渦巻く陰謀と勝利の約束と | とある働き人の聖書のお話

とある働き人の聖書のお話

東京で牧師をしておりました。
7年前子供が小学生に上がるまで離れていましたがぴったりの時に新しい働き(子ども関係)に招かれ、伝道させていただいています。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

「その夜、主がパウロのそばに立って、『勇気を出しなさい。あなたは、エルサレムでわたしのことをあかししたように、ローマでもあかしをしなければならない』と言われた。夜が明けると、ユダヤ人たちは徒党を組み、パウロを殺してしまうまでは飲み食いしないと誓い合った。この陰謀に加わった者は、四十人以上であった。彼らは、祭司長たち、長老たちのところに行って、こう言った。『私たちは、パウロを殺すまでは何も食べない、と堅く誓い合いました。そこで、今あなたがたは議会と組んで、パウロのことをもっと詳しく調べるふりをして、彼をあなたがたのところに連れて来るように千人隊長に願い出てください。私たちのほうでは、彼がそこに近づく前に殺す手はずにしています。』ところが、パウロの姉妹の子が、この待ち伏せのことを耳にし、兵営に入ってパウロにそれを知らせた。そこでパウロは、百人隊長のひとりを呼んで、『この青年を千人隊長のところに連れて行ってください。お伝えすることがありますから』と言った。百人隊長は、彼を連れて千人隊長のもとに行き、『囚人のパウロが私を呼んで、この青年があなたにお話しすることがあるので、あなたのところに連れて行くようにと頼みました』と言った。千人隊長は彼の手を取り、だれもいない所に連れて行って、『私に伝えたいことというのは何か』と尋ねた。すると彼はこう言った。『ユダヤ人たちは、パウロについてもっと詳しく調べようとしているかに見せかけて、あす、議会にパウロを連れて来てくださるように、あなたにお願いすることを申し合わせました。どうか、彼らの願いを聞き入れないでください。四十人以上の者が、パウロを殺すまでは飲み食いしない、と誓い合って、彼を待ち伏せしているのです。今、彼らは手はずを整えて、あなたの承諾を待っています。』そこで千人隊長は、『このことを私に知らせたことは、だれにも漏らすな』と命じて、その青年を帰らせた。」

使徒の働き23章11-22節

 

世の中本当にいろんなことが渦巻いている。いいことだけ渦巻いていればいいのでしょうけど、なかなかそうもいきません。色んな思惑を持っている人、自分こそ正しいんだ、押し付けてくる人、まあ世の中の潮流などもそうでしょうけど。しかしそうした嵐の中にあって確かなのは神様がいるということです。神様があなたを守られる、この世界を創られ保持し続けている神様が、あなたにいのちを与え、あなたを愛する神様が、あなたを救うためなら御子イエス様のいのちさえ惜しまなかった神様が。この方があなたを導いて下さる。この方が道を開いて下さる。私たちはこの方にどこまでも信頼しよう。主が見せてくださるその栄光・素晴らしさを祈り待ち望みつつ。

 

さて、↑は神の御子イエス様が人となって生まれてこられ、私たちの抱えている様々な思い煩いや痛み、重荷、罪、一切を身代わりに背負われ、十字架に架けられ、罰せられ、死なれ3日目によみがえられた後、新しい助け主なる聖霊様が降られ、教会が誕生した後の出来事です。このイエス様のいのちをかけた究極の愛・救い、十字架による救いを全ての人に届けようと、聖霊様が多くの人の内に働かれパウロなど様々な人を全世界に向けて遣わしていきました。

 

それで↑の少し前、パウロは各地でイエス様のこの救いを、神様を知らずに思い悩みさ迷う人々に届けつつ、神様の素晴らしい御業を見ながら、エルサレムに戻ってきたのですが、ここでパウロを捕まえ殺そうとする者たちが出てきます。自分たちの考える神様観の違いだけではなく、自分の保身のためだったり、自分の考えることが正しいんだ、という人など様々。そんな状況にあってもパウロは自分の過去を語ります。彼も彼らと同じように神様の熱心な愛、神の御子イエス様を私たちの罪の身代わりに十字架に架けたその愛、救いを否定し、迫害する者であった、でもそんな彼にイエス様が現れて、悔い改めに導かれ、こんな自分を神様が赦して受け入れてくださったんだ、と告白するのでした。

 

それでもパウロ、いやパウロを通して語られたまさに神様の最大の愛、救いを認めない人たちはパウロをサンヘドリン(最高議会・最高裁判所)に連れていき、そこでなお尋問をするのですが、パウロの語る言葉に納得がいく人と行かない人が出て、そこにいた千人隊長は、パウロが彼らに引き裂かれてしまうのではないかと心配し、兵隊に、下に降りて行って、パウロを彼らの中から力ずくで引き出し、兵営に連れて来るように命じた、その続きが↑になります。

