ーもう良いものは与えられているんだよ?ー | とある働き人の聖書のお話

とある働き人の聖書のお話

東京で牧師をしておりました。
7年前子供が小学生に上がるまで離れていましたがぴったりの時に新しい働き(子ども関係)に招かれ、伝道させていただいています。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

「あなたがたは、あなたがたの神、主の子どもである。死人のために自分の身に傷をつけたり、また額をそり上げたりしてはならない。あなたは、あなたの神、主の聖なる民である。主は、地の面のすべての国々の民のうちから、あなたを選んでご自分の宝の民とされた。あなたは忌みきらうべきものを、いっさい食べてはならない。あなたがたが食べることのできる獣は、牛、羊、やぎ、鹿、かもしか、のろじか、野やぎ、くじか、おおじか、野羊。および、ひづめが分かれ、完全に二つに割れているもので、反芻するものは、すべて食べることができる。反芻するもの、または、ひづめの分かれたもののうち、らくだ、野うさぎ、岩だぬきは、食べてはならない。これらは反芻するが、ひづめが分かれていない。それは、あなたがたには汚れたものである。豚もそうである。ひづめは分かれているが、反芻しないから、あなたがたには汚れたものである。その肉を食べてはならない。またその死体にも触れてはならない。すべて水の中にいるもののうち、次のものをあなたがたは食べることができる。すべて、ひれとうろこのあるものは食べることができる。ひれとうろこのないものは何も食べてはならない。それは、あなたがたには汚れたものである。すべて、きよい鳥は食べることができる。食べてならないものは、はげわし、はげたか、黒はげたか、黒とび、はやぶさ、とびの類、烏の類全部、だちょう、よたか、かもめ、たかの類、ふくろう、みみずく、白ふくろう、ペリカン、野がん、う、こうのとり、さぎの類、やつがしら、こうもり。羽があって群生するものは、すべてあなたがたには汚れたものである。羽のあるきよいものはどれも食べることができる。あなたがたは自然に死んだものを、いっさい食べてはならない。あなたの町囲みのうちにいる在留異国人にそれを与えて、彼がそれを食べるのはよい。あるいは、外国人に売りなさい。あなたは、あなたの神、主の聖なる民である。子やぎをその母の乳で煮てはならない。」

申命記14章1-21節

 

今日(日本時間の3/14/2023現在)、某A国の大手銀行が破綻した、というニュースが飛び込んできてびっくりしていますが、そこまで大きな話ではなくとも、不景気だったり、美味しい汁を吸っているのは一部と、息苦しさを感じている人もいるかもしれません。ただ、一つ言えることは、良いものは上からくる、神様はあなたを宝として思ってくださり、私達が知らないだけで、実はあなたに最善を与えてくださっている、この世ではあなたに与えることのできない最善を。何より御子イエス様の命にあって、神様のことされる特権が与えられているのです。あなたはこの特権を特権と思い、受け取りますか?

 

さて、↑は約束の地を目の前にモーセが死ぬ、その前に最後に神様はモーセに、第2世代にも神様が命じられたことをことごとく語るように命じられ、今2番目の説教に5章から入っています。この章では約束の地に入っていく上で、レビ記でも見た食べていいものと悪いものについて↑で語られています。あれを食べてはいけない、これを食べてはいけない、を超えた神様の「選び・守り」の愛、私たちに求められている応答が語られています。

 

そもそもの大前提となる↑の一番最初のところで、モーセは神様に導かれ、「あなたがたは、あなたがたの神、主の子どもである。死人のために自分の身に傷をつけたり、また額をそり上げたりしてはならない。あなたは、あなたの神、主の聖なる民である。主は、地の面のすべての国々の民のうちから、あなたを選んでご自分の宝の民とされた」と語られています。そして食べ物の規定について語られていきますが、食べ物については感染的問題もあるのが↑を見ると見えてくるかと思うのですが、レビ記でも同じような箇所を見ましたが第2世代に入っても、何か罪を重ねたから規定を増やす、ということを神様はなさりませんでした。それは神様が彼らを愛しておられるのと同時に、悪いものから守る、という思いがあってこそ。

 

