ー本物の平安に満たされてー | とある働き人の聖書のお話

とある働き人の聖書のお話

東京で牧師をしておりました。
7年前子供が小学生に上がるまで離れていましたがぴったりの時に新しい働き(子ども関係)に招かれ、伝道させていただいています。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

「その日、すなわち週の初めの日の夕方のことであった。弟子たちがいた所では、ユダヤ人を恐れて戸がしめてあったが、イエスが来られ、彼らの中に立って言われた。『平安があなたがたにあるように。』こう言ってイエスは、その手とわき腹を彼らに示された。弟子たちは、主を見て喜んだ。イエスはもう一度、彼らに言われた。『平安があなたがたにあるように。父がわたしを遣わしたように、わたしもあなたがたを遣わします。』そして、こう言われると、彼らに息を吹きかけて言われた。『聖霊を受けなさい。あなたがたがだれかの罪を赦すなら、その人の罪は赦され、あなたがたがだれかの罪をそのまま残すなら、それはそのまま残ります。』十二弟子のひとりで、デドモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたときに、彼らといっしょにいなかった。それで、ほかの弟子たちが彼に『私たちは主を見た』と言った。しかし、トマスは彼らに『私は、その手に釘の跡を見、私の指を釘のところに差し入れ、また私の手をそのわきに差し入れてみなければ、決して信じません』と言った。八日後に、弟子たちはまた室内におり、トマスも彼らといっしょにいた。戸が閉じられていたが、イエスが来て、彼らの中に立って『平安があなたがたにあるように』と言われた。それからトマスに言われた。『あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしのわきに差し入れなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい。』トマスは答えてイエスに言った。『私の主。私の神。』イエスは彼に言われた。『あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです。』この書には書かれていないが、まだほかの多くのしるしをも、イエスは弟子たちの前で行なわれた。しかし、これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるため、また、あなたがたが信じて、イエスの御名によっていのちを得るためである。」

ヨハネによる福音書20章19−31節

 

人には様々な感情がありますが、やはり平穏、平安であるのが一番いいでしょうね。しかし、自分でやせ我慢のように元気だ、元気を出そう、としてもそれは長続きはしません。平安というものは、喜びは、自分が作り出すものではなく、神様が満たしてくださるものです。神様はあなたを愛しておられるから。御子イエス様のいのちを惜しまないほどに。私たちはこの神様が満たしてくださるへいあん、どんな書物にも書ききれないほどの神様のあなたへのご計画に信頼し、歩みたいものです。

 

↑は今から約2000年ほど前に、神の御子イエス様が十字架にかけられ、陰府に降られ、3日目によみがえられた頃の出来事です。イエス様の12弟子たち(すでにイスカリオテのユダはイエス様を打ったことに後悔し、自死したので正確には、この時いなかったトマスを除いて10人)は、自分たちもローマ兵に捕まり、同じように十字架にかけられるのでは、苦しみを受けるのではないか、と恐れ、家に鍵をかけ、閉じこもっていました。

 

そんな時に復活のイエス様が突然入ってこられたのです。これにはさすがの弟子たちもびっくりしたでしょう。彼らはイエス様を捨てて逃げ、ペテロに至っては3度に渡ってイエス様を知らない、と言い、最後は呪いをもって否定したくらいですから。気まずいもいいところです。

 

しかし、イエス様が最初に声をかけられたのは、この裏切り者!でも、どやすわけでもなく、「平安があなたがたにあるように」という優しい言葉だったのです。何ということでしょう。イエス様はその後叱りつける様子も見られません。この時いなかった12弟子の一人トマスに会いに来られた時も、彼が疑っていることを知っていてなお「平安があなたがたにあるように」と仰られたのです。

 

イエス様はトマスを疑い深いトマス、というレッテルを貼ることはしませんでした。むしろ平安で満たそうとされたのです。この書には書ききれないほどの恵みで彼らを、弟子たちを、そして私たちを満たしてくださるのです。新しくしてくださるのです。イエス様は十字架の死で終わらず、陰府に降って終わらず、よみがえらされたことによって、イエス様の十字架の前に立ち返るすべての人を同じように新しくしてくださる、復活の恵みに与らせてくださるのです。罪人というレッテルは剥がれ、神様の子とされるのです。聖霊様が私たちのうちに満ち溢れさせてくださるのです。これは私達によるのではなく、イエス様のただただ命がけの救いによるのです。

 

見ずに信じられないほどのことさえ神様は、このイエス様の十字架と復活に現された愛故にあなたにも表してくださる。人生の書物があるなら、それにおさめきれないほどの神様の多いなる恵みをもってあなたを世の終わりまで導いてくださるのです。あなたはこのイエス様の愛に今日、どう応答するでしょうか。イエス様から新しくされたこの命をどう生きるでしょうか。