―傷の癒しと再建と― | とある働き人の聖書のお話

とある働き人の聖書のお話

東京で牧師をしておりました。
7年前子供が小学生に上がるまで離れていましたがぴったりの時に新しい働き(子ども関係)に招かれ、伝道させていただいています。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

「まことに主はこう仰せられる。『あなたの傷はいやしにくく、あなたの打ち傷は痛んでいる。あなたの訴えを弁護する者もなく、はれものに薬をつけて、あなたをいやす者もいない。あなたの恋人はみな、あなたを忘れ、あなたを尋ねようともしない。わたしが、敵を打つようにあなたを打ち、ひどい懲らしめをしたからだ。あなたの咎が大きく、あなたの罪が重いために。なぜ、あなたは自分の傷のために叫ぶのか。あなたの痛みは直らないのか。あなたの咎が大きく、あなたの罪が重いため、わたしはこれらの事を、あなたにしたのだ。しかし、あなたを食う者はみな、かえって食われ、あなたの敵はみな、とりことなって行き、あなたから略奪した者は、略奪され、あなたをかすめ奪った者は、わたしがみな獲物として与える。わたしがあなたの傷を直し、あなたの打ち傷をいやすからだ。―主の御告げ―あなたが、捨てられた女、だれも尋ねて来ないシオン、と呼ばれたからだ。』主はこう仰せられる。『見よ。わたしはヤコブの天幕の繁栄を元どおりにし、その住まいをあわれもう。町はその廃墟の上に建て直され、宮殿は、その定められている所に建つ。彼らの中から、感謝と、喜び笑う声がわき出る。わたしは人をふやして減らさず、彼らを尊くして、軽んじられないようにする。その子たちは昔のようになり、その会衆はわたしの前で堅く立てられる。わたしはこれを圧迫する者をみな罰する。その権力者は、彼らのうちのひとり、その支配者はその中から出る。わたしは彼を近づけ、彼はわたしに近づく。わたしに近づくためにいのちをかける者は、いったいだれなのか。―主の御告げ―あなたがたはわたしの民となり、わたしはあなたがたの神となる。』見よ。主の暴風、―憤り。―吹きつける暴風が起こり、悪者の頭上にうずを巻く。主の燃える怒りは、御心の思うところを行なって、成し遂げるまで去ることはない。終わりの日に、あなたがたはそれを悟ろう。」

エレミヤ書30章12-24節

 

病気をすると、これが完治するまでなかなか時間がかかります。本当の意味でベストコンディションにまで戻そうとするなら、根気と時間と、ドクターとの信頼関係など、本当に色々必要ですね。心の傷となるとなおのこと。下手をすれば傷つけた本人が自覚がなく(いじめなどが一番いい例かもしれませんが)、それゆえにどうにもならない戦いになることもあります。ただ神様は、あなたをだれが離れ、見捨てようともあなたが本当の意味で回復することを願い、その御手を伸ばされています。あなたの魂からあなたの全てを癒そうと。神様の新しいその恵み、愛で覆ってくださる、本当の意味で再建してくださる。御子イエス様のいのちを持ってでもあなたを取り戻そうと、回復させようとされた、そこまでして取り戻されたあなたにどれだけの愛が注がれるか。私たちは神様に頼っていいんです。神様こそあなたの希望となり、癒されるから。あるべきあなたへ。今日神様に帰ろう。

 

さて、↑はおおよそBC586年頃、イスラエル・南ユダの民が完全にバビロンに捕囚された後、ネブカデネザルがエルサレムからバビロンへ引いて行った捕囚の民、長老たちで生き残っている者たち、祭司たち、預言者たち、およびすべての民に、預言者エレミヤは、エルサレムから手紙を送ります。神様は彼らに、「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。―主の御告げ―それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ」と語られ、本物の神様を求め続けよう、神様は彼らの、あなたの声を聞き、神様の恵みを見い出させて下さる、神様の恵みが溢れる、繁栄が豊かに広がる、勝利の日が必ず来る、と語られました。今、だけではなくとこしえに神様の御手がともにあり、彼らを導く、と。だからこの神様に帰ろうと訴えてこられたわけです。

