に遭遇するのは難しい。
ヤハウェが世に現れても、此の唯一法を説く事はほとんどない。
これゆえ、幾度となく生死を繰り返しても、此の法を聞く事は難しい。
人は多くあれど、此の法を聞ける者は極めて少ない。
この真実の法を聞くとは、
天上に至る人は稀なのに、
その天上で数億年に一回だけ咲く優曇華の花を見るようなものである。
ヤハウェはこの真実法ゆえにヤハウェである。また、仏も、この真実法故に仏である。
この唯一法はヤハウェがヤハウェたる源であり、諸仏の源である。
だから、この法を供養する者は、ヤハウェを供養するものとなり、全ての仏を供養する者ともなる。
かくの如き人は、天上の優曇華の花に勝る。
決して疑ってはならない。
わたしは、天地創造の神ヤハウェとして、こう宣言しよう。
《このメシアを教化するただ一乗の法により、わたしの弟子は全てヤハウェである》と。
預言者たちよ。メシアたちよ。此の唯一法こそ、ヤハウェがヤハウェたる理由である。
自身の欲望を満たす事のみに終始する人々は、天国への道を求めない。
このような人々が、この一乗を聞けば、信じず受けない。
故に迷い惑い、唯一法を破り悪道に堕ちる。
その悪道の中に於いて苦しみ、その悪を悔い改め天国への道を求めるようになるのだ。
広い意味では、皆この一乗道を讃えるようになり、人はヤハウェである事を知る。
人よ。知りなさい。
万億の方便を以て、人に合わせて法を説いても、これを理解させる事は出来ない。
汝らの疑惑を晴らそうとすると方便の教えとなる。
だから、
《大歓喜を起こしなさい。あなた自身がヤハウェである》
と、これを教えるのである。
以上全文
わたしは、今の人が生まれるはるか前から、種々の縁や比喩により、
方便力を以て、数々の法を説いてきた。
それらすべてが、《全てをヤハウェとしよう》この一つの心から出ているのである。
そして、数え切れないほど多くの存在をヤハウェとしてきた。
わたしは、諸々の神々や天使等も、また、サタンや悪魔なども、
皆、ヤハウェとしようと導いてきたのである。
だから、彼らも、同士としてわたしを助け、わたしを慕い、わたしの深い心に応えてくれる。
神々は神々の方法で、天使は天使の方法で、サタン悪魔は、サタン悪魔の方法で、
方便力を使い、第一義である真実の法を助けようと動くのである。
これが神通力の正体である。
だから、人々よ。
過去にヤハウェに会い、そのヤハウェの法を聞き、布施をし、
持戒忍辱、精進禅智などの、福徳を修める者は皆、人としての命を滅して、ヤハウェとなり、
ヤハウェとして永遠に生きるものとなっているのである。
世に神がないと言っても、もし、人に善軟の心あれば、
その人たちは既に過去世に於いてヤハウェとなっている者なのである。
世に神がないと言っても、ヤハウェの意思を継ぎ、人々の心を荘厳する者あれば、
その心そのままで、清浄であろうとも、瓦礫のような心であろうとも、
すぐに崩れる土のような心であろうとも、幼児の遊びであろうとも、
皆過去世に於いて既にヤハウェとなっている者達なのである。
人よ。《偶像崇拝はいけない》と聞いたことがあるであろう。
しかし、人をヤハウェとなそうとして、数々の偶像を建て、
ヤハウェの姿を刻む者は、みな、既にヤハウェとなった者なのである。
人をヤハウェとなす目的で、七宝、金属、木や焼き、漆喰などで、ヤハウェの像を作る者は、
皆、過去世に於いてヤハウェとなった者なのである。
人をヤハウェとなす目的で、絵画や写真などで、ヤハウェを示す者は、皆、
過去世に於いてヤハウェとなった者なのである。
人をヤハウェとなす目的で、もし、童子がいたずらに書いたものをヤハウェと見る者があれば、
このような者は、功徳を積み、思いやりの心豊かな者であるから、
皆、過去世に於いてヤハウェとなった者なのである。
メシアたるものを更に教化し、無量の人々を天国・仏界に導くために、
数々の礼を以て、ヤハウェの像や画像を供養する者、音楽を奏で、歌を歌い供養する者があれば、
