生きるために最も安全で幸せな場所はどこにあるのだろう | とある働き人の聖書のお話

とある働き人の聖書のお話

東京で牧師をしておりました。
7年前子供が小学生に上がるまで離れていましたがぴったりの時に新しい働き(子ども関係)に招かれ、伝道させていただいています。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

子供と駐車場を歩く時は手を離さない(まあ特に小さな子供は)のは鉄則ではありますが、それは子供の行きたいところを有る意味で制限するのかもしれません。でも安全を確保できます。

子供にとっては何だよ、と思うことでも。

 

考えてみれば、私たちにとって安全で幸せな場所というのはそうやすやすとはないでしょう。

何かしらの制限がかかったり、したいようにできないこともあります。

まあ社会の構造がそうしているのかもしれませんが、

結局自分で選び取ってしまっています。

 

では、本当にでも安全で幸せな場所とは何処なのでしょう?

 

J・T・シーモンズ氏はこう語ります。

 

    

生きるために最も安全で、最も幸せな場所は神さまのみこころの中心である。

 

自分たちで安全安心、幸せな場所を造るのではない、というよりもずっとそれを守り続けることなど不可能なのはわかりますよね。いつかは崩れます。でも神様が建てあげてくださる中で、神様が私達を導き、養い、緑の牧場にふさせて下さる、平安を与えてくださるのです。

神様があなたの手を離さず守って、養って、導いて下さるのです。いのちをかけて。あなたを救うためなら御子イエス様のいのちさえ惜しまな方方が。

あなたの中心に今日、なにがありますか?誰がいますか?