以前、言語学者の方から面白い話を聞いた。
同じ系統の言語で分類していくと、どうも17で止まってしまうらしい。カテゴリーにすると。
人間は猿から進化した、と主張する人もいるけど(自分の先祖は猿です!というのもむなしいですが)、
猿ののどは言葉を発せないし、なによりそうなら、1つの言語に収着するはず。
と。
なるほど、と思った。
もちろん最初は1つの言語だったんです。ただ、バベルの塔によってことばは分かれていった。
同じ言葉で悪を行おうとする、神様の恵みから離れたから。
私たちは言葉は違えども、神さまの愛は現すことができます。
聖霊様があなたの内に望まれるとき、あなたを通して神様の御業が成されるのです。
仕事、家庭、様々な場面で価値観の相違は見られるかもしれない。
しかし、もしそこに聖霊様が働かれるなら、そこは神様のご臨在する場所となり、変えられるのです。あなたが神様に立ち返り悔い改める時、そこからあなたは新しくされるのです。あなたが神様にゆだねる時、そこは神様の国となるのです。
価値、考えは違えども、あなたの祈りが、いや神様の御心がそこを変えてくださる。悪い思いではなく、神様の御心を求める者であろう、今日も。