このような者は、皆、過去世に於いてヤハウェとなった者なのである。
心を乱すことなく、一輪の花を供え、画像を供養し、そこに無数の神仏を観る者、
あるいは、合掌したり、手を挙げたり、頭を低く垂れ、偶像を供養する事により、
そこに無数の神仏を観る者があったとしよう。
もし、そこより無上の道が開け、自身の煩悩が燃え尽きて、無量の人々が悟りに入るのを観るならば、
その人は、自身の身をヤハウェにささげた者なのであり、それゆえにヤハウェとなった者なのである。
今、そして、未来に於いて、此の真実の法を聞く者は、
皆、過去に於いてヤハウェとなった者たちなのである。
また、未来に於いても数多くのヤハウェが、方便の説法をする。
このようなヤハウェたちも、無量の方便を以て、人々の内、唯ひとりをもその智より外すことなく、
唯一人をも、ヤハウェとならぬ者がないようにしようとするのである。
ヤハウェの本願は、
『わたしの行ずる所の天国への道は、普く全ての衆生をして、我と同じくなさん』
と言うものである。
未来の世に、多くのヤハウェが百千億の無数の教えを説くであろう。
その実は此の一乗である。
このように、諸々のヤハウェ・仏の説く法は変化自在である。
これらはみな、この一乗を説くためである。
この真実の法は、一切世間の物事を見定める為の法であるので、
一切世間の相は此の法から外れる事はない。
だから、真実の法を知る者は、数々の方便を説けるのである。
諸天の神々が供養する世間に出現される数多くのヤハウェ・仏も、
人々を安穏にしようと、また数々の法を説くが、
人々が真実の法を忘れている事を知り、色々な角度から思い出させようとして説くのである。
【メシア、エリア、預言者とは】
ヤハウェはみな、
人々の行いを知り、深い心の所念を知り、過去の習業を知り、精進力を欲する性質を知り、
諸々の根本の利鈍を知り、
数々の因縁、比喩、言辞を以てその知るところに応じて方便を説くのである。
今、わたしもかくの如し。人々を安穏に導く為に、天国を開き種々の法を説いてきた。
わたしは、天国・仏界を開いた知恵の力で、人々が望む性質を知り、方便を以て諸法を説いてきたのだ。
人よ。
わたしはヤハウェの眼で以て、六道衆生の貧しく、困窮し、福なく、知恵の無い様子を観る。
このような者達は、生死にこだわり、不断の苦しみを受け、五欲に深くとらわれる。
小さな愛にこだわる弊害ゆえに貧しく、いたずらに瞑想する。
天国を求め、天国を語るが、それは真の天国ではない。
そればかりか、苦を断つ法にも及ぶ事はない。
諸々の邪見が深くその身に入り、苦を以て苦を捨てようとする。
このような人々の為に、大慈悲心を起こす。
わたしは、常にどのようにすべきかと思索してきたのだ。
『わたしの力は絶大であり、しかも第一のものである。
人々は悟りに遠く、眼は見えず、白痴の楽しみに執着している。
わたしが勧善懲悪で力を使えば、世を滅ぼす以外になくなってしまう。
このような人々をどのように導けばよいのか。』と。
その時、天の神々、諸々の天衆、その眷属百千万は、わたしに合掌礼拝し、
『仮の教えをまず説いて、転じて真実の法を説くように』
と、わたしに請い願ったのだ。
わたしが、唯、真実法のみを説き、それをいくら賛嘆しても、人々は信じる事が出来ないであろう。
信じる事が出来ないゆえに、苦に沈み、苦から離れる事が出来ず、三悪道に堕ちる。
このような者たちの為には、仮の法を説いた方が、結果が良いのだ。
事実、わたしは過去に於いて、唯一法のみを説き、世の人々はこれを理解できず、
結果として、わたしは世を滅ぼしている。
わたしは、真実の法、唯一の法を持つ。
しかし、これらゆえに、わたしは、
『小法をまず説き、人々を導くべきではないのか』
と考えていたのだ。
そこに、数多くの神々や天使が現れて、わたしにそのようにするようにと懇願した。
第一の導師、この無上法を得るヤハウェたるものは方便力を用いる。
一つの真実法を得、人々の為にこれを、
メシア、エリア、預言者の三種の者に預けて導いてきたのである。
