ー惜しみなくあふれる恵みー | とある働き人の聖書のお話

とある働き人の聖書のお話

東京で牧師をしておりました。
7年前子供が小学生に上がるまで離れていましたがぴったりの時に新しい働き(子ども関係)に招かれ、伝道させていただいています。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

「あなたが種を蒔いて、畑から得るすべての収穫の十分の一を必ず毎年ささげなければならない。主が御名を住まわせるために選ぶ場所、あなたの神、主の前で、あなたの穀物や新しいぶどう酒や油の十分の一と、それに牛や羊の初子を食べなさい。あなたが、いつも、あなたの神、主を恐れることを学ぶために。もし、道のりがあまりに遠すぎ、持って行くことができないなら、もし、あなたの神、主が御名を置くために選ぶ場所が遠く離れているなら、あなたの神、主があなたを祝福される場合、あなたはそれを金に換え、その金を手に結びつけ、あなたの神、主の選ぶ場所に行きなさい。あなたは、そこでその金をすべてあなたの望むもの、牛、羊、ぶどう酒、強い酒、また何であれ、あなたの願うものに換えなさい。あなたの神、主の前で食べ、あなたの家族とともに喜びなさい。あなたの町囲みのうちにいるレビ人をないがしろにしてはならない。彼には、あなたのうちにあって相続地の割り当てがないからである。三年の終わりごとに、その年の収穫の十分の一を全部持ち出し、あなたの町囲みのうちに置いておかなければならない。あなたのうちにあって相続地の割り当てのないレビ人や、あなたの町囲みのうちにいる在留異国人や、みなしごや、やもめは来て、食べ、満ち足りるであろう。」

申命記14章22-29節

 

昨年は某カルト団体による高額献金問題が多く報じられましたが、もともとは偽物の神と名乗る人間に金を出さなければいけない。そもそも神様はこの天地万物を創られた方、人のお金がなければ何も成立しない、なんてことはありえない。「お金」というよりも、自身を神様に委ねる中にあって神様は豊かに油を注がれ、祝福されるのです。私たちは失うことを恐れるのではなく、神様が与えてくださる大いなる恵みに期待しようではありませんか。それは人の測りでは測りきれないほどの神様の潤沢な愛だから。

 

さて、↑は約束の地を目の前にモーセが死ぬ、その前に最後に神様はモーセに、第2世代にも神様が命じられたことをことごとく語るように命じられ、今2番目の説教に5章から入っています。この章では約束の地に入っていく上で、↑の前の箇所では神様が民を、また私達を宝の民、神様の子と宣言してくださっている事を見ました。それほどに神様は私たちを愛しているということを。更に↑では捧げ物について言及されています。

 

モーセは神様に導かれ、なお「あなたが種を蒔いて、畑から得るすべての収穫の十分の一を必ず毎年ささげなければならない。主が御名を住まわせるために選ぶ場所、あなたの神、主の前で、あなたの穀物や新しいぶどう酒や油の十分の一と、それに牛や羊の初子を食べなさい。あなたが、いつも、あなたの神、主を恐れることを学ぶために」と語ります。

 

某カルト団体で10分の○献金とか色々言われていましたが、ここで言われているのは什一献金のことなのですが、自分の収穫に合わせて10分の一を捧げるように、と。これについては誤解を解かなければいけない部分がかなりあります。まず、献金をしなければ祝福されない?そんな事はありません。貧しい人はどうなりますか?お金持ちしか祝福されないのですか?

 

イエス様はある時、「献金箱に向かってすわり、人々が献金箱へ金を投げ入れる様子を見ておられた。多くの金持ちが大金を投げ入れていた。そこへひとりの貧しいやもめが来て、レプタ銅貨を二つ投げ入れた。それは一コドラントに当たる。すると、イエスは弟子たちを呼び寄せて、こう言われた。『まことに、あなたがたに告げます。この貧しいやもめは、献金箱に投げ入れていたどの人よりもたくさん投げ入れました。みなは、あり余る中から投げ入れたのに、この女は、乏しい中から、あるだけを全部、生活費の全部を投げ入れたからです。』」という出来事がありました。

 

当時の献金は入れると音がなるようにできている入れ物に入れていたのですが、長く大きく音がなると沢山捧げたことがわかるような仕組みになっていたようで、自分を自慢するかのように捧げていた人がおおくいました。そんな人達と、貧しいやもめさんがレプタ銅貨を入れたのです。ちなみにレプタ、とありますが、これは日本円で言うなら、1円ないし5円、よくて10円くらいだそうです。イエス様が言うには全財産、と言いますがそう考えると相当貧しかった、それでも彼女は義務からではなく、↑でモーセが神様から導かれ、「あなたが、いつも、あなたの神、主を恐れることを学ぶために」と語られているように、神様を恐れていたのです。

 

