―まさかの方法をもって勝利を治めさせてくださる― | とある働き人の聖書のお話

とある働き人の聖書のお話

東京で牧師をしておりました。
7年前子供が小学生に上がるまで離れていましたがぴったりの時に新しい働き(子ども関係)に招かれ、伝道させていただいています。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

「ギデオンはこの夢の話とその解釈を聞いたとき、主を礼拝した。そして、イスラエルの陣営に戻って言った。『立て。主はミデヤン人の陣営をあなたがたの手に下さった。』そして、彼は三百人を三隊に分け、全員の手に角笛とからつぼとを持たせ、そのつぼの中にたいまつを入れさせた。それから、彼らに言った。『私を見て、あなたがたも同じようにしなければならない。見よ。私が陣営の端に着いたら、私がするように、あなたがたもそうしなければならない。私と、私といっしょにいる者がみな、角笛を吹いたなら、あなたがたもまた、全陣営の回りで角笛を吹き鳴らし、【主のためだ。ギデオンのためだ】と言わなければならない。』ギデオンと、彼といっしょにいた百人の者が、真夜中の夜番の始まる時、陣営の端に着いた。ちょうどその時、番兵の交替をしたばかりであった。それで、彼らは角笛を吹き鳴らし、その手に持っていたつぼを打ちこわした。三隊の者が角笛を吹き鳴らして、つぼを打ち砕き、それから左手にたいまつを堅く握り、右手に吹き鳴らす角笛を堅く握って、『主の剣、ギデオンの剣だ』と叫び、それぞれ陣営の周囲の持ち場に着いたので、陣営の者はみな走り出し、大声をあげて逃げた。三百人が角笛を吹き鳴らしている間に、主は、陣営の全面にわたって、同士打ちが起こるようにされた。それで陣営はツェレラのほうのベテ・ハシタや、タバテの近くのアベル・メホラの端まで逃げた。イスラエル人はナフタリと、アシェルと、全マナセから呼び集められ、彼らはミデヤン人を追撃した。ついで、ギデオンはエフライムの山地全域に使者を送って言った。『降りて来て、ミデヤン人を攻めなさい。ベテ・バラまでの流れと、ヨルダン川を攻め取りなさい。』そこでエフライム人はみな呼び集められ、彼らはベテ・バラまでの流れと、ヨルダン川を攻め取った。また彼らはミデヤン人のふたりの首長オレブとゼエブを捕らえ、オレブをオレブの岩で、ゼエブをゼエブの酒ぶねで殺し、こうしてミデヤン人を追撃した。彼らはヨルダン川の向こう側にいたギデオンのところに、オレブとゼエブの首を持って行った。」

士師記7章15-25節

 

私たちは時に自分の手に負えない問題に直面することがあります。私もあります。自分の手、どころか、下手をすれば、どうすれば解決するのだろう、という場面に直面されることもあるでしょう。確かに自分の手ではどうにもできない問題は多々ありますが、私たちの人生を養い導かれるのは神様である、ということを私たちは忘れてはいけません。あなたが泣き叫ぶ声を無視される神様ではなく、そのあなたにこたえ、導きだしてくださるから。

 

さて、イスラエルの民が約束の地に入り、相続地を分配した後、ヨシュアの召天後、神様がこれまで彼らを導いてきてくださったことを知らず、また神様を気にもかけない、第3世代が起こります。彼らは神様から離れ、その結果敵が圧迫し、イスラエルは悔い改め、そして神様が士師を立てる、そして離れるとまた敵が圧迫する、その繰り返しとなっていました。それでも神様は彼らを見捨てず、オテニエル、エフデ、シャムガル、デボラとバラクとここまで士師を立ててくださりました。そして驚くべき勝利と共に、40年間平安の期間を与えて下さりました。

 

ところが、民はその40年の平安の期間、回復が与えられていたにもかかわらず、なお神様から離れた、そのためミデヤン人によって7年の圧迫を受けるのでした。そこで嘆き神様を求めた彼らの前に、受肉前のイエス様が来られ、士師としてたてられたギデオンを励まし、マナセ族、アシェル、ゼブルン、そしてナフタリ族を彼のもとに送り、また主ご自身が進まれる、選ばれた300人と共に戦いに進みます。その中で勝利の約束を与える神様からの夢によって励まされ、今状況的には圧倒的不利であっても立ち上がります。

 

目の前の状況は昨日も分かち合いましたが、ミデヤン人や、アマレク人や、東の人々がみな、いなごのように大ぜい、谷に伏していて、そのらくだは、海辺の砂のように多くて数えきれないほどでした。しかし神様の約束は勝利にありました。一人の人に夢をもって語り、『私は今、夢を見た。見ると、大麦のパンのかたまりが一つ、ミデヤン人の陣営にころがって来て、天幕の中にまで入り、それを打ったので、それは倒れた。ひっくり返って、天幕は倒れてしまった』という夢を見せます。

 

そう、イスラエルからしたら圧倒的不利な状況下にあって、神様が不思議な方法をもって勝利させてくださるのです。私たちは人の知恵をもって何とか問題に対処しようとしますが、神様は私たちの想像を超えた、神様のご計画の内にことをなしてくださります。

 