神様は、彼らを「主の子ども・主の聖なる民・宝の民」と宣言されています。年齢は関係ないですよ?イエス様も子どもたちだけを招いたわけではなく、大人も招かれていますし、何より、私達を神様の家族・子として受け入れる、という意思表示がここに見えてくるのではないでしょうか。

 

ここで「死人のために自分の身に傷をつけたり、また額をそり上げたりしてはならない」と語られていますが、どうもこれはこれから入っていこうとしている約束の地の原住民(まあもともとイスラエルの民が住んでいた場所なのですが。そして前の章で見たようなカルト的集団)が、実は死人のために自分の身を傷つけたり、額をそり上げたりする習慣があり、それを真似ないように、と仰られているのです。

 

そんな事をしなければ祝福されない?そんなことはないのです。先程も申しましたように、彼らを、私たちを神様は、主の子ども・主の聖なる民・宝の民と宣言されているのですから。なにか自分が儲かるため、成功するために願掛け的なことをするのではなく、神様は良きものを私たちが気づかないだけで与えてくださっている。それを良いものと思うかどうかは結局彼ら、また私たち次第なのですが。神様は汚れた動物を挙げながら、もちろん衛生・感染症などのリスクもあるでしょうが、そこまで心配されていること、そして神様はそうした様々な問題、思い煩いから分け隔て、神様の命のパン、これによって新しくされ、聖めたいのです。

 

モーセは神様に導かれ、なお「あなたは忌みきらうべきものを、いっさい食べてはならない。あなたがたが食べることのできる獣は、牛、羊、やぎ、鹿、かもしか、のろじか、野やぎ、くじか、おおじか、野羊。および、ひづめが分かれ、完全に二つに割れているもので、反芻するものは、すべて食べることができる。反芻するもの、または、ひづめの分かれたもののうち、らくだ、野うさぎ、岩だぬきは、食べてはならない。これらは反芻するが、ひづめが分かれていない。それは、あなたがたには汚れたものである。豚もそうである。ひづめは分かれているが、反芻しないから、あなたがたには汚れたものである。その肉を食べてはならない。またその死体にも触れてはならない。すべて水の中にいるもののうち、次のものをあなたがたは食べることができる。すべて、ひれとうろこのあるものは食べることができる。ひれとうろこのないものは何も食べてはならない。それは、あなたがたには汚れたものである。すべて、きよい鳥は食べることができる。食べてならないものは、はげわし、はげたか、黒はげたか、黒とび、はやぶさ、とびの類、烏の類全部、だちょう、よたか、かもめ、たかの類、ふくろう、みみずく、白ふくろう、ペリカン、野がん、う、こうのとり、さぎの類、やつがしら、こうもり。羽があって群生するものは、すべてあなたがたには汚れたものである。羽のあるきよいものはどれも食べることができる。あなたがたは自然に死んだものを、いっさい食べてはならない」と食物の規定について触れています。

 

細かいなぜだめなのか、はレビ記で触れましたので、ここは神様は忌み嫌うものではなく、最善、死に至るものではなく、命に至るものを備えてくださっている事を覚えたいものです。命のパン、イエス様、私達の思い煩いも罪も一切を背負われ十字架にかかられ、身代わりに死なれた、しかし3日目によみがえられたことによって、この十字架で割かれた命のパン、流された血潮をいただき、私たちは本当の私達へと回復させていただけるのです。イエス様の救いを信じ受け入れるなら。

 

私たちはもう神様の忌み嫌う、というよりも世の提供する様々な思い煩いを食べる、それによって自分を作り上げるのではなく、イエス様の命にあって新しくされる、宝、神様の子共とされた喜びに生かされ歩もうではありませんか。神様は我が子にどうして忌み嫌うものを与えるでしょう。むしろイエス様の命を惜しまず与えてくださったイエス様が私たちに与えて下さる一つ一つの恵み、これに信頼し、歩もうではありませんか。これはあなたをしに導くのではなく、神様に繋がっている道なのですから。一切の思い煩いを捨て、今日、命をかけてまで愛されたイエス様と共に歩もう。その一日一日はこの世の千日にまさる恵みに満ち溢れているから。神様は子やぎを母の乳で煮るのではなく、イエス様の命にあって恵みをもって養われ続けるから、世の終わりまで。