 

なお神様はエレミヤを通して「あなたの傷はいやしにくく、あなたの打ち傷は痛んでいる。あなたの訴えを弁護する者もなく、はれものに薬をつけて、あなたをいやす者もいない。あなたの恋人はみな、あなたを忘れ、あなたを尋ねようともしない。わたしが、敵を打つようにあなたを打ち、ひどい懲らしめをしたからだ。あなたの咎が大きく、あなたの罪が重いために」と語られます。↑の前で神様は、バビロン捕囚から70年後に解放される事、また後には南ユダだけではなく北イスラエルも含め、帰還し(1948年に実現)、その繁栄は回復される(本当の繁栄の回復はイエス様の救いを受け取った時)ことが約束されていました。

 

なぜ国が復興した時が繁栄ではないのか、と言いますと、繁栄というものはいつまでも続くものではありませんし、本物の繁栄はいつかは終わるものではなく、人がもたらすものではない、人がもたらすものはいつかは時代とともに終わってしまうわけです。しかし神様がそこにおられるからこそ、神様がその恵みを注がれるからこそ、その地は生きるのです。繁栄させてくださる神様がいるから、私たちは生きる。そこに住む人たちがある意味で生きていないと、本当に繁栄しているとは言えないですよね。

 

実はこれが、↑の「あなたの傷はいやしにくく、あなたの打ち傷は痛んでいる。あなたの訴えを弁護する者もなく、はれものに薬をつけて、あなたをいやす者もいない」というところにかかわってくるわけです。彼らは神様から離れ、様々な傷を受けてきていました。他国の侵略、また自分たちが頼っていた、恋い慕うほどに心を注ぎだしていた、信用していた国々に裏切られ、また偶像は何も答えず、むしろ裏切られ、子どもたちを豊穣のために火に生きたままくべ、女性を淫行を伴う宗教行為に駆り出し、結果彼らが何を得たのか、国を失いかつての繁栄を失ってしまった。

 

もちろん原因自体は神様から離れ、神様の恵みを拒否していたところにわけですが、ではどうしたら癒せるのか。私たちは癒し難い傷を負った時にどうしたらいいのか。神様は「なぜ、あなたは自分の傷のために叫ぶのか。あなたの痛みは直らないのか。あなたの咎が大きく、あなたの罪が重いため、わたしはこれらの事を、あなたにしたのだ。しかし、あなたを食う者はみな、かえって食われ、あなたの敵はみな、とりことなって行き、あなたから略奪した者は、略奪され、あなたをかすめ奪った者は、わたしがみな獲物として与える。わたしがあなたの傷を直し、あなたの打ち傷をいやすからだ。―主の御告げ―あなたが、捨てられた女、だれも尋ねて来ないシオン、と呼ばれたからだ」と仰られています。その傷の原因はそもそも神様から離れたことにあり、神様は本来多くの恵みをもってあなたを愛しておられた、それなのに神様から離れ、その恵みが奪われてしまった、略奪され、食い尽くされていった、と言われるほどに神様はその恵みを注いでおられたのです。

 

しかし神様はそれでも略奪されたまま、神様から与えられていた本来のいのちを奪われたままにされない、というのです。恋人があなたを見捨てようとも、神様はそれでも見捨てない。神様はそれでも、「わたしがあなたの傷を直し、あなたの打ち傷をいやすからだ」と仰られるのです。これだけ好き放題してきた、と並べながら、それでもわたしが、他でもない神様が、あなたの傷を治し、打ち傷を癒す、と約束されるのです。

 

