終戦記念日によせ②あきらめない | とある働き人の聖書のお話

とある働き人の聖書のお話

東京で牧師をしておりました。
7年前子供が小学生に上がるまで離れていましたがぴったりの時に新しい働き(子ども関係)に招かれ、伝道させていただいています。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

キリスト者の関心事はこの世での生活を福音の光に照らして見ることにある。その福音によれば、人間の問題点は罪の現れである個々の出来事ではなく、むしろ罪そのものなのである。惨禍(悲惨な渦)を避ける最も直接の道は、『義に飢え渇く者は幸いです。その人たちは満ち足りるから。』という聖書の言葉を注視することである。世界の一人一人の男女が義に飢え渇くことが何であるかを知ってさえいれば戦争の危険はない。ここに真の平和への唯一の道がある。こうして私達は神の言葉を考察する代わりに、人間の思想や所感の表明に私達の時間と神の時間とをしばしば浪費しているのである。

ーマーティン・ロイドジョンズー

 

この話は2つの世界大戦を体験した牧師さんのことばになります。

当時の日本人とは違う立場かもしれません。

でも、私たちは神様の目から物事は見ないといけません。結局、私たちが神様の義、神様を追い求めなければ、本当の意味での争いはなくならない。それは、戦争だけじゃなく普段の争い(喧嘩、家庭内問題、いじめ、ハラスメントなどなどそんなレベルでも)においてもそうではないでしょうか。

 

もちろん、最後は世の終わりに最後の戦争があるので完全に戦争がなくなるのは、イエス様の再臨の後の話。でも、私たちが神様を追い求める、神様の義を、御心を求め従うところにはイエス様がそこに御国を建て上げてくださるのです。そこに争いを持ち込む余地はありません。神様がもたらす平和に人が争いを持ち込んではいけない…

 

そしてやがて全ての争いがなくなる時の前味がそこにある、と↑を読んで思いました。しょうがないよね、どうせ罪の世だから、とか諦めるのではなく、そんな中だからこそ神様の御心を求め、神様の御心を我が心とし、従う者でありたいですね。