 

この先どうなるか分からない、色んな主張、考えが渦巻く中で果たして自分はどうしたらいいのか、ローマ帝国の支配下にあってなんとかこのローマにリバイバルをと願っているパウロ(実際パウロの蒔いた種を通してローマ帝国はご存じの地に国教化され、キリスト教は広がっていった)、実際にパウロ殺害計画が↑でも起こっていますし、もしかしたらここで殺されるかもしれない、そんな様々な思惑が渦巻く中で自身も不安になっていたのか分かりませんが、ここで神様が「勇気を出しなさい。あなたは、エルサレムでわたしのことをあかししたように、ローマでもあかしをしなければならない」とパウロを励まします。

 

パウロにとって逆転の夜、夜が朝に変えられると神様は約束されたのです。勇気を出しなさい、って精神論ではありませんよ?その保証をしてくださる神様がいるから大丈夫だよ、ということなんです。信仰があれば何でもできる、といいますが、それは自分で何でも頑張ってする、ということではない、神様の御心と違うことはできません。神様があなたの内に働かれ、その御心を成して下さる、神様にとっては何でもできるからその神様に委ねる事なのです。

 

神様はいつでもパウロの傍らにいたように、私たちの傍らにおられる。だから私たちは勇気を出していい。ここに神様の御心が現わされるなら最高、変えられたら最高じゃないですか。ここには神様がいるんですよ?この神様に委ね、祈り、仕える、神様の愛を語る、誰かをその愛をもって励ます、できる事はパウロのように大きくはなくともいくらでもあります。私たちの傍に神様がいる、この事を忘れず、逆転の夜を待ち望みたいですね。神様がパウロの道を、渦巻く陰謀の中にあって一緒に進んで切り開き、導いて下さる、その先に神様は素晴らしいものを見せてくださるように、私たちもこの神様を諦めず進みたいものです。

 

↑を見ると正直状況は厳しい。「夜が明けると、ユダヤ人たちは徒党を組み、パウロを殺してしまうまでは飲み食いしないと誓い合った。この陰謀に加わった者は、四十人以上であった」というほど大きな決断をするくらいですから(実際は彼らはそんな事をしない、誓いを果たさない)。そして、この陰謀は先ほどのサンヘドリンの議員たちと屈託して行なわれます。そもそも神様の御前に誓ったのならそれは果たさなければならない、それほど主の御名によって誓うことは大きなこと、それなのにそれを知っていてなおないがしろにする彼らは神様を蔑ろにしていた。だから神様が、ずっと彼らの求めていた救い主の誕生と、救いのために成し遂げられた十字架と復活を知りながらも拒否し続けていたわけですね。神様の御心よりも「自分のお心」を方が正しい、と。

 

先にも申し上げましたが、信仰があれば何でもできるという人もいますが、御心ではないことはどんなに誓おうが何をしようが成りません。無理やりなそうとすることは神様の計画を台無しにしようとする、それって信仰?それでいいの?

 

神様の御心はどんなに陰謀が渦巻こうと、これを打ち砕きます。私たちを苦しめ悩ませる様々な人や勢力がどんなにあなたに差し迫ろうとも、神様がおられる。↑でパウロの甥が彼らの計画を聞いて千人隊長に伝え、パウロのいのちを守ったように、そのような渦の中に神様の御心がまっすぐに貫かれ、守り導き、神様の導こうとされる栄光・素晴らしさに導かれるのです。

 

私たちは今日もう一度思い出そう。私たちは世の様々な勢力、陰謀、痛み、悲しみ、思い煩い、何より罪がのさばり支配するそんな中にいる、神様から離れそんな中に沈んでいる私たちを見捨てず、この傍らに来られたイエス様が私たちを救うために、これらすべてを身代わりに背負われ、十字架に架かられ、罰せられ、死なれたことを。それだけではなく、それらを打ち砕かれた、イエス様は3日目によみがえらせていただいたことによってこれらに勝利されたのです。私たちにはこのイエス様がおられるのです。このイエス様を救い主として受け入れる時、私たちはこの新しいいのちを歩ませていただけるのです。

 

このイエス様の十字架によって刺し貫かれたこの道、いのちを私たちもイエス様から離れずどこまでも歩もうではありませんか。勇気を出しましょう。精神論ではない、この様々なことが渦巻く世の中にあって確かにその愛を実行された方が今日もあなたから離れず導いて下さるから。どこまでもこのイエス様の勝利の日、夜明けを待ち望もう。