苦難や苦しみがある時 | とある働き人の聖書のお話

とある働き人の聖書のお話

東京で牧師をしておりました。
7年前子供が小学生に上がるまで離れていましたがぴったりの時に新しい働き(子ども関係)に招かれ、伝道させていただいています。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

私たちには様々な苦難や苦しみがあります。

何で神様はこれを放置されるの?と疑問に思う時があるかもしれません。

私も時々あります。

 

でもそれを放置される神様ではないし、私たちの悲しみや痛みだけではなく、プライドや罪、様々なものを脱がせていただき、新しい衣を神様は御子イエス様にあって私たちに着せてくださるのです。だからこそ…

 

わが魂よ、あなたのひれ伏す場所を拒んではならない。そこは、王衣をまとうための更衣室である。いにしえの偉人たちに、その繁栄の糸口はどこにあったかを問うてみよ。彼らは、『それは、かつて私がひれ伏した冷たい地にありました』と言うであろう。

 

アブラハムに問うてみよ。

彼はモリヤの山における供え物を示すであろう。

 

ヨセフに問うてみよ。

彼は牢獄を示すであろう。

 

モーセに問うてみよ。

彼はナイル川における危機を語るであろう。

 

ルツに問うてみよ。

彼女は自分の労した畑に記念碑を建ててほしいと言うであろう。

 

ダビデに問うてみよ。

その多くの歌が暗い夜の経験から生まれたことを告げるであろう。

 

ヨブに問うてみよ。

彼は神がつむじ風の中からお語りになったことを思い起こさせてくれるであろう。

 

ペテロに問うてみよ。

彼は海の上で主に従った経験を、喜んで語るであろう。

 

ヨハネに問うてみよ。

彼はパトモス島における経験を告げるであろう。

 

パウロに問うてみよ。

彼は、自分の受けたインスピレーションは、その目を打って見えなくした光のゆえであると言うであろう。

 

さらにもうひとり、「人の子」に問うてみよ。

『世を治める力をどこから得られたのですか』と。彼は答えるであろう。

『それは、わが身を伏せた冷たい地、ゲツセマネです。私はそこで王権を与えられたのです』と。

 

わが魂よ、あなたもゲツセマネの経験によって、美しい花の冠を受けることができる。あなたが避けたいと願う杯こそ、やがて天国で与えられる冠となる。孤独の時はあなたに冠を与え、悲しみの日はあなたにとって大きな喜びとなる。あなたの砂漠はあなたを歌で満たし、沈黙の森はあなたと手を取り合うであろう。危険、暗黒、敗北、死が私たちの目の前に迫ってくるとき、全能者に向かって絶望の叫びをあげるなら、光と安全、勝利といのちへの救出の冠がもたらされる! この絶望における訓練を受けることにより、私たちは、力強い救い主を知るようになる!

 

ー「人生の訓練」V・レイモンド・エドマン著ー