知恵のうちに住まわせてくださる | とある働き人の聖書のお話

とある働き人の聖書のお話

東京で牧師をしておりました。
7年前子供が小学生に上がるまで離れていましたがぴったりの時に新しい働き(子ども関係)に招かれ、伝道させていただいています。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

「『…知恵であるわたしは分別を住みかとする。そこには知識と思慮とがある。主を恐れることは悪を憎むことである。わたしは高ぶりと、おごりと、悪の道と、ねじれたことばを憎む。摂理とすぐれた知性とはわたしのもの。わたしは分別であって、わたしには力がある。わたしによって、王たちは治め、君主たちは正義を制定する。わたしによって、支配者たちは支配する。高貴な人たちはすべて正義のさばきつかさ。わたしを愛する者を、わたしは愛する。わたしを熱心に捜す者は、わたしを見つける。富と誉れとはわたしとともにあり、尊い宝物と義もわたしとともにある。わたしの実は黄金よりも、純金よりも良く、わたしの生み出すものはえり抜きの銀にまさる。わたしは正義の道、公正の通り道の真ん中を歩み、わたしを愛する者には財産を受け継がせ、彼らの財宝を満たす。主は、その働きを始める前から、そのみわざの初めから、わたしを得ておられた。大昔から、初めから、大地の始まりから、わたしは立てられた。深淵もまだなく、水のみなぎる源もなかったとき、わたしはすでに生まれていた。山が立てられる前に、丘より先に、わたしはすでに生まれていた。神がまだ地も野原も、この世の最初のちりも造られなかったときに。神が天を堅く立て、深淵の面に円を描かれたとき、わたしはそこにいた。…』」

箴言8章12-27節

 

土地の地価ってありますよね?場所によって値段が違ったり。ある意味ではその土地のブランドといってもいいのか、それによって価格も上昇したり、逆に何か問題が見つかれば下がる。まあそうした様々なファクターによって決まるわけですよね。でも、そもそもの話が私たちの住んでいる土地って物凄い価値があるんですよ?だってこの天地万物は、この全地は神様が創られた、神様ブランドなのですから。そこに私たちは住まわせていただいている。その神様がある意味では管理人として守ってくださって住まわせてくださっている。愛するわが子なる私たちのために良いものを備え、住まわせてくださっているんです。私たちはその神様に支えられ、生かされているということを忘れてはいけません。そんな神様に委ねて良いんです。あなたのために御子イエス様のいのちさえ惜しまず与えてまで救わんとされた神様が今日も働かれているのだから。全てのこの世界の源、あなたのいのちの源なる神様に今日委ね歩もう。

 

さて、↑は古代イスラエル王国の3代目の王であったソロモンに向けて、また彼を通して私たちに向けて神様が語られ示された箴言・知恵のことばの続きになります。この箴言の最初の方で神様は、「主を恐れることは知識の初めである。愚か者は知恵と訓戒をさげすむ。わが子よ。あなたの父の訓戒に聞き従え。あなたの母の教えを捨ててはならない。それらは、あなたの頭の麗しい花輪、あなたの首飾りである」と、とても大事なことを示されていました。源からすべては湧き出でるわけでしょう?人は人生の答え、攻略本的なものを求めるところがありますが、しかしまさにこの世界の源、全ての源なる神様のうちにこそすべてがある。そこから私たちは飲み、生きる。渇くことのない泉から。そんな泉があるところに住まわせていただいているとはなんと感謝な事。

 

