―いのちがある喜び― | とある働き人の聖書のお話

とある働き人の聖書のお話

東京で牧師をしておりました。
7年前子供が小学生に上がるまで離れていましたがぴったりの時に新しい働き(子ども関係)に招かれ、伝道させていただいています。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

「週の初めの日に、私たちはパンを裂くために集まった。そのときパウロは、翌日出発することにしていたので、人々と語り合い、夜中まで語り続けた。私たちが集まっていた屋上の間には、ともしびがたくさんともしてあった。ユテコというひとりの青年が窓のところに腰を掛けていたが、ひどく眠けがさし、パウロの話が長く続くので、とうとう眠り込んでしまって、三階から下に落ちた。抱き起こしてみると、もう死んでいた。パウロは降りて来て、彼の上に身をかがめ、彼を抱きかかえて、『心配することはない。まだいのちがあります』と言った。そして、また上がって行き、パンを裂いて食べてから、明け方まで長く話し合って、それから出発した。人々は生き返った青年を家に連れて行き、ひとかたならず慰められた。さて、私たちは先に船に乗り込んで、アソスに向けて出帆した。そしてアソスでパウロを船に乗せることにしていた。パウロが、自分は陸路をとるつもりで、そう決めておいたからである。こうして、パウロはアソスで私たちと落ち合い、私たちは彼を船に乗せてミテレネに着いた。そこから出帆して、翌日キヨスの沖に達し、次の日サモスに立ち寄り、トロギュリヤに泊まり、その後、その翌日ミレトに着いた。それはパウロが、アジヤで時間を取られないようにと、エペソには寄港しないで行くことに決めていたからである。彼は、できれば五旬節の日にはエルサレムに着いていたい、と旅路を急いでいたのである。」

使徒の働き20章7-16節

 

いのちがある、それはなんという幸せなことだろう。偶然ではなく、与えられたんですよ?あなたのいのちは。私も本来は生まれてくるはずではないものだったのですが、母の信仰が、神様への諦めない祈りによっていまこうして命が与えられている。まあ他にもいろんなことがあったのですが、まさに神様に守られ、このいのちが今ある事を改めて思います。このいのちをくださった神様、御子イエス様のいのちを持ってまで取り戻されたこのいのちが、いかに神様に支えられているか、愛されているか、素晴らしいものか。あなたはあなたの与えられているいのちに何を神様が成されることを願いますか?

 

さて、↑は神の御子イエス様が人となって生まれてこられ、罪人や、社会から見捨てられたような人も含め、多くの人にその惜しみない愛を注ぎ、御業を現しながら私たちに本物のいのちを、救いを与えるために、私たちの負っている重荷、罪もすべて身代わりに背負われ、十字架に架けられ、罰せられ、死なれ3日目によみがえられた後、新しい助け主なる聖霊様が降られ、教会が誕生したの話です。この私たちへの愛ゆえにたてられた十字架の救いの約束を、いのちを届けるべく、多くの人の内に聖霊様が働かれ遣わしていきました。そして↑の少し前からパウロの第3次伝道旅行が始まりました。

 

(第3次伝道旅行のパウロの航路:今は⑤のトロアスにいます)

 

そして↑の前でパウロがコリントから直接シリヤに向けて船出しようという時、彼に対するユダヤ人の陰謀があったため、マケドニアの陸路を通って帰途につくことを余儀なくされました。その距離はエルサレムからコリントの直線距離が2311㎞というのですからそれ以上の長距離の移動になります。しかしそのような陰謀、困難な道にあっても神様は守られていたわけですね。そんな帰路のトロアスで↑の出来事が起こります。

 

ここでもパウロは少しでも多くの人にイエス様の救い、愛を届けようと熱心に語っていたのですが、ユストという青年がその長引く話を聞いている間に深く眠ってしまい(正確に訳すなら、眠りのために打ち倒されて、という意味だそうです) 、三階から下に落ちて死んでしまうのでした。それはパウロの話が長すぎたから悪いの?それとも神様の話を聞く姿勢として寝てた彼が悪いの?そういうわけではありません。人は眠気も持ちますから、どんなに起きていようと頑張っても寝てしまうこともあります。ユストが悪いわけではありません。まあある神学生が奉仕教会の先頭の席に座っていても、普段の勉強や、前日の準備の疲れで寝てしまった、なんてこともあったくらいですから。

