―たとえ今はうまくいっていなくとも― | とある働き人の聖書のお話

とある働き人の聖書のお話

東京で牧師をしておりました。
7年前子供が小学生に上がるまで離れていましたがぴったりの時に新しい働き(子ども関係)に招かれ、伝道させていただいています。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

「ユダ部族の諸氏族の相続地は次のとおり。ユダ部族が、エドムの国境のほうに持っていた最南端の町々は、カブツェエル、エデル、ヤグル、キナ、ディモナ、アデアダ、ケデシュ、ハツォル、イテナン、ジフ、テレム、ベアロテ、ハツォル・ハダタ、ケリヨテ・ヘツロンすなわちハツォル、アマム、シェマ、モラダ、ハツァル・ガダ、ヘシュモン、ベテ・ペレテ、ハツァル・シュアル、ベエル・シェバ、ビズヨテヤ、バアラ、イイム、エツェム、エルトラデ、ケシル、ホルマ、ツィケラグ、マデマナ、サヌサナ、レバオテ、シルヒム、アイン、リモンであり、二十九の町と、それらに属する村々の全部である。低地では、エシュタオル、ツォルア、アシュナ、ザノアハ、エン・ガニム、タプアハ、エナム、ヤルムテ、アドラム、ソコ、アゼカ、シャアライム、アディタイム、ゲデラとゲデロタイム。すなわち、十四の町と、それらに属する村々。ツェナン、ハダシャ、ミグダル・ガド、ディルアン、ミツパ、ヨクテエル、ラキシュ、ボツカテ、エグロン、カボン、ラフマス、キテリシュ、ゲデロテ、ベテ・ダゴン、ナアマ、マケダ。すなわち、十六の町と、それらに属する村々。リブナ、エテル、アシャン、エフタ、アシュナ、ネツィブ、ケイラ、アクジブ、マレシャ。すなわち、九つの町と、それらに属する村々。エクロンと、それに属する村落、すなわち、村々。エクロンから海まで、すべてアシュドデのほとりにある町々と、それらに属する村々。アシュドデと、それに属する村落、すなわち、村々。ガザと、それに属する村落、すなわち、村々。エジプト川と大海までとその沿岸。山地では、シャミル、ヤティル、ソコ、ダナ、キルヤテ・サナ、すなわちデビル、アナブ、エシュテモア、アニム、ゴシェン、ホロン、ギロ。すなわち、十一の町と、それらに属する村々。アラブ、ドマ、エシュアン、ヤニム、ベテ・タプアハ、アフェカ、フムタ、キルヤテ・アルバ、すなわちヘブロン、ツィオル。すなわち、九つの町と、それらに属する村々。マオン、カルメル、ジフ、ユタ、イズレエル、ヨクデアム、ザノアハ、カイン、ギブア、ティムナ。すなわち、十の町と、それらに属する村々。ハルフル、ベテ・ツル、ゲドル、マアラテ、ベテ・アノテ、エルテコン。すなわち、六つの町と、それらに属する村々。キルヤテ・バアルすなわちキルヤテ・エアリムと、ラバ。すなわち、二つの町と、それらに属する村々。荒野では、ベテ・ハアラバ、ミディン、セカカ、ニブシャン、塩の町、エン・ゲディ。すなわち、六つの町と、それらに属する村々である。ユダ族は、エルサレムの住民エブス人を追い払うことができなかった。それで、エブス人はユダ族とともにエルサレムに住んでいた。今日もそうである。」

ヨシュア記15章20-63節

 

物事、いつでもすぐにうまくいくとは限りませんよね。クリスチャンでも勘違いされる方がたまにいますが、棚から牡丹餅のように、自分の都合のいい時に都合の良いものが与えられるわけではありません。しかし、私たちのいのちは神様によって与えられたものなのですから、自分の思っていること以上に神様の御心がなることを切に願おうではありませんか。神様はあなたの隅から隅まで恵みで満たそうとあなたを待っておられるから。

 

さて、ヨシュアたちイスラエルの民が約束の地に入り、ある程度戦いが落ち着いた段階で、いよいよ約束の地の相続が始まります。最初はユダ族の相続から始まりました(カレブ一族も含め)その割り当て地はこれまで見てきたように、くじ、しかも神様が定めた方法で行われました。すなわち、そこには神様の御心が現わされる、ということです。

 

割り当て地についてはわかりやすいように地図を画像で残しておきます(ユダ族の相続地は画像の左下の広いところです、ざっくり言いますと)が、

 

 

それぞれ部族によってその割り当て地の差はあります。しかし、神様が与えてくださった場所なら、それが価値がないように、自分の目で見えても神様がそれを変えてくださる、ということを忘れず、いつも神様の御心が鳴り、神様のご統治・御国が広がることを祈ろうではありませんか。ここは主の地。必ず変えられていくのですから。

 