神様は、そんな私たちに全ての源なる方、知恵とイエス様を表現しながらさらに「知恵であるわたしは分別を住みかとする。そこには知識と思慮とがある。主を恐れることは悪を憎むことである。わたしは高ぶりと、おごりと、悪の道と、ねじれたことばを憎む。摂理とすぐれた知性とはわたしのもの。わたしは分別であって、わたしには力がある。わたしによって、王たちは治め、君主たちは正義を制定する。わたしによって、支配者たちは支配する。高貴な人たちはすべて正義のさばきつかさ。わたしを愛する者を、わたしは愛する。わたしを熱心に捜す者は、わたしを見つける。富と誉れとはわたしとともにあり、尊い宝物と義もわたしとともにある。わたしの実は黄金よりも、純金よりも良く、わたしの生み出すものはえり抜きの銀にまさる。わたしは正義の道、公正の通り道の真ん中を歩み、わたしを愛する者には財産を受け継がせ、彼らの財宝を満たす」と語られます。

 

ここで神様は、「知恵であるわたし」と表現されてますよね。知恵は情報ではない。ある所で役に立って、ある所では役に立たないとかそういうレベルのものではない。クリスチャンではないのですが、ある人が面白い表現をしていたのですが、真理というのは例外はなくある時代は、ある状況では通じて、他では通じないというものは真理ではない、といいところをついたことを言っていました。その真理をまあ彼は見出そうとするも、これが正しいと思っていたものが違ったりと彷徨っているわけですが、誰かが考え出した経験談や知識はそうしたものにはならない、絶対的なものには。しかしイエス様はご自身が真理である、と仰られた、イエス様のもとにこそ本物の恵み、知恵が、真理がある。その知恵なるイエス様が今こうして語られているわけです。さらにその詳しい様子は後半で見ます。

 

それでその知恵そのものなるイエス様、ああ知恵がイエス様、と言っているわけではありませんよ?知恵そのものなるイエス様が私たちに知恵を、恵みを与えてくださる、御心を愛をもって行ってくださり、なして下さるわけです。私たちは自分の欲する情報、自分を満たす何かを知恵、と考えて探し求めるのですが、本物の知恵、イエス様が示された知恵に、御心に対しては知恵と考えない。クリスチャンでも、自分の考え、診ている状況とは違うから、と聖書のことばと真逆のことを言ったり、したりする。でも、そうじゃないんです。あなたの内に知恵を現されるのは、このイエス様なのです。イエス様があなたの内に住まわって、働かれて、知恵・御心をなして下さる、それが↑で表現されているような金であったり、銀であったり、真珠のように光り輝かせてくださる、そうしたことをなして下さるのです。

 

何かがただあるのではなく、知恵をなして下さる、悪ではない、あなたにいのちをもたらすこと、知恵、御心をなして下さる方がいる、何と感謝なことだろう。ただ、分別の内に住まわれるとあります通り、私たち自身がこの神様の御心を、知恵を求めなければいけない。あなたがこのイエス様を求める中に神様は驚くべきことを働かれる。求め続けなさい、そうすれば与えられます、とイエス様が教えてくださったように、求めるあなたにイエス様も喜んで答えてくださる。あなたはただ一つの真理、知恵なるイエス様をどれだけ求めていますか?これを恵みと信じて受け入れていますか?そこに働かれるイエス様を真心から信じていますか?イエス様の内に全てを変える、新しくする、悪ではない神様のくださる最大の愛・御心、知恵を求めよう。

 

「わたしを愛する者を、わたしは愛する。わたしを熱心に捜す者は、わたしを見つける。富と誉れとはわたしとともにあり、尊い宝物と義もわたしとともにある。わたしの実は黄金よりも、純金よりも良く、わたしの生み出すものはえり抜きの銀にまさる。わたしは正義の道、公正の通り道の真ん中を歩み、わたしを愛する者には財産を受け継がせ、彼らの財宝を満たす」とはっきりとこの知恵なるイエス様が約束してくださっているのですから。もともとあなたを愛してくださっているはずのイエス様を愛する、その中に愛の溢れ流れる、そこに私たちの考えると栄誉ではない、イエス様の最大の宝がもたらされ、その財宝を受け継がせ、満たして下さり、高貴なものとしてくださる、なんと幸いなことでしょう。世の何ものかもわからないものにあなたの高貴ないのちを奪わせ、価値を下げてはいけない。イエス様の輝きでいっぱいにしていただこう、そこにある宝がさらに広がってさらに全地に溢れることを期待して。

