「モーセはイスラエル人の部族の一族のかしらたちに告げて言った。『これは主が命じられたことである。人がもし、主に誓願をし、あるいは、物断ちをしようと誓いをするなら、そのことばを破ってはならない。すべて自分の口から出たとおりのことを実行しなければならない。もし女がまだ婚約していないおとめで、父の家にいて主に誓願をし、あるいは物断ちをする場合、その父が彼女の誓願、あるいは、物断ちを聞いて、その父が彼女に何も言わなければ、彼女のすべての誓願は有効となる。彼女の物断ちもすべて、有効としなければならない。もし父がそれを聞いた日に彼女にそれを禁じるなら、彼女の誓願、または、物断ちはすべて無効としなければならない。彼女の父が彼女に禁じるのであるから、主は彼女を赦される。もし彼女が、自分の誓願、あるいは、物断ちをするのに無思慮に言ったことが、まだその身にかかっているうちにとつぐ場合、夫がそれを聞き、聞いた日に彼女に何も言わなければ、彼女の誓願は有効である。彼女の物断ちも有効でなければならない。もし彼女の夫がそれを聞いた日に彼女に禁じるなら、彼は、彼女がかけている誓願や、物断ちをするのに無思慮に言ったことを破棄することになる。そして主は彼女を赦される。やもめや離婚された女の誓願で、物断ちをするものはすべて有効としなければならない。もし女が夫の家で誓願をし、あるいは、誓って物断ちをする場合、夫がそれを聞いて、彼女に何も言わず、しかも彼女に禁じないならば、彼女の誓願はすべて有効となる。彼女の物断ちもすべて有効としなければならない。もし夫が、そのことを聞いた日にそれらを破棄してしまうなら、その誓願も、物断ちも、彼女の口から出たすべてのことは無効としなければならない。彼女の夫がそれを破棄したので、主は彼女を赦される。すべての誓願も、身を戒めるための物断ちの誓いもみな、彼女の夫がそれを有効にすることができ、彼女の夫がそれを破棄することができる。もし夫が日々、その妻に全く何も言わなければ、夫は彼女のすべての誓願、あるいは、すべての物断ちを有効にする。彼がそれを聞いた日に彼女に何も言わなかったので、彼はそれを有効にしたのである。もし夫がそれを聞いて後、それを破棄してしまうなら、夫が彼女の咎を負う。』以上は主がモーセに命じられたおきてであって、夫とその妻、父と父の家にいるまだ婚約していないその娘との間に関するものである。」
民数記30章1-16節
約束事を蔑ろにするというのは、いい事ではありませんよね。信頼を失いますし、それを繰り返せば会社関係であれば契約解除もありえます。もっとシンプルに、時間を守らない、ルーズにするのも関係が良くなるとは言えません。下手をすれば関係を壊します。できないならしない、というよりも助けてもらう、その方がよっぽど良いかもしれません。神様は、御心のままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行なわせてくださります。自分が自分が、の前に神様に信頼し委ね、神様との生きた関係を歩ませていただこうではありませんか。
さて、神様は次の世代、時代が変わっても、状況がわかろうとも神様の愛は変わらない、と生贄や祭りの制定を変える事なく、同じ聖なる家族、神様の家族に招かれている御思いを伝えられました。↑はその続きになります。
今回は誓願についての箇所になります。一つは神様に対しての誓願、もう一つは女性の神様に対する誓願。といいたいところですが、男性も同じです。↑に女性女性、とやたらと書き連ねられていますが、女性だからこれを守らなければいけないあれを守らなければいけない、ではなく、パウロという1世紀に伝道していた人はその手紙に「ユダヤ人もなくギリシヤ人もなく、奴隷も自由人もなく、男子も女子もありません。なぜなら、あなたがたはみな、キリスト・イエスにあって、一つだからです」と書いてあるとおり、神様との関係において、男性も女性も差別はある意味でないのです。
それは、実は↑神様の言葉「これは主が命じられたことである。人がもし、主に誓願をし、あるいは、物断ちをしようと誓いをするなら、そのことばを破ってはならない。すべて自分の口から出たとおりのことを実行しなければならない」とあるように、男性だったら誓いを破って良いわけではない、ということがよくわかりますね。