ここで地名のすべてを取りあげるのは大変なので、いくつかピックアップしますが、まずハツォル、これは11章で勝ち取った地ですが、この地での戦いはまだ続くようで、ヨシュア記の続きの士師記にも登場します。そんな中、彼らにイスラエルは苦しめられるわけですが、ヤビンというカナンを治めていた王を、たった一人の女性が針一つで討つ、とこれまでの戦況を考えてあり得ない出来事がありました。

 

神様は、いつまでこんな状態が続くのだろう、という状況の中にあっても、まさか、という方法をもって勝利を治めさせてくださるのです。私たちはこの地が、あなたの命が神様から与えられたものであることを忘れてはいけません。これまでの戦いでも、日を止めてまで戦いに勝利を治めさせてくださったり、雹を降らせて勝利を治めさせてくださった場面もありますしね。

 

次に取り上げたいのは、取りあげたいのはべエル・シェバ。ここはイスラエルにとってはとても象徴的な場所ですというのも、実はイスラエルの父祖アブラハムの妻、サラに色々あった中で追い出された奴隷のハガルが、ここで受肉前(人となって生まれてくる前)のイエス様に出会って、彼女の息子イシュマエルもまた神様の恵みを受けた(結局のところ、反発するのですが)、まさに恵みの場所であり、神様が確かにどんな状態にあろうとも神様を覚えてくださっていることが見えてきますね。

 

それだけではなく、父祖アブラハムが、神様のすばらしさを知ったアビメレクが、互いに衝突しない、盟約を結ぶと誓われた場所、神様が仮に何か問題があろうとも、そこに平和をもたらしてくださることを見ますね。それだけではなく、アブラハムが長年住みついていた場所であり、息子イサクも、同じアビメレクの子孫との対立から和解へ導かれ、井戸にあって神様に養われた、神様ご自身があふれんばかりの恵みを降り注いでくださる場所となりました。

 

それにかかわり、ミツパというところですが、ここはアブラハムの息子、イサクの息子、ヤコブが、父イサクをだまし祝福を取り、兄エサウに恨まれ追い回され、叔父のところに逃れたのですが、いよいよ家に帰る時、おじにおいかけられ、その時神様が介入され、「われわれが互いに目が届かない所にいるとき、主が私とあなたとの間の見張りをされるように」互いに誓い(領地を踏み越えない)、神様が見張ってくださっているということを知ることとなった場所でした。まあ、ここではのちの時代様々な問題が起こることとなるのですが、だからこそ、神様が守って見張ってくださっている、そのことに信頼したいものです。

 

ガザ、現在も領土問題になってはいますが、ここはカナンの土地なのですが、そのカナンですが、実はノアの息子、その子孫が築き上げた土地です。いうなれば、アブラハムもノアの子孫にあたりますから親戚部族とも言えますね。一時的にペリシテにここを占領されていましたが、神様が争いではなく平和をもたらしてくださる。私たちはガザに神様の恵みが注がれることを祈りたいのと同時に、そのように占拠されている場所、問題も神様が必ず平和に導いてくださることを信じ祈りたいものです。

 

そしてゴシェンの地。これはかつてエジプトにとらわれていた時住んでいた場所、またその前のヤコブ一族が飢饉の間避難してきた場所になります。それとは別な場所、という説もありますが、↑で「エジプト川と大海」とあることから、おそらくはそこをも神様が勝ち取らせてくださった、神様が必ずいつの日か問題から解放してくださり、神様の栄光を見せてくださる、と知りますね。かくまわれ、守られ、やがて解放してくださる、勝利へと導いてくださる、と。

 

そうすると最後に見えてくるのがエルサレム。はい、現在でも有名ですね。ここは自然要塞になっていて、なかなか勝ち取ることができず、やがてイスラエル王国が建国され、2代目の王、ダビデの時にようやく勝ち取ることができました。それほど厳しい場所を彼らは与えられていた、しかし彼らはあきらめず、神様が与えてくださった場所なら必ず神様が勝利させてくださる、とあきらめなかった。それがダビデの時代に成就したわけです。

 

ここでは紹介しきれなかった町でも様々なことがあります。私たちの人生だって、いろんな場面でいろんなことがあるでしょう。しかしそれでも、神様があなたを作られ、神様があなたを救うためなら、とあなたの痛みも悲しみも、何より罪も一切を洗い聖め、平和を、神様の命で満たすべく、これら一切を私たちの身代わりに背負われ、十字架にかかられ死なれた、それほどにあなたが死にゆくことを、何かに占領されることを我慢できなかったのです。

 

しかし3日目によみがえられたことによって、御子イエス様を信じるすべての人が滅びることなく永遠の命が与えられる、すべてが新しく変えられるのです。あなたを罪の鎖から自由にし、神様の命で満たしてくださる。私たちはこの神様に今日、愛されていることを覚え、一つ一つ、一日一日、神様にゆだね歩ませていただこうではありませんか。あなたの命は、あなたの今日は、明日は、あなたのいる場所は神様が与え、神様が共におられるのだから。