愛されて生きている(ある親子の話) | とある働き人の聖書のお話

とある働き人の聖書のお話

東京で牧師をしておりました。
7年前子供が小学生に上がるまで離れていましたがぴったりの時に新しい働き(子ども関係)に招かれ、伝道させていただいています。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

ある牧師婦人さんと娘さんの話です。

 

その中学2年生娘さんがある日、登校拒否になりました。それは、数学・理科ができなくなったことが一つのきっかけだったそうです。数学・理科ができなくなって、それで言葉に表せない不安に襲われ、自信をなくしたのです。

 

ある日、その子が言いました。

「ママ、今日、私と一緒に寝てくれない?そして、ママ、私をしっかり抱きしめてくれない?」

「中学2年生にもなって、どうしたの。なんだか気持ち悪いわ。」

 

そうお母さんは思ったそうですが、娘の悩みに気づいていたので、まだ小さかった時のように、しっかりと一晩中、その子を抱きしめていたそうです。

 

そのことが実は、その子の立ち直りのきっかけになった、と25歳になったその娘さんが言いました。そして、それとともにお母さんとの関係が言っときちょっと離れた状態だったそうですが、再び緊密になって、それ以来ずっと今に至るまで、深い繋がりの中で、母と娘が生きているそうです。

 

良く愛された人が、やがて自分を愛する事ができるのです。十分に愛された人が、豊かに隣人を愛する事ができるのです。本当に行き詰った苦しみの中で、どうしてその子がそういう風な形で、お母さんに求めたかといえば、子供のころ、十分に抱いてもらっていたからです。散々お母さんに抱きしめられた、その安心感、平安を知っていたからです。お母さんの懐にある、心の平安をその子は知っていたのです。だから、中学2年生になって、行き詰まり、自信を失いかけ、平安で仕方なくなった時、本能的に回復の場所を知っていたのではないでしょうか。実存の深い安心と、生きる元気とが、勇気を取り戻す場所を、彼女は知っていたのです。

 

あなたも誰かの居場所になれるし、あなたにも居場所がある、帰れる場所があるのです。お母さんたちだけじゃなくても、神様が必ずそのような方と邂逅させてくださる、誰かを神様は遣わしてくださるから。何より神様自身があなたの平安、居場所となるためにあなたと邂逅、出会わせてくださる。あなたに平安と回復、勇気を与えるためにいつでも待っています。私たちはこの平安の中、↑の親子のような密な、愛に満ち溢れた中に生かされ歩もうではありませんか。