心の到着を待ってみませんか? | とある働き人の聖書のお話

とある働き人の聖書のお話

東京で牧師をしておりました。
7年前子供が小学生に上がるまで離れていましたがぴったりの時に新しい働き(子ども関係)に招かれ、伝道させていただいています。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

フランスのあるルド・ドゴール空港に、一人のしっかりされた身なりの紳士が降り立ちました。自分の荷物を待合室の隅に引っ張っていくと、あの「ロダンの考える人」のような格好で、荷物の上に腰を掛けて動きません。

 

30分、1時間、紳士は動きませんでした。ロビーの従業員が心配して声を掛けました。

「もしもし、具合が悪いのでしたら、休んでいただく部屋がありますが…」

紳士は答えました。

「心配していただいて、どうもありがとう。具合が悪いのではありません。実はジェット機でここについたのですが、あまりにも早かったものですから、すっかり戸惑ってしまって。確かに私の体も荷物も、ここに着いてはいるのですが、どうも私の心がついているようには思えないのです。そこで、心が着くまで、ここで待たせてもらっているのです。もうしばらく、このままにさせてください。」

 

私たちの生活は相変わらずだ某です。忙しいことはありがたいことですが、注意も必要です。

「忙しい」とは、「心」が「亡びる」と書きます。よほど警戒しないと、多忙な生活の中で、いつしか、心が衰えていきます。時には心をなくしてしまいます。そのような状態で突っ走ると、やがて体がパンクします。神経をやられることも起こります。自分を失い、自信を喪失しがちです。すべてがむなしく、無意味に思えてしまいます。

 

人間関係にも不透明な部分が広がり、相手が見えなくなります。対応も雑になり、誤解や被害者意識ばかりが大きくなりがちです。

 

休みが必要です。断固、決断して、流れを中断し、一人にになることが絶対に大切です。ボケっと心身をやすませ、疲れを出し切ることをしなければなりません。人間は道具でもなく、機械でもありません。心を取り戻し自分に戻らなければなりません。他者との関係においても、互いに向かい合って、心のキャッチボールをすることを取り戻さなければなりません。

 

ブレーブ・パスカルはこう言いました。

 

    
「すべての人間の心の中に、神だけが満たすことのできる真空状態がある」

 

イエス様を通して現された神様のいのちと愛を、私たちが受ける時、私たちは存在の最も深いところにある疲れから解放されます。そうして、自分の心と、隣人との関係を取り戻すことができるのです。

 

ー岸義弘ー