この恐れる、というのは恐怖する、という意味ではありませんよ。神様に信頼する、ということです。その彼女こそ、金額は一般的に見て少なくとも、最も多く捧げたのです、とイエス様はおっしゃります。金額からしたら、それくらい捧げて何の足しになる?と言われてしまうかもしれない。しかし、金額の大小の問題ではなく、神様に委ねる中に神様が祝福される、豊かに働かれるのです。イエス様は「与えなさい。そうすれば、自分も与えられます」とも仰られています。神様に自身を委ねる時、神様の恵みが、その人のうちに、あなたの内に注がれるのです。

 

そもそも神様のところには資産が溢れんばかりにあります。ただ、以前列王記で神殿税の話(100円くらい)をしましたが、それを困っている人を支えることに用いたりされるのです、また、神様に仕えるレビ人は相続地を持たないので、彼らを↑でいう10分の1献金で支えるのです。もちろんレビ人もその中からまた10分の1を捧げるのですが。ただ、これを独占するカルト集団や、人もいるから結局貧困がでてしまうだけ。神様は祈りの中に語りかけて下さる。

 

話がそれてしまいましたが。この天地万物を創られ、また造られた後も保持し続けて下さる、養い続けて下さる神様です。私たちは神様を侮ってはいけません。マラキという預言者を通して神様は「人は神のものを盗むことができようか。ところが、あなたがたはわたしのものを盗んでいる。しかも、あなたがたは言う。『どのようにして、私たちはあなたのものを盗んだでしょうか。』それは、十分の一と奉納物によってである。あなたがたはのろいを受けている。あなたがたは、わたしのものを盗んでいる。この民全体が盗んでいる。十分の一をことごとく、宝物倉に携えて来て、わたしの家の食物とせよ。こうしてわたしをためしてみよ。―万軍の主は仰せられる―わたしがあなたがたのために、天の窓を開き、あふれるばかりの祝福をあなたがたに注ぐかどうかをためしてみよ。わたしはあなたがたのために、いなごをしかって、あなたがたの土地の産物を滅ぼさないようにし、畑のぶどうの木が不作とならないようにする。―万軍の主は仰せられる―」と語られました。

 

捧げたら、祝福される、と見えますが「ためしてみよ」、と言っても、試すまでもなく神様は溢れんばかりの天の蔵から必要を満たして下さるのです失う、というよりも、神様に「心」を10分の1どころかあなた自身を委ねる中で、何倍も、いや数字に表せないほどの恵みがあなたの内に注がれる。お金のことだけではない、知恵、力、全て、神様があなたの内に働かれるのです。イエス様が2万人もの空腹の人を5つのパンと2匹の魚で満たした時、イエス様が感謝を捧げてから配ると、それがなくなるどころか、12のかごに満たされるほどに気がついたら増えていた、しかも皆満腹していた。

 

↑にある通り、10分の1を捧げる、ということを蔑ろにしていいわけではありませんが、借金してまで、というわけではありません。彼らは別にお金を払って満腹になるほどに食べたわけではありませんよね。イエス様についていった人たち、そんなバカなと手を出さずに受け取った人たちは満たされたように、神様は、10分の1を捧げられないほど、神様に何ができる、と疑って神様に信頼する「心」を捧げない、そんな状況にせず、私達がどこにいようと私達の必要に応えて下さる。あなたの心を捧げる、その時神様はあなたの内に働かれて驚くべき恵みをもって与えて下さるのです。

 

それをまさに、↑で「あなたのうちにあって相続地の割り当てのないレビ人や、あなたの町囲みのうちにいる在留異国人や、みなしごや、やもめは来て、食べ、満ち足りるであろう」とモーセを通して神様は約束してくださっています。捧げて終わり、神様が独占するわけではなく、あらゆる人の必要に応えてくださり、失った、悲しみの中にいる人のうちにも神様は働いてくださる。「あなたの神、主が、あなたのすべての手のわざを祝福してくださるためである」と仰られているように、あなたが捧げる何か、お金だけではない、「心」、また応答の内に神様がさらにその御業をあなたの手を通して広げて下さる。あの貧困の方は?困っている人は?と言うのは簡単。しかし神様に祈る中でその祈りに答えてくださる、また誰かを遣わしてくださる、誰かを導いてその人を満たす、助ける、そういうこともあります(私も何度も見てきました)

 

今日は少し長くなってしまいましたが、神様は御子イエス様という最高の型を私達に遣わされ、それだけに終わらず、私たちの罪の身代わりに、十字架にかけて死なせたのです。しかし3日目によみがえらせてくださったことによって、この復活の恵み、永遠の命、神様の家族・子としての特権が信じる私たちの内にも与えられる、あなたの内に聖霊様が豊かに働かれ導かれ、その実を結ばせてくださる。

 

神様は惜しまずすべてを与えてくださった。私達は与えられたこの恵みを忘れてはいけません。私たちはこの与えられた新しい命をおざなりにするのではなく、神様に捧げ委ねましょう。神様があなたの内に溢れんばかりにあなたの内に働かれ、あなたを通してまた豊かに実を、御心を結ばせてくださるから、あなたのうちに、またあなたがどうして?と思う中に。