本当の繁栄は、神様があなたを癒される時回復するのです。だってそうでしょう?あなたを造られたのは誰ですか?偶然ではありませんよ?神様があなたをその御手で造られたのです。高価で尊い大切な存在なのです、神様の目から見てあなたは。その造り主が一番あなたのことを知っている。あなたを今日まで導いてこられた神様が、他の誰が理解できなくとも神様はあなたの全てを知っておられる、あなたの傷も、↑で触れられているように知っておられる、あなたの父なる神様となられた神様だからこそ、あなたを癒すことができるのです。物に例えるのもあれですが、ものを修理するのはその作り手が一番熟知しているわけですから、その人なら修理が可能です。神様はただあなたを造って終わりではない、あなたに生きてほしい、そう願って神様はあのエデンの園に全てのものを備え、また語られ、また何よりご自身の霊を吹き込まれ、「生きたもの」としてくださったではありませんか。

 

一方でサタンはあなたを神様から引き離そうと、さも神様は何も与えない、しないと神様を疑わせ、引き離そうと恋人のように近づき、私を拝めばこれをするよ、あれをあたえるよ、と近づいてくる。でもそれはあなたをあるべき神様の与えてくださった姿、神様がイメージされた姿にはできません。神様が設計者、造り主だからこそ、あなたを最高のあなたにできるのです。回復させることができるのです。神様はあなたのカルテをもっている。すべてを知る神様だからこそあなたを癒すことができる。神様は壮大な計画をもっている、将来と希望を与える計画をもっている、だからこそ、神様のもとに帰ってきてほしいそう呼びかけられているのです。

 

神様は「見よ。わたしはヤコブの天幕の繁栄を元どおりにし、その住まいをあわれもう。町はその廃墟の上に建て直され、宮殿は、その定められている所に建つ。彼らの中から、感謝と、喜び笑う声がわき出る。わたしは人をふやして減らさず、彼らを尊くして、軽んじられないようにする。その子たちは昔のようになり、その会衆はわたしの前で堅く立てられる。わたしはこれを圧迫する者をみな罰する。その権力者は、彼らのうちのひとり、その支配者はその中から出る。わたしは彼を近づけ、彼はわたしに近づく。わたしに近づくためにいのちをかける者は、いったいだれなのか。―主の御告げ―あなたがたはわたしの民となり、わたしはあなたがたの神となる」と続けられます。誰が元どおりにするのか、それは「わたし=神様」です。神様が元どおりにされると約束されている、その神様に私たちはどれだけ信頼していますか?だれの手にその再建を委ねていますか?しかも誰が捨ててもあなたを捨てなかった神様があなたの内に住まわれる、その神様が感謝と、喜び笑う声がわき出させてくださるんです。

 

これは一時的にはバビロン捕囚からの解放と神殿再建などですが、それはいつかは終わる。でもいつかは終わるものではなく、神様は完全なかつての姿、罪が取り除かれた、罪人としてではなく神様の民、神様の家族としてあなたを迎えるために、御子イエス様を私たちのためにお与えになりました。一人の支配者、とここでありましたが、その支配者は好き放題するこの世の支配者ではない、あなたを愛し、愛をどこまでも注がれた、あなたのためにいのちさえ惜しまなかったイエス様なのです。イエス様はあなたの救いとなるため、あなたの思い煩いも、癒し難い傷も、何より罪も一切身代わりに背負われ、十字架に架けられ、罰せられ、死なれたのです。しかし3日目によみがえられたことによって、このイエス様の十字架の御前に悔い改め立ち返る全ての人の罪を赦し、罪人として罰して終わるのではなく、神様の子として迎え入れてくださるのです。

 

この復活のイエス様があなたの内に住まわれる時、私たちはこれだけのいのちをもって愛されたイエス様によって再建されていく、もう罪が支配するものではない、聖霊様が満ち溢れ、神様の愛が、恵みがあなたを覆い、また導かれるのです。御子イエス様のいのちによって癒されたこのいのちです。そこにどれだけの愛が注がれているのか。そこに建て上げられる神様の道は、計画はいかばかりか。今こそ私たちは神様に帰り、癒しを受けよう。そして本物の神様と共に、本物の生きたいのちの内を歩ませていただこうではありませんか。