 

さらにその知恵なるイエス様は「主は、その働きを始める前から、そのみわざの初めから、わたしを得ておられた。大昔から、初めから、大地の始まりから、わたしは立てられた。深淵もまだなく、水のみなぎる源もなかったとき、わたしはすでに生まれていた。山が立てられる前に、丘より先に、わたしはすでに生まれていた。神がまだ地も野原も、この世の最初のちりも造られなかったときに。神が天を堅く立て、深淵の面に円を描かれたとき、わたしはそこにいた」と語られています。

 

そもそもの話、この天地万物の始まる前からおられる、その働きが始まる前からおられるイエス様の知恵に何が勝るのでしょうね。何に比べることができるのでしょうね。またこの辺りの詳しい話は明日分か日あいますが、私たちはそのすべてを創られた知恵なる神様の内に住まわせていただいているんですよね。そしてこれを管理していた、そのうちに働かれていた方が私たちを支えてくださり、養ってくださっている。私たちはね、その方に頼っていいんです。エデンの園からすべての地を満たしていた川、私たちを生かす川、渇くことのないいのちの泉が確かにここに、このイエス様の内にあるのです。この内から知恵を、いのちをいただいていいのです。このイエス様があなたの内に御心を現して下さる。この知恵なるイエス様があなたの所に立ってくださっているのです。飲ませてくださるのです。かつて多くの男性に振り回され傷ついたひとりの女性を癒されたように。イエス様を熱心に求める中で、その働きはあなたの内にも流れてくる、その愛が、御心が、御力が、その全てが。もう用意されている、それを後は受け取るだけです。

 

イエス様はその愛を、御心をあなたの内に完全に現すために、人となって生まれ、私たちの内に住まわれました。どこか遠くではない、まさに人の内に、同じ重荷を背負ってくださりに来られた、そうして私たちに本物のいのちを、希望をもたらそうとされたのです。でもただ一時的な癒しではない、もう一度私たちの失われた魂、いのちを取り戻すべく、神様はこの御子イエス様に私たちの抱える様々な重荷、思い煩い、痛み、何より罪一切を身代わりに背負わせ、十字架にかけ、罰し、死なせたのです。しかしそれだけで終わらず、3日目によみがえらせてくださったことによって、このイエス様の十字架の御前に罪を悔い改め立ち返る全ての人の罪を赦し、神様の子として迎え入れてくださるのです。神様の驚くべき知恵、完全な愛、御子イエス様の私たちの罪の身代わりに罰して死なせるというあり得ない知恵をもって私たちを救い、その知恵・御心を、その愛をもって現して下さるのです。

 

私たちはこのイエス様を今日、どれだけ熱心に求めているでしょうか。全ての源、知恵の源なるイエス様が働かれることをどれだけ願っているだろうか。私たちの知恵であなたの内にを満たそうとしていませんか?それはいつかはすたれて倒れる、でもこの世界の創り主、あなたの創り主なるイエス様が今日あなたの内に住まわれ、その素晴らしい働きをなして下さり、輝かせてくださっている、このイエス様のいのちにあって与えられた素晴らしい財宝で満ち溢れさせてくださっている。私たちの内にある悲しみも嘆きも痛みも、罪も一切取り除かれ、聖められ、全ては新しくされるのです。

 

「私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです」。いつまでも続く神様の愛、御心がイエス様のいのちにあって現されている。私たちはこの方に目を留め、一時的ではない、永遠なる神様の愛が今日も現される。私たちはどこまでもこの知恵なるイエス様を求めよう。この方の救い、いのちが満ち溢れ、本物のいのち、イエス様のいのちにあって建て上げられる日々を歩ませていただこうではありませんか。今日もイエス様はあなたを待っておられるから。目には見えなくとも確かにそこにある本物の知恵が、御心が、働きがそこにたしかにあるから。