母が召天して今日で20年 | とある働き人の聖書のお話

とある働き人の聖書のお話

東京で牧師をしておりました。
7年前子供が小学生に上がるまで離れていましたがぴったりの時に新しい働き(子ども関係)に招かれ、伝道させていただいています。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

7/19という日は私の胸を毎年苦しめます。

母が事故死した日。考えてみればもう20年になります。

一般的には命日というのでしょうが、

天の御国に召された、ということで、召天日と呼んでいます。

 

母自身も、ある人の罪の問題に苦しむ方々のために奔走し、祈り、また疲れ果てていました。

そしてそんな19年前の今日、というよりも18日、

飼い猫が車庫の上に昇っていたのですが、寒いだろうから、と家に入れようとして、

玄関ポーチから屋根と花壇の隙間に体のバランスを崩し、2m下に首から落下。

頸椎損傷で、呼吸不全、翌日召されたのでした。

 

当時の私は一人暮らしでその情報を聞いたのは母が召された後でした。

悲しくて悲しくて。その理由をいたら余計に。

しかも、たまたま神学校のカギを家に忘れたため実家に戻っていた父が、倒れた母を発見、血だらけの母を抱きしめる父をDVと疑った近所の人が、救急車と共に警察に通報、一番母の傍にいなければいけなかった時に父は取り調べ。冗談じゃない、という話でした。

それで私も母の死に目に会えなかったのですが。

 

さらには葬儀にその問題を引き起こしていた人物が現われ、

余計に父を苦しめた…父の日記にその苦悩が書き残されていた。

 

父は本当は神学校を卒業したら、母と、兄と共に北海道で開拓伝道をするはずが、それもかなわず、さらに一人で家のことを回さなければいけない疲れからか、また薬の管理をしていた母が召され、父も脳内出血で同年に倒れるということがありました。結果、半身まひ、全失語で完全に伝道の道は立たれました。まあ、倒れる直前の父のある意味で最後に聴いた言葉から私がバトンを受け継いだ形となったのですが。

 

私も、その出来事から4-5年近くその方を赦すこともできず思い悩んでいました。

ただ、赦すのに苦労しましたが、ゆるさないでいることはよけいにエネルギーを要します。

結果、もう神様にゆだねちゃえ、と委ね、5年近くたった後、ようやく許しの心が与えられました。いや、人を赦すなんて偉そうなことを言えるほど私も偉くはないのはそうなのですが。

 

受け取ったバトンもそうですが、

今ひとたび受け取ったバトンって何だろう、と最近思わされます。

伝道とかいろいろあり、主の働きにその後神学校に入学前からずっとついていましたが、

一番はイエス様のいのちなのかな、と思います。

イエス様の救いをいただいた、この命に生きよ、と。

 

母の召天から20年。

しかし変わらず神様がどんな時も共にいてくださった、今もいてくださっている。

この両親から与えられたいのちと言いますか、信仰をしっかり保ち続け天の御国に行く日まで歩み続けたい。