愛ってなんでしょうね。
優しくすること?何でも受け入れること?ありのまま?
マックス・ルケード氏の「みことばの宝石」という本にこのようにあります。
神は丘を見渡された。神の目にはすでに、このあとに続く場面が映っていた。三本の十字架につけられた三つの人影。両腕を広げ、頭を垂れている。うめき声が風の音に混ざって聞こえる。十字架のそばには、兵士の服に身を包んだ男たちが地面に座っている。丘のふもとには、悲しみに包まれた女たちが身を寄せ合っている。涙で頬を濡らしながら……。
天のすべてが戦わんとして立ち上がる。自然のすべてが救わんとして奮い立つ。すべての永遠なるものが、守らんとして体制を整える。それでも神は、なんの命令も下そうとはなさらなかった。
「これは、なされなければならないことなのだ」とおっしゃって退かれる。
御使いが再び、口を開いた。「では、せめて痛みを少なくするだけでも。」
創造主は、柔らかにそれをさえぎって言われた。
「だが、それでは愛ではなくなってしまう」
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネの福音書3章16節)
惜しむことのない愛が今日も明日もあなたを導かれます。
私達はこの方が命がけで差し伸ばされた御手を取り、取らせていただき、共に歩ませていただこうではありませんか。そこに惜しむことのない愛が溢れ流れるから。