永遠の抱擁 | とある働き人の聖書のお話

とある働き人の聖書のお話

東京で牧師をしておりました。
7年前子供が小学生に上がるまで離れていましたがぴったりの時に新しい働き(子ども関係)に招かれ、伝道させていただいています。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

20年ちょっと前の海外のニュース番組で出た話ですが、イタリアのマンチェアという町で、5千年ほど前のものとみられる人骨が発見されたそうです。若いカップルの人骨で、しかも抱き合っています。歯がきれいに残っていることから若いカップルだとわかるそうですが。

 

なぜ一緒に死んだのか、何が死因だったのかは謎です。

すでに、「永遠の抱擁」という名前が付けられていますが、

理想的な夫婦愛を現しているといえるかもしれません。

 

夫婦はいかなる時にも、人生の喜びも悲しみも共有します。環境や都合によって一緒になったり、また離れたりするようなものではありません。何があっても一緒です。お互いに支えあったり協力し合ったりします。都合がよくても悪くてもです。

 

これまた20年ほど前のアメリカのある新聞に掲載された物で、言葉の定義コンテストがあったそうです。

 

たとえば、お金とは

「天国以外のすべてのところに連れて行き、幸せ以外のすべてのものを買うことができる手段」

 

友達とは、

「全世界があなたから離れていったとき、一人駆け寄ってくれる人のこと」だそうです。

 

では愛とは一体何でしょうか。

選ばれた定義の一つは、「あなたの存在を喜ぶこと」だそうです。

 

これは、聖書が述べている神様の愛にかなり近い定義だと思います。現代人は、人の持っている財産や容姿の美しさ、あるいは、才能を喜ぶことができます。しかし、相手が無一文になり、年老いてその人の美しさも彼はてて寝たきりになり、何も貢献できなくなった時、どうなるでしょうか。「もう、あなたには用がない」と言って、離れ去ってしまうことが多いのではないでしょうか。

 

本当の愛は、その人の持ち物ではなく、その人の存在そのものを、いつまでも喜ぶ態度です。神様の愛も、まさにそのような愛であるといえます。

 

「あなたの神、主は、あなたのただなかにおられる。救いの勇士だ。主は喜びをもってあなたのことを楽しみ、その愛によって安らぎを与える。主は高らかに歌ってあなたのことを横ばれる。」(ゼパニヤ書3章17節)

 

ここにあるように神様は、ご自分の作品として造られた人間・あなたを喜んでくださいます。またさらに、その愛の現れとして、ともにいてくださります。息を引き取る直前に悔い改めた強盗に対して、キリストは、「あなたは今日、わたしとともにパラダイスにいます」と言われました。この愛こそ、永遠の抱擁・ハグといえるでしょう。この愛をあなたは受けていますか?