おそらくこの夢の内容を見た人は、「なんで大麦?」と思ったかもしれません。しかし実はこの戦いは人の手によって勝利するものではありませんでした。まさに昨日分かち合ったように神様の御手によって起こされたものなのです。今、イスラエルには300人の精鋭が残っています。それだけでも、人数差はこのミデヤン人の状況を見ても圧倒的です。しかし、300人で圧倒するわけでは実はなかったのです。

 

その時の状況について↑で、「彼は三百人を三隊に分け、全員の手に角笛とからつぼとを持たせ、そのつぼの中にたいまつを入れさせた。それから、彼らに言った。『私を見て、あなたがたも同じようにしなければならない。見よ。私が陣営の端に着いたら、私がするように、あなたがたもそうしなければならない。私と、私といっしょにいる者がみな、角笛を吹いたなら、あなたがたもまた、全陣営の回りで角笛を吹き鳴らし、【主のためだ。ギデオンのためだ】と言わなければならない。』ギデオンと、彼といっしょにいた百人の者が、真夜中の夜番の始まる時、陣営の端に着いた。ちょうどその時、番兵の交替をしたばかりであった。それで、彼らは角笛を吹き鳴らし、その手に持っていたつぼを打ちこわした。三隊の者が角笛を吹き鳴らして、つぼを打ち砕き、それから左手にたいまつを堅く握り、右手に吹き鳴らす角笛を堅く握って、『主の剣、ギデオンの剣だ』と叫び、それぞれ陣営の周囲の持ち場に着いたので、陣営の者はみな走り出し、大声をあげて逃げた。三百人が角笛を吹き鳴らしている間に、主は、陣営の全面にわたって、同士打ちが起こるようにされた。それで陣営はツェレラのほうのベテ・ハシタや、タバテの近くのアベル・メホラの端まで逃げた」とありますね。

 

そう、300人を3隊に分けましたが、まず彼らにギデオンがさせたのは戦い方の指南どころか、「全員の手に角笛とからつぼとを持たせ、そのつぼの中にたいまつを入れさせた」ことだったのです。これを普通なら疑問に思うでしょう。目の前に海の砂のように広がるミデヤン人がいて、壺?角笛?それで気づいてかえって襲い掛かられたらどうするんだ?と考えてもおかしくはないのですが、神様が夢で見せてくださったのは、人の戦う姿ではなく、大麦だった、そしてこの勝利を約束してくださった神様が共にいる、その中でこれを疑問に思う人は出てこなかったのです。これは主の戦い、ギデオンという剣をもって神様が戦われる霊の戦いなんだ、と彼らは信じ従ったのです。

 

その次にしたこともまだ戦闘ではありません。ギデオンと、ギデオンと一緒にいる者がみな、角笛を吹いたなら、他の人たちもまた、全陣営の回りで角笛を吹き鳴らし、「主のためだ。ギデオンのためだ」と言っただけなのです。ただ神様に示されたことを疑わず、実行しただけなのです。その彼らの持つ信仰の剣をもって、用い、三隊の者が角笛を吹き鳴らして、つぼを打ち砕き、それから左手にたいまつを堅く握り、右手に吹き鳴らす角笛を堅く握って、「主の剣、ギデオンの剣だ」と叫び、それぞれ陣営の周囲の持ち場に着いた、その異様な光景に海の砂ほどにいたミデヤン人も混乱するのでした。いや、神様が敵が大勢の敵が来た、と混乱するようにこの方法を用いたか。いずれにせよ、神様は三百人が角笛を吹き鳴らしている間に、陣営の全面にわたって、ミデヤン人が同士打ちが起こるようにされるのでした。

 

普通に考えたらあり得ない。そのあと、エフライム族に遣いを送ったり、追撃することによってはじめて人の手が加わりますが、初めに神様ありきなのです。自分たちがキャンバスに何か塗った後、神様、残りをどうにかしてください、は変ですよね。まず神様にゆだねる、その中で神様のご計画がなる、私たちはこんな状況を神様がどうにかできるはずがないとか、頼むのは申し訳ない、と神様を疑い自分たちでこれを攻略しようとしますが、300人まで減らしても神様は海辺の砂より多いミデヤン人に勝利を治めさせてくださったように、神様は私たちの様々な問題、戦いに驚くべき方法をもって戦ってくださる、勝利を勝ち得させてくださるのです。

 

私たちは忘れてはいけません、自分が持っているもの、いや持たせていただいているもの、あなたの周りにいる存在を。あなたには神様が共におられるのです。神様があなたを支えてくださり、神様があなたの道を切り開かれる、その道を照らし、鼓舞し、勝利へと導いてくださるのです。神様があなたと共にいる、300人どころではない、この天地万物を造られ、あなたのためなら御子イエス様の命を惜しまず十字架に身代わりにかけ、死なせるほどに愛されている神様が、あなたと共にいてくださるのです。神様は最後まであなたを見捨てないためにイエス様の命を十字架にかけ、死なせたのです。普通ならあり得ない、しかし、あなたへの愛をそうして実行されたのです。この神様に勝るものがあるでしょうか。そこまでして神様があなたの内に注がれるもの、与えるもの、周りの助け人、どれだけいるでしょうか。

 

私たちは今こそ神様に立ち返ろうではありませんか。決して消えることのない聖霊様の灯が、あなたのゆく道を照らし、人が切り開いたものではない、イエス様の命を持ってまで新しくされる、切り開かれる新しい命、道を、主に信頼し、歩ませていただこうではありませんか。