―癒し立ち上がらせたのは…― | とある働き人の聖書のお話

とある働き人の聖書のお話

東京で牧師をしておりました。
7年前子供が小学生に上がるまで離れていましたがぴったりの時に新しい働き(子ども関係)に招かれ、伝道させていただいています。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

「さて、ペテロはあらゆる所を巡回したが、ルダに住む聖徒たちのところへも下って行った。彼はそこで、八年の間も床に着いているアイネヤという人に出会った。彼は中風であった。ペテロは彼にこう言った。『アイネヤ。イエス・キリストがあなたをいやしてくださるのです。立ち上がりなさい。そして自分で床を整えなさい。』すると彼はただちに立ち上がった。ルダとサロンに住む人々はみな、アイネヤを見て、主に立ち返った。ヨッパにタビタ(ギリシヤ語に訳せば、ドルカス)という女の弟子がいた。この女は、多くの良いわざと施しをしていた。ところが、そのころ彼女は病気になって死に、人々はその遺体を洗って、屋上の間に置いた。ルダはヨッパに近かったので、弟子たちは、ペテロがそこにいると聞いて、人をふたり彼のところへ送って、『すぐに来てください』と頼んだ。そこでペテロは立って、いっしょに出かけた。ペテロが到着すると、彼らは屋上の間に案内した。やもめたちはみな泣きながら、彼のそばに来て、ドルカスがいっしょにいたころ作ってくれた下着や上着の数々を見せるのであった。ペテロはみなの者を外に出し、ひざまずいて祈った。そしてその遺体のほうを向いて、『タビタ。起きなさい』と言った。すると彼女は目をあけ、ペテロを見て起き上がった。そこで、ペテロは手を貸して彼女を立たせた。そして聖徒たちとやもめたちとを呼んで、生きている彼女を見せた。このことがヨッパ中に知れ渡り、多くの人々が主を信じた。そして、ペテロはしばらくの間、ヨッパで、皮なめしのシモンという人の家に泊まっていた。」

使徒の働き9章32-43節

 

人の体って不思議ですよね。病気になっても時間とともに治っていく。人の構造を調べていけばいくほど本当に不思議に思います。何もしなくても心臓は動き続け、血液と共に酸素を送ってからだ中に送って…小さい頃は不思議で仕方がありませんでした。寝ている間、どうやって自分は生きているんだろう、って。結局このからだをそのように造られた神様がいて、そのように造られたわけですが。もちろんこのからだの構造のすごさもあるのですが、やっぱりこのからだを造られた神様はもっとすごいですよね。何よりこの神様が私たちを日々養ってくださっている、生かして下さっている、神様の恵みが今日も私たちを覆っているのです。あなたのためになら御子イエス様のいのちさえ惜しまない神様の愛が。私たちは今日、この神様が立ちあがらせてくださった今日を喜び、この神様から離れず歩みたいものです。神様のくださったいのちの日々を。

 

さて、↑は神の御子イエス様が私たちの罪を身代わりに背負われ十字架で罰せられ死なれ、3日目によみがえられた後、イエス様の昇天後、約束されていた新しい助け主なる聖霊様が降臨され、教会が誕生してしばらくしてのことです。サウロの迫害でクリスチャンたちへの迫害があり、あちらこちらに散らされていきましたが、サウロも復活のイエス様に出会って変えられ、また弟子たちもイエス様のくださったいのちを諦めず、むしろこの福音を届けに聖霊様に導かれ動きまわります。

 

そんなある日、ペテロはルダに住む聖徒たちのところへも下って行きます。彼はそこで、八年の間も床に着いているアイネヤという人に出会いました。アイネヤが中風だったようですが、中部というのは今のことばでいうなら脳卒中のようなものです。ご存じ、当時の医療技術では、今から2000年以上前の出来事ですから治せるものではありません。普通に考えて。すると、ペテロが「アイネヤ。イエス・キリストがあなたをいやしてくださるのです。立ち上がりなさい。そして自分で床を整えなさい」と言いますと、アイネヤはただちに立ち上がったのでした。すると彼はただちに立ち上がった、というのです。普通に考えたらあり得ない、彼は「イエス・キリストがあなたを癒して下さるのです」と言っただけです。しかし、その時アイネヤは癒されるのでした。