 

この時パウロは「私たちはパンを裂くために集まった」とありますが、それはイエス様の十字架による死と復活による救いを覚える聖餐式です。イエス様の十字架を覚える時、私たちは時間を忘れるほどに神様の恵みに浸ります。そしてイエス様との時間はこの世の時間では測れないほどの恵みがそこにあるのです。パウロはおそらくその感動ゆえに話が留まらなくなったのかもしれません。ただ、ここを支配していたのは人ではない、パウロでもない、聖霊様だからユストが落ちた時、そこには神様の栄光・御業がまさに働こうとしていたのです。

 

パウロは決して、「私の説教中に、イエス様の話の最中に寝るとは何事だ、不信仰だ」などとは言わなかった。まあさすがにそんなことを言うパウロだったら私もビビってしまいそうですが(とある説教者のメッセージが何時間にも及び寝ている信徒の方を棒で叩いた人もいたそうですが)、むしろ「パウロは降りて来て、彼の上に身をかがめ、彼を抱きかかえて、『心配することはない。まだいのちがあります』と言った」というのです。ちなみに、昔は死者に触れると汚れるため、奉仕ができなくなることを気にしていた宗教家もいましたが、パウロはそんなことお構いなしに彼を抱きしめ、祈り、聖霊様の働きによってユストは癒された、生き返ったのです

 

この使徒の働きを書いているのは医者のルカですから、ユストの死は間違いない。ただそこに聖霊様が働かれ、癒されたのです。そしてここに集まる多くの人たちは慰めを受けました。このイエス様の食卓、共に生きるところには主のお働きが確かにあり、癒しがあり、慰めがある、そのことを彼らはここで体験し、確信したのです。死んだものが生き返る?そんな馬鹿な、と思う人がいるかもしれませんが、しかしそうした常識をはるかに超えた神様の御手の中に私たちは生かされているのです。

 

私はこのパウロの「心配することはない。まだいのちがあります」という言葉がとても心に残りました。私たちはイエス様のいのちにあって今主の御手の中で「まだ」いのちがあるのです。この御手の中生きている、生かされている、なんと幸いな話でしょう。私たちの人生、その航路には様々なことがあるでしょう。しかし私たちはこのイエス様が心配してくださって、その憐れみが、慰めが、その御力が、愛が働いている、その中に今生きているのです。

 

↑の最後で「さて、私たちは先に船に乗り込んで、アソスに向けて出帆した。そしてアソスでパウロを船に乗せることにしていた。パウロが、自分は陸路をとるつもりで、そう決めておいたからである。こうして、パウロはアソスで私たちと落ち合い、私たちは彼を船に乗せてミテレネに着いた。そこから出帆して、翌日キヨスの沖に達し、次の日サモスに立ち寄り、トロギュリヤに泊まり、その後、その翌日ミレトに着いた。それはパウロが、アジヤで時間を取られないようにと、エペソには寄港しないで行くことに決めていたからである。彼は、できれば五旬節の日にはエルサレムに着いていたい、と旅路を急いでいたのである」と、またその道のりを記されていますが、この旅路の中、どれだけ神様の慰めが彼を支えたことでしょう。このいのちは、神様がイエス様のいのちにあって与えてくださったこのいのちは、まだあるのです。ここにはまだ主のあわれみが、その全てが注がれている、確かに新しい助け主なる聖霊様がおられるのです

 

私たちはこの心配しなくていい、というこのいのち、どこまでも主と共に歩み続けようではありませんか。イエス様が「あなたがたのうちだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか」と仰られた言葉、私たちが心配してもそのいのちを伸ばし、価値あるものにすることができなくても、このイエス様の愛が、イエス様が心配してくださっているから、支えてくださっているから、このいのちは素晴らしい、素晴らしくしていただけるのです。あなたの行く先々、日々において。

 

「あなたがたの思い煩いを、いっさい神様にゆだねなさい。神様があなたがたのことを心配してくださるからです」「あなたの重荷を主にゆだねよ。主は、あなたのことを心配してくださる。主は決して、正しい者がゆるがされるようにはなさらない」。私たちはイエス様にどこまでもより頼み、この方が支えてくださり与えてくださっている今日という命を生きようではありませんか。このいのちを支えてくださっているイエス様に全てを委ね。