むしろ、これは「主(神様)」に誓願を立てている、ということを私たちは忘れてはいけません。神様と何の誓願を立てているのか、神様があなたにどう答えてくださるのか。果たさなければなりませんが、同時に本当に神様と繋がっているなら、神様があなたのうちに働かせてことを行わせて下さるのですから、ある時は従う・誓願をする、ではなく、神様の御心がなることを祈り、助けてください、従います、と祈りたいものですね。
話を進め、↑の女性の誓いについてですが、婚約した関係においては「もし女がまだ婚約していないおとめで、父の家にいて主に誓願をし、あるいは物断ちをする場合、その父が彼女の誓願、あるいは、物断ちを聞いて、その父が彼女に何も言わなければ、彼女のすべての誓願は有効となる。彼女の物断ちもすべて、有効としなければならない。もし父がそれを聞いた日に彼女にそれを禁じるなら、彼女の誓願、または、物断ちはすべて無効としなければならない。彼女の父が彼女に禁じるのであるから、主は彼女を赦される」と教えられています。
また、既婚の場合は、「もし彼女が、自分の誓願、あるいは、物断ち(断食)をするのに無思慮に言ったことが、まだその身にかかっているうちにとつぐ場合、夫がそれを聞き、聞いた日に彼女に何も言わなければ、彼女の誓願は有効である。彼女の物断ちも有効でなければならない。もし彼女の夫がそれを聞いた日に彼女に禁じるなら、彼は、彼女がかけている誓願や、物断ちをするのに無思慮に言ったことを破棄することになる。そして主は彼女を赦される」と、またやもめや離婚された女性の誓願については、「物断ちをするものはすべて有効としなければならない」と教えられています。またその女性の誓願を有効にするのは夫になることが語られています。
ざっと見ましたが、有効・無効という言葉が目立ちます。そもそもこれを語られたのは神様です。つまり、本質的に有効としてくださるのは神様、その男性にしても女性にしても誓願を立てたことに有効・応えてくださるのは、他でもない、父なる神様なのです。
これから先の旅路の前にこれを神様は語られ、神様は必ず、あなたの神様への応答、行動に応えて下さる、助けてくださることが見えますね。「有効と」しなければならない、本来の神様との関係において神様が応え、導いてくださるのです。だからこそ、無効とも言うべきおかしな誓いではなく、神様は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行なわせてくださりますのですから、私たちは神様にもっともっと信頼し、神様の栄光・素晴らしさが現されることを切に願おうではありませんか。
彼らのこの先の旅路、また私達の歩み、様々なことがあります。しかし、神様は御子イエス様を私達の罪の身代りに十字架ににかけ、死なせたことによって、私たちが本来神様とあるべき関係を守る、それを破り離れていった罪の罰をその身に受けてくださったのです。神様と私達との関係を有効な、いの地あるものとするために。イエス様の命を断食・もといたたれた。しかし3日目によみがえられたことによって、神様の御前に立ち返る、悔い改めるとき、私たちは神様のことされるのです。ここに果たされる神様の私たちへの誓いは、恵みは、如何程ばかりか。
このイエス様の命にあって結ばれ有効とされた関係・誓いに私たちは生かされるのです。私たちは神様のこの誓いを今一度覚え、感謝し、もう神様から離れることなく、従わせていただこうではありませんか。私達はイエス様の花嫁として迎え入れられる、神様はまだ見ぬ未来までイエス様の命をもってまで誓いを果たされる、神様があなたのうちに働かれて助けてくださるのだから、私達はこの絶大なる愛、誓いで結ばれた、神様ご自身が豊かに働かれる命の関係から離れることなく、歩ませていただこうではありませんか。誓いは一方向では成立しません。あなたが神様に従う中に御心のままに神様の最善が現されるから私達も信頼し生かされ歩もうではありませんか。神様は遅らせる事なく、イエス様にあって結ばれた恵みを果たし、注がれるのだから。