いざローマへ⑥いつでも歓迎されているよ | とある働き人の聖書のお話

とある働き人の聖書のお話

東京で牧師をしておりました。
7年前子供が小学生に上がるまで離れていましたがぴったりの時に新しい働き(子ども関係)に招かれ、伝道させていただいています。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

「三日の後、パウロはユダヤ人のおもだった人たちを呼び集め、彼らが集まったときに、こう言った。『兄弟たち。私は、私の国民に対しても、先祖の慣習に対しても、何一つそむくことはしていないのに、エルサレムで囚人としてローマ人の手に渡されました。ローマ人は私を取り調べましたが、私を死刑にする理由が何もなかったので、私を釈放しようと思ったのです。ところが、ユダヤ人たちが反対したため、私はやむなくカイザルに上訴しました。それは、私の同胞を訴えようとしたのではありません。このようなわけで、私は、あなたがたに会ってお話ししようと思い、お招きしました。私はイスラエルの望みのためにこの鎖につながれているのです。』すると、彼らはこう言った。『私たちは、あなたのことについて、ユダヤから何の知らせも受けておりません。また、当地に来た兄弟たちの中で、あなたについて悪いことを告げたり、話したりした者はおりません。私たちは、あなたが考えておられることを、直接あなたから聞くのがよいと思っています。この宗派については、至る所で非難があることを私たちは知っているからです。』そこで、彼らは日を定めて、さらに大ぜいでパウロの宿にやって来た。彼は朝から晩まで語り続けた。神の国のことをあかしし、また、モーセの律法と預言者たちの書によって、イエスのことについて彼らを説得しようとした。ある人々は彼の語る事を信じたが、ある人々は信じようとしなかった。こうして、彼らは、お互いの意見が一致せずに帰りかけたので、パウロは一言、次のように言った。『聖霊が預言者イザヤを通してあなたがたの父祖たちに語られたことは、まさにそのとおりでした。【この民のところに行って、告げよ。あなたがたは確かに聞きはするが、決して悟らない。確かに見てはいるが、決してわからない。この民の心は鈍くなり、その耳は遠く、その目はつぶっているからである。それは、彼らがその目で見、その耳で聞き、その心で悟って、立ち返り、わたしにいやされることのないためである。】ですから、承知しておいてください。神のこの救いは、異邦人に送られました。彼らは、耳を傾けるでしょう。』彼がこれらのことを話し終えると、ユダヤ人たちは互いに激しく論じ合いながら、帰って行った。こうしてパウロは満二年の間、自費で借りた家に住み、たずねて来る人たちをみな迎えて、大胆に、少しも妨げられることなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教えた。」

使徒の働き28章17-31節

 

誰かに歓迎されている、これは本当にうれしいことですね。私たちはどうせ私なんて、と思いたくなることもある、諦めることもある。もうだめだ、って。でも、その中に住まわれているイエス様、もっと言うなら私たちは神様の創られたこの世界に住まわせていただいている。この世界を完全につくられた最高のデザイナー、その方が今もすべてを養い守り、保持され、何より私たちを救うためなら御子イエス様のいのちさえ惜しまなかった、この方と共に住まわせていただいている。そこに招かれた、何と感謝なことでしょう。私たちはいつまでものこの方のみもとに住まわせていただこう。この方と共に生きようではありませんか。

 

ということで、↑は神の御子イエス様が人となって生まれてこられ、その愛を惜しむことなく現し、何よりこの罪の一切を私たちの身代わりに背負われ、十字架上で罰せられ、死なれ3日目によみがえられたことによって救いを与えてくださったその後、新しい助け主なる聖霊様が降られ、教会が誕生して後のできごとです(↑の段階ではAD61年)。このイエス様の究極の愛・十字架の愛、救いをすべての人に受け取ってほしいと、聖霊様がパウロを含む多くの人を遣わしました。パウロを含め、またそこにいる人たちは神様の多くの奇跡や救い、驚くべきわざを見、神様のすばらしさを見てきました、聖霊様の助けと導きのもと。

 

そんな中、パウロも3回の伝道旅行を終えエルサレムに帰ってきたのですが、彼を殺そうとする勢力の手によって捕まり、裁判にかけられます。総督たちはパウロは無罪、と判断したのですが、パウロは聖霊様の導きにより、カイザル(ネロ)にイエスキリストを証すべく、上訴し、ローマに護送されました。途中かなり厳しい海難にあったりしましたが、神様の確かな守りに導かれ、ついにローマに到着。ここまでの旅の中で神様が多くの助け手を送ってくださり迫害や裁判、海難、全ての中にあって守られてきました。それこそ聖霊様の導きであったり、語りかけであったり。私たちは様々な困難を見る中で、確かにどんな時にも神様の助け、導きがある事を忘れてはいけませんね。

