「義」の前に「幸せ」を置くたびに、あなたは必ず悲惨な結果を招くことになります。
それは、聖書が始めから終わりまで語る大いなるメッセージです。
正しくあることを求める者だけが、本当に幸せを味わうのです。
~マーティン・ロイドジョーンズ~
「義」というのは、神のご性質である正しさ、またその神を信じて与えられる神の正しさのことです。そう考えると、この言葉は、末尾に掲げたマタイ5:6、同6:29-33の解説でもありますね。「幸せ」をひと言で言えば、「衣食住」に満ち足りている状態です。それで人々は、それらを飢え渇くように求めるのですが、神様は、それは愚かなことだと言われます。空の鳥、野の花をさえ養い装ってくださる神様を忘れて、神の義を求める代わりに、というより神の義に目をつぶり、神の義を犠牲にして(すなわち、時には不正な手段さえ用いて)幸せを求めていると、思わぬ病になったり、一瞬にして全財産を失ったり、時には法の裁きを受けたりして、何とも悲惨な目に遭うのです。
どんな場合でも、まず「神の国と神の義」を求めることです。あなたの周りの99人がこの世の幸せを貪欲に求めているとしても、ひとり自分は、神様の正しさに立つ。―その時にのみ、私たちは、何よりも心が平安で満ち足り、たとえ欲しいもの全ては得られなくても、必要なものは全て備えられます。それらは、神様の正しさを第一にした者への天よりの報酬であり、神の義に必然的に伴う付加物なのです。
(マタイ5:6) 「義に飢え渇く者は幸いです。その人たちは満ち足りるからです。」
(マタイ6:33) 「まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて、それ
に加えて与えられます。」
Whenever you put happiness before righteousness, you will be doomed to misery. That is the great message of the Bible from beginning to end. They alone are truly happy who are seeking to be righteous. - Martyn Lloid-Jones
(解説:元ワーナー・ブラザース映画会社の製作室長 小川 政宏)