 

実はこれと似た場面が以前分かち合わせ頂きましたルカによる福音書の中にあったのを覚えているでしょうか。イエス様も、中風を患って起き上がれないで苦しんでいる人たちが、床のまま友人たちにイエス様のもとに連れてこられたことを。その時、イエス様は「友よ。あなたの罪は赦されました。あなたに命じる。起きなさい。寝床をたたんで、家に帰りなさい」と語られると、彼はすぐに起き上がり、寝床をたたんで神様をほめたたえて帰っていきました。

 

そう、↑のペテロによる癒しは、ペテロによるものではないのです。「イエスキリストが癒して下さる」のです。神様の力が、イエス様の十字架による癒しゆえに彼の、私たちの内に働き癒されるのです。イエス様の愛がここに注がれるからこそ癒されるのです。罪に苦しんでいた古い物から、罪から癒され、神様をほめたたえる歩みへと変えられるのです。ここまでの使徒の働きで見てきた聖霊様が彼の、私たちの内に充満し、生きるのです。ただ癒されて終わりではない、私たちを丸ごと癒したい、と。イエス様は「あなたの罪は赦された」と宣言されていましたが、そのイエス様が癒される、まさにこのイエス様が私たちの罪を取り除いてくださるために十字架にかかられ死なれた、このイエス様の打ち傷によって私たちは癒される、イエス様の裂かれたからだと流された血潮によって私たちは癒される、新しい復活の体に変えられるのです。イエス様の復活の恵みに共に与らせていただけるのです。ペテロが、私たちが優れているから何か優れたことができるのではない、このイエス様の愛が、聖霊様があなたの内に満ち溢れる時、私たちは私たちの奇跡ではない、神様の驚くべき御業を目撃するものとなるのです。

 

ペテロのではない、神様の驚くべき御業はまだ続きます。今度はヨッパでタビタという女性と出会います。彼女は良いことをたくさんしていたようです。しかし彼女は病気にかかり死んでしまいました。そこでペテロは祈り、彼女の遺体に向かって「タビタ。起きなさい」と言います。

 

実はイエス様もやはりある時一人の女性を生き返らせた時があったのですが、その時「タリタ、クミ(少女よ。あなたに言う。起きなさい)」と言いました。すると彼女はすぐに起き上がった、生き返ったのです。まさに同じですね。先程と同じ。ただここでは、「タビタ、クミ」です。イエス様は、わたしが立たせるから、少女よ、起きなさい、といったことに対して、ペテロは祈り、そして「イエス様が立ち上がらせてくださるから、タビダよ、起きなさい」といったのです。まさにこのイエス様の力は、復活の恵みは、私たちを死者のうちからよみがえらせるのです。

 

神様は今日、あなたを罪の呪いから癒し、立ち上がらせ、本物の恵みに生きてほしい、と招かれている。このイエス様の御思いは今日も止まってはいない、今日もあなたの地に働かせてくださっている。座り込んだ私たちを、世の思い煩い、罪に沈み死にゆく私たちを立ち上がらせて、この罪から癒してくださるのです。私たちはもう座り込んでいる場合ではない、イエス様が十字架から指し伸ばされた御手が今日もあなたのうちに伸ばされている。私たちも古い罪に支配された歩みから立ち上がり、今こそこのイエス様のくださる本物のいのちの内を歩もうではありませんか。友よ、あなたの罪は赦された、とイエス様は十字架上で命をもって宣言してくださった、このイエス様が和解させてくださったいのちの内を。

 

ヤコブという使徒はイエス様の救いをいただき、「信仰による祈りは、病む人を回復させます。主はその人を立たせてくださいます。また、もしその人が罪を犯していたなら、その罪は赦されます。ですから、あなたがたは、互いに罪を言い表わし、互いのために祈りなさい。いやされるためです。義人の祈りは働くと、大きな力があります」と手紙に書き送りました。イエス様の罪の赦し、十字架によって癒された、回復されたうちに働く神様の大いなる力、これが今日はたらいている、あなたは今日何を求めていますか?自分の願うところをはるかに超えたイエス様による癒された大いなる神様との命の関係に今日も歩もうではありませんか。