クリスマスといえば、プレゼント交換…なの? | とある働き人の聖書のお話

とある働き人の聖書のお話

東京で牧師をしておりました。
7年前子供が小学生に上がるまで離れていましたがぴったりの時に新しい働き(子ども関係)に招かれ、伝道させていただいています。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

子どもの頃、おそらくプレゼント交換をしたと思います、クリスマスに。

私も大学のサークルのイベントでした時などは楽しかったです。

 

ある大学ではPさんという企画があって、クリスマス期間の間にその選ばれたペアと言うか相手の人になにか何でも良いから良いことをする、という企画があったのを聴いて、

教会でも取り入れたら数年は続きました。

祈るでも良い、お菓子をあげるでも良い、

テーブルをきれいにするでも良い、ある意味では感謝をする期間とも言えますね。

 

話は変わって、

実は神様も私たちと交換してくださったのです。イエス様の命と私たちの死、罪を。これを交換するためにクリスマスにイエス様は来られたのです。そのお体を、人と同じ姿・性質に変え・交換され(罪は決して犯しませんが)、あなたの重荷を背負われ十字架にかかりに行くために。そしてあなたの死を身代りに引き受け十字架で死なれた。このうち傷によって、あなたを癒すために。これこそクリスマスの目的だったのです。

 

あなたがこのプレゼントをもらう時、あなたはイエス様の命と共に、罪の赦しをいただく、また神様の子とされます。もう罪の奴隷ではない、神様の御心が溢れんばかりに満ち溢れるあなたへと変えていただけるのです。

 

さて、変えていただいた私たちは今度は何を神様にお渡ししますか?

 

「まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。しかし、主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。」

イザヤ書53章4-6節