 

パウロの伝道旅行とローマへの旅の地図

 

そして↑、ローマに到着して3日、パウロは番兵付きで自分だけの家に住むことが赦されていたのですが、↑の前の箇所で分かち合わせていただいたように、パウロのもとにたくさんの人が訪ねてきました。ローマという異国の地に、しかもイスラエルを支配している、しかも今の皇帝は悪名高きネロ、そんな状況の中にあって同胞がいる、これほどうれしいことはなかったでしょう。パウロにとってこのローマで、裁判を受ける身としてたしょうきゅうくつなところはありながらも、それでも彼は神様の守られている、その御手の中に住まわせていただいている、この地はやがて神様のものとなる、その確信のもと今ここに住んでいる。軟禁状態に人はしようとも、神様の御手にまさるものはない、と。

 

だからパウロを迎え入れてくれた人たちにもこの希望を伝えるのです。パウロを歓迎しているように見えて、残念ながら教会の中で分裂やつまづきを引き起こそうとしている人たちがいることを、「ローマ人への手紙」という書簡の中で、そのことへの注意喚起が書き送られているのでした。でも人につまずいたり、人の価値観にあって分裂するのではなく、↑、「…私はイスラエルの望みのためにこの鎖につながれているのです」と語るのです。

 

神様は、私たちを救うため、またイスラエル、そして私たちの「望み」となってくださる。パウロを通してだけじゃない、様々な艱難苦難、このローマの時代の時を考えれば妥協、屈服などしなければならない場面があるかもしれないしかし今彼らは神様のこの望みの中に住まわせていただいている、どんなに彼らを鎖につなぎ捕えようとしてもそれはできないんだ、どんなに理由なしに理不尽な目に合おうと、そこに聖霊様の助け、導きがあるんだ、そう訴えるわけです。まあ、これはパウロが別に何か悪いことをしてここにつかまっているわけではないという弁明でもあるのですが、同時にパウロの置いている希望を語っているわけですね。

 

これを聞いた彼らは、とりあえずパウロから直接話を聞いた方が良いだろうという考えで、後に改めてパウロから話を聞くことにしました。同じユダヤ・イスラエル人ではありましたし、同じ先祖の神を信じていた、天地創造の神を信じていた。しかし、残念ながら彼らは自分たちの罪の赦しのために御子イエス様が十字架に架けられ、死なれたことをまだ知らなかったか、信じようとせず、他のユダヤ教徒からの情報からか受け入れようとしなかったのです。

 

パウロはここでせっかくであった同胞を失うのは得策ではない、とは考えなかった。むしろこの彼らにもイエス様の福音を語る必要を聖霊様に導かれ彼らに語ります。神様はパウロを通していつでも歓迎していたのです。彼らを待っていたのです。イエス様の十字架を通して閉ざされてしまった関係を開いて下さった。私たちが罪を悔い改め立ち返ること、神様のもとに帰って事を待っておられたのです。ローマの支配の内に住むのではない、ローマによる痛みや傷、また自身の抱える罪に支配され、それに生きるのでもない、そこから自由にされ、ここに住まわれるまことの主なる神様の内に生きよう、そう訴えたわけですね。

 

私たちは↑のイザヤの預言のように、目を閉じ、耳を遠くし、心を鈍くしている場合ではありません。神様は私たちを癒そうとその扉を開いて下さっている、それなのに心を閉ざしている場合ではありません。この世の楽しみや逆に苦しみの中に住まうのではなく、全ての主なる神様の御住まいに私たちは住まわせていただけている、歓迎されていることを改めて覚えよう。あれこれ理屈をつけて離れるのではなく、ただ神様のもとに帰ればいいのです。あなたを歓迎するため、受け入れるため、御子イエス様のいのちをもってでもそのあなたの痛みも、罪の代価をも取り除かれた、この方があなたを招き、その愛を今日も現して下さっている。この神様の愛を妨げることができるものは何ものもありません。神様は今日も両手を広げ、あなたを出迎えようと待っておられる。今日私たちはこの方の御住まいに住まわせていただこう、ここに帰ろう。この神様が働かれている、愛が流れる中に今住まわせていただいていることを覚え、この方にいつも希望を抱き、歩もうではありませんか。

 

聖書の引用と山、建物の風景