喜びと悲しみと | とある働き人の聖書のお話

とある働き人の聖書のお話

東京で牧師をしておりました。
7年前子供が小学生に上がるまで離れていましたがぴったりの時に新しい働き(子ども関係)に招かれ、伝道させていただいています。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

人には喜怒哀楽があります。

誰も悲しみを負いたい、などとは思わないでしょう。

そしてクリスマスシーズンが始まるこの頃、ある意味では喜びで溢れますね。

じゃあ本当の喜びとはなんだろう。

 

イエス様は私達にただ奇跡をして、喜ばせてハイ終わり、というような悲しいことをしたくてこられたのではありません。十字架によって、私達の罪を贖うために来られました。

私たちは罪、というと眉間にシワを寄せますが、しかし、それは神様から離れて暗闇の中にいること。それを哀しまずにいられますか。しかしその悲しみを喜びに神様は十字架を持って変えてくださるのです。私たちは十字架の前に眉間にシワを寄せるものではなく、悔い改め涙し、喜びをいただくこうではありませんか。

 

ビル・ウィルソン氏はいう。

 

    
主の十字架は、私たちに喜びと同時に悲しみをもたらせます。なぜなら、十字架は私たちに主の豊かな恵みを悟らせ、喜ばせますが、自分の罪と咎の深さをも気づかせ、悲しませるからです。主の十字架による喜びと悲しみとを覚える一日でありますように祈ります。主よ。私たちを喜ばせてください。しかし、決して私たちが私たちの涙を忘れないようにしてください。