人は弱い、小さいことを恐れ、なんとか虚勢を張ろうとします。
また、時には大樹の陰に寄り添うことでなんとか安心感を得ようとします。
それはまあ悪くはないのですが、
しかし、そんなにあれもこれもと広げても、元が間違っていた時、どうしましょう。
J・オズワルド・サンダース氏はこう語ります。
私たちアダムの子孫が偉大になりたがるので、主は小さなものとなられました。私たちが身をかがめようとしないので、主はご自身を低くされました。私たちが支配したがるので、主は仕えるために来られました。
神様に頼ることは小さく見えるかもしれません。狭い門に見えるかもしれません。
しかし、神様はあなたと共に住まわれ導かれます。命をかけて愛されました。
イエス様が謙遜になられ、道を開かれました。
だからその先に価値はない?そんなことはないでしょう。
あなたに命を得させるために十字架にかかられたのだから。
私たちはこの十字架の前に謙遜に膝をかがめ、悔い改め、神様がイエス様の命を通して広げられた大いなるいのちのうちを歩ませていただこうではありませんか。
私達が偉大である必要はない、大きく見せる必要はない、支配する必要はないんです。神様が、すべてを働かせ、益として下さる、御心を成し遂げてくださるから。このイエス様という大樹は倒れることがなく、この方に寄り添うところに本物の平安があるから。
