ー1人も、1つも無駄にされないー | とある働き人の聖書のお話

とある働き人の聖書のお話

東京で牧師をしておりました。
7年前子供が小学生に上がるまで離れていましたがぴったりの時に新しい働き(子ども関係)に招かれ、伝道させていただいています。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

「祭壇に油がそそがれる日に、族長たちは祭壇奉献のためのささげ物をささげた。族長たちが自分たちのささげ物を祭壇の前にささげたとき、主はモーセに言われた。『族長たちは一日にひとりずつの割りで、祭壇奉献のための彼らのささげ物をささげなければならない。』第一日にささげ物をささげたのは、ユダ部族のアミナダブの子ナフションであった。そのささげ物は、銀の皿一つ、その重さは百三十シェケル。銀の鉢一つ、これは七十シェケルで、聖所のシェケルによる。この二つには穀物のささげ物として、油を混ぜた小麦粉がいっぱい入れてあった。また香を満たした十シェケルの金のひしゃく一つ。全焼のいけにえとして若い雄牛一頭、雄羊一頭、一歳の雄の子羊一頭。罪のためのいけにえとして雄やぎ一頭。和解のいけにえとして雄牛二頭、雄羊五頭、雄やぎ五頭、一歳の雄の子羊五頭。これがアミナダブの子ナフションのささげ物であった。二日目にはイッサカルの族長、ツアルの子ネタヌエルがささげた。彼はささげ物をした。銀の皿一つ、その重さは百三十シェケル。銀の鉢一つ、これは七十シェケルで、聖所のシェケルによる。この二つには穀物のささげ物として、油を混ぜた小麦粉がいっぱい入れてあった。また香を満たした十シェケルの金のひしゃく一つ。全焼のいけにえとして若い雄牛一頭、雄羊一頭、一歳の雄の子羊一頭。罪のためのいけにえとして雄やぎ一頭。和解のいけにえとして雄牛二頭、雄羊五頭、雄やぎ五頭、一歳の雄の子羊五頭。これがツアルの子ネタヌエルのささげ物であった。三日目にはゼブルン族の族長、ヘロンの子エリアブであった。そのささげ物は、銀の皿一つ、その重さは百三十シェケル。銀の鉢一つ、これは七十シェケルで、聖所のシェケルによる。この二つには穀物のささげ物として、油を混ぜた小麦粉がいっぱい入れてあった。また香を満たした十シェケルの金のひしゃく一つ。全焼のいけにえとして若い雄牛一頭、雄羊一頭、一歳の雄の子羊一頭。罪のためのいけにえとして雄やぎ一頭。和解のいけにえとして雄牛二頭、雄羊五頭、雄やぎ五頭、一歳の雄の子羊五頭。これがヘロンの子エリアブのささげ物であった。四日目にはルベン族の族長、シェデウルの子エリツルであった。そのささげ物は、銀の皿一つ、その重さは百三十シェケル。銀の鉢一つ、これは七十シェケルで、聖所のシェケルによる。この二つには穀物のささげ物として、油を混ぜた小麦粉がいっぱい入れてあった。また香を満たした十シェケルの金のひしゃく一つ。全焼のいけにえとして若い雄牛一頭、雄羊一頭、一歳の雄の子羊一頭。罪のためのいけにえとして雄やぎ一頭。和解のいけにえとして雄牛二頭、雄羊五頭、雄やぎ五頭、一歳の雄の子羊五頭。これがシェデウルの子エリツルのささげ物であった。五日目にはシメオン族の族長、ツリシャダイの子シェルミエルであった。そのささげ物は、銀の皿一つ、その重さは百三十シェケル。銀の鉢一つ、これは七十シェケルで、聖所のシェケルによる。この二つには穀物のささげ物として、油を混ぜた小麦粉がいっぱい入れてあった。また香を満たした十シェケルの金のひしゃく一つ。全焼のいけにえとして若い雄牛一頭、雄羊一頭、一歳の雄の子羊一頭。罪のためのいけにえとして雄やぎ一頭。和解のいけにえとして雄牛二頭、雄羊五頭、雄やぎ五頭、一歳の雄の子羊五頭。これがツリシャダイの子シェルミエルのささげ物であった。六日目にはガド族の族長、デウエルの子エルヤサフであった。そのささげ物は、銀の皿一つ、その重さは百三十シェケル。銀の鉢一つ、これは七十シェケルで、聖所のシェケルによる。この二つには穀物のささげ物として、油を混ぜた小麦粉がいっぱい入れてあった。また香を満たした十シェケルの金のひしゃく一つ。全焼のいけにえとして若い雄牛一頭、雄羊一頭、一歳の雄の子羊一頭。罪のためのいけにえとして雄やぎ一頭。和解のいけにえとして雄牛二頭、雄羊五頭、雄やぎ五頭、一歳の雄の子羊五頭。これがデウエルの子エルヤサフのささげ物であった。七日目にはエフライム族の族長、アミフデの子エリシャマであった。そのささげ物は、銀の皿一つ、その重さは百三十シェケル。銀の鉢一つ、これは七十シェケルで、聖所のシェケルによる。この二つには穀物のささげ物として、油を混ぜた小麦粉がいっぱい入れてあった。また香を満たした十シェケルの金のひしゃく一つ。全焼のいけにえとして若い雄牛一頭、雄羊一頭、一歳の雄の子羊一頭。罪のためのいけにえとして雄やぎ一頭。和解のいけにえとして雄牛二頭、雄羊五頭、雄やぎ五頭、一歳の雄の子羊五頭。これがアミフデの子エリシャマのささげ物であった。八日目にはマナセ族の族長、ペダツルの子ガムリエルであった。そのささげ物は、銀の皿一つ、その重さは百三十シェケル。銀の鉢一つ、これは七十シェケルで、聖所のシェケルによる。この二つには穀物のささげ物として、油を混ぜた小麦粉がいっぱい入れてあった。また香を満たした十シェケルの金のひしゃく一つ。全焼のいけにえとして若い雄牛一頭、雄羊一頭、一歳の雄の子羊一頭。罪のためのいけにえとして雄やぎ一頭。和解のