ー本物の指揮官はー | 子育て休職中牧師の聖書のおはなし

子育て休職中牧師の聖書のおはなし

東京で牧師をしておりましたが、子育てのため一時的に北海道に移住しました。
「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」と語られた神様からのラブレター・聖書から少しずつ分かち合わせていただきますね(*^_^*)

「あなたが敵と戦うために出て行くとき、馬や戦車や、あなたよりも多い軍勢を見ても、彼らを恐れてはならない。あなたをエジプトの地から導き上られたあなたの神、主が、あなたとともにおられる。あなたがたが戦いに臨む場合は、祭司は進み出て民に告げ、彼らに言いなさい。『聞け。イスラエルよ。あなたがたは、きょう、敵と戦おうとしている。弱気になってはならない。恐れてはならない。うろたえてはならない。彼らのことでおじけてはならない。共に行って、あなたがたのために、あなたがたの敵と戦い、勝利を得させてくださるのは、あなたがたの神、主である。』つかさたちは、民に告げて言いなさい。『新しい家を建てて、まだそれを奉献しなかった者はいないか。その者は家へ帰らなければならない。彼が戦死して、ほかの者がそれを奉献するといけないから。ぶどう畑を作って、そこからまだ収穫していない者はいないか。その者は家へ帰らなければならない。彼が戦死して、ほかの者が収穫するといけないから。女と婚約して、まだその女と結婚していない者はいないか。その者は家へ帰らなければならない。彼が戦死して、ほかの者が彼女と結婚するといけないから。』つかさたちは、さらに民に告げて言わなければならない。『恐れて弱気になっている者はいないか。その者は家に帰れ。戦友たちの心が、彼の心のようにくじけるといけないから。』つかさたちが民に告げ終わったら、将軍たちが民の指揮をとりなさい。」

申命記20章1-9節

 

先日のWBCもそうですが、指揮官や士気を上げる人の果たす役割はとても大きいものがありますね。では私たちの人生の指揮官は誰でしょう。ここのところ特に自分は自分、という行動があっちこっちで見られてきていますが。しかし、私たちを守り導かれるのは、私たちを強めてくださるのは神様であることを私たちは忘れてはいけません。神様が御子イエス様のいのちをかけてでもあなたを命を賭けてでも愛される、この愛を覚え、主に信頼し歩もうではありませんか。

 

さて、↑は約束の地を目の前にモーセが死ぬ、その前に最後に神様はモーセに、第2世代にも神様が命じられたことをことごとく語るように命じられ、今2番目の説教に5章から入っています。↑ではこれから約束の地に入っていく上で、またその先で様々な戦いがある中でどうしたらいいのか、これを神様を通してモーセは語っていきます。いくら今語られている第2世代が、これまでの巨人族との戦いに勝利してきたとはいえ、この先何があるかわからない。人生はまだ続く。そしてこの先第3世代になるとまた神様から離れ、苦しんでいくことになるわけです。それを見越して、予め神様は語られているのです。

 

神様に導かれ、モーセは「あなたが敵と戦うために出て行くとき、馬や戦車や、あなたよりも多い軍勢を見ても、彼らを恐れてはならない。あなたをエジプトの地から導き上られたあなたの神、主が、あなたとともにおられる。あなたがたが戦いに臨む場合は、祭司は進み出て民に告げ、彼らに言いなさい。『聞け。イスラエルよ。あなたがたは、きょう、敵と戦おうとしている。弱気になってはならない。恐れてはならない。うろたえてはならない。彼らのことでおじけてはならない。共に行って、あなたがたのために、あなたがたの敵と戦い、勝利を得させてくださるのは、あなたがたの神、主である。』」と語り始めます。

 

「恐れてはならない」、これが神様の訴えです。いや、でも時に怖くなることもあるでしょう。しかし、「あなたをエジプトの地から導き上られたあなたの神、主が、あなたとともにおられる」と、あの奴隷状態から多くの奇跡をもって救い出された神様、しかもその後も巨人族との戦い、また荒野での問題、様々なことがあった中でも守られてきた神様が共にいるから、と宣言されているのです。神様が。精神論で恐れてはいけない、と言っているのではない、神様が保証してくださっているのです。

 

神様が人を作られたとき、人は一人で生きていけない、とおっしゃり、アダムにエヴァを与えてくださりました。それどころか私達には神様がいる、共に歩んでくださる、何という幸いでしょう。あるいっときだけではなく、永久に導いてくださるのです。あなたは神様のものなのです。神様が、あなたとともに行く、進んでくださるのです。彼らのこの先と同じように。

 

更に「つかさたちは、民に告げて言いなさい。『新しい家を建てて、まだそれを奉献しなかった者はいないか。その者は家へ帰らなければならない。彼が戦死して、ほかの者がそれを奉献するといけないから。ぶどう畑を作って、そこからまだ収穫していない者はいないか。その者は家へ帰らなければならない。彼が戦死して、ほかの者が収穫するといけないから。女と婚約して、まだその女と結婚していない者はいないか。その者は家へ帰らなければならない。彼が戦死して、ほかの者が彼女と結婚するといけないから。』」と語られていますね。

 

わかりやすく言うなら、神様は私たちの状況をよくご存知で、配慮してくださっているということを見ることができますね。そういえば、結婚した当初、牧師から1年間奉仕を免除しても良いんだよ、言われたのですが、ここの箇所殻だったんだ、と改めて思い出しました。とはいえ奉仕は続けていたのですが。神様は私たちのことを完全にご存知だからこそ、最善へ導いてくださる、守ってくださる。私達肌から恐れる必要はない、神様に委ね従いたいものです。

 

さらに「つかさたちは、さらに民に告げて言わなければならない。『恐れて弱気になっている者はいないか。その者は家に帰れ。戦友たちの心が、彼の心のようにくじけるといけないから。』つかさたちが民に告げ終わったら、将軍たちが民の指揮をとりなさい」と語られます。実際のところ、これより40年ほど前に、約束の地に入ろうとした時に、偵察部隊に出た12人のうちの2人以外、40日の間、彼らが恐れていたという巨人族から神様が守ってくださっていたのに見関わらず、悪い報告を民に言いふらし、民の心をくじくということがありました。

 

この時も、すでに神様がその地を与えているから、と約束してくださっていたのにも関わらず、偵察隊を出して、気に入ったら行きます、というような流れになってしまっていたのです。でも、神様がともに進まれるから、神様が与えられるから、そこは素晴らしい。本当の将軍は、約束の地に入る前、主の将として人となって生まれてこられる前のイエス様が来られ、祭司が先頭に契約の箱を担ぎ、主が共に進まれ、勝利をおさめます。その箇所になったら詳しくまた見ますが、1日1週強固な城壁の周りを回り、7日目には7周回った後、ときの声をあげると城壁が崩れる、というありえない方法を持って勝利させていただいたのです。後の戦いでも太陽を沈ませず、守ってくださった、主が指揮官となりすべてをその御手をもって彼らの士気を恐れを吹き飛ばす、口だけではなく行動されるのです。

 

神様は、私たちのいのちを、いや私達自身を救うため、恐れや思い煩いに沈む私たちを立ち上がらせるため、私たちのそれらも、何より罪をも全部背負われ、十字架にかかられ、死なれたのです。そして3日目によみがえられたことによって、これらに完全に勝利されたのです。もはや私たちは何をも恐れる必要はありません。ここまで愛された復活のイエス様が、裏切られても罵られても、十字架から降りることを、救いの道を閉ざすことなく最後まで死にまで従われたイエス様が、あなたの将となり導いて下さるから。

 

「聞け。イスラエルよ。あなたがたは、きょう、敵と戦おうとしている。弱気になってはならない。恐れてはならない。うろたえてはならない。彼らのことでおじけてはならない。共に行って、あなたがたのために、あなたがたの敵と戦い、勝利を得させてくださるのは、あなたがたの神、主である」。あなたの戦いを酒が一緒に今日、戦って下さり、勝利へと導いてくださる。全ての悲しみは拭い去られ、新しくされる。イエス様の十字架の前に悔い改め立ち返るすべての人は、神様の子という最高の特権を与えられているのです。

 

今日たしかに様々な問題が私たちの周りを囲んでいますが、将たるイエス様があなたと共におられ、勝利させて下さる、と約束されている。私たちは恐れを主に委ね、平安に満たされ、神様が与えて下さった新しい命を喜ぼう。主が勝ち取らせて下さる。神様の御心が溢れ流れ、私たちはその日驚くべき神様の栄光を見させていただけるから。