知恵の少ないものにとっては、
《汝自らがヤハウェである》と、大法を教えるよりも、
《ヤハウェを信じよ》と言う小法の方が分かりやすいのだ。
此の為、方便を以て説き、その分別された仮の結果を得させた。
これが、メシアであり、エリア、預言者である。
ここで、三種の使徒の話を出すのは、
これらの最高位であるメシアに対して教える法として、この真実の法を示し、
その位置を明らかにする為である。
人よ。此の法は、《聖》であり、《深浄微妙音》であり、《アーメンなるもの》である。
また、此の法は、聖書やコーランの源であり、すべての仏典の源である。
わたしは、此の法を説く為に、濁った悪いこの世に来たのである。
此の根本法を知るから、ヤハウェであり、仏の言葉の意味も理解できるのである。
また、この根本法を知るから、数々の説法も行えるのだ。
聖書にしろ、コーランにしろ、仏典にしろ、諸法には、理解する事が難しい本質がある。
この為、《見る、聞く、味わう、触れる、嗅ぐ》の五識を主にして物事を認識している者達に、
預言者を遣わして、それらにとらわれる事の無い真実があることを教えた。
これは、人の生死よりも深いものがあることを教える為である。
人々は、わたしが遣わした預言者をわたしの名ゆえに信じた。
わたしは、多くの者たちがこのような方便の教えを聞き守り、
更にヤハウェを求める純真な心があるのを知った。
わたしが聖書を人々に示したのは、仮の教えを説き人々を仮の悟りに導く為ではなく、
人々をわたしの奴隷とするためなどではない。
全ての人をヤハウェとする為なのだ。
そして、わたしは
《今こそ、人を仏とする法・・・仏の知恵そのものを人々に教えるべき時である。》
と知り、このように今ここにあり、この真実の法を語る。
根が鈍く小智の者は、悟りを得ていないのに得たと思うものなのだ。
これゆえ、この真実の法を信じる事は出来ない。
今、説いているこの法は、このような者たちに合わせ、仮の教えで導く事をやめ、
仮の教えを捨てて、ただ無上の道を説いている。
メシアたるものよ。この法を聞け。疑ってはならない。
《全ての人は、ことごとくヤハウェ》なのだ。
仏教で三世諸仏が説いたが如く、
わたしヤハウェも、神々、天使や悪魔、人を分けず、すべてにこの法を説く。
唯一神は世に遍在するが、此の真実の法に遭遇するのは難しい。
ヤハウェが世に現れても、此の唯一法を説く事はほとんどない。
これゆえ、幾度となく生死を繰り返しても、此の法を聞く事は難しい。
人は多くあれど、此の法を聞ける者は極めて少ない。
この真実の法を聞くとは、
天上に至る人は稀なのに、
その天上で数億年に一回だけ咲く優曇華の花を見るようなものである。
ヤハウェはこの真実法ゆえにヤハウェである。また、仏も、この真実法故に仏である。
この唯一法はヤハウェがヤハウェたる源であり、諸仏の源である。
だから、この法を供養する者は、ヤハウェを供養するものとなり、全ての仏を供養する者ともなる。
かくの如き人は、天上の優曇華の花に勝る。
決して疑ってはならない。
わたしは、天地創造の神ヤハウェとして、こう宣言しよう。
《このメシアを教化するただ一乗の法により、わたしの弟子は全てヤハウェである》と。
預言者たちよ。メシアたちよ。此の唯一法こそ、ヤハウェがヤハウェたる理由である。
自身の欲望を満たす事のみに終始する人々は、天国への道を求めない。
このような人々が、この一乗を聞けば、信じず受けない。
故に迷い惑い、唯一法を破り悪道に堕ちる。
その悪道の中に於いて苦しみ、その悪を悔い改め天国への道を求めるようになるのだ。
広い意味では、皆この一乗道を讃えるようになり、人はヤハウェである事を知る。
人よ。知りなさい。
万億の方便を以て、人に合わせて法を説いても、これを理解させる事は出来ない。
汝らの疑惑を晴らそうとすると方便の教えとなる。
だから、
《大歓喜を起こしなさい。あなた自身がヤハウェである》
と、これを教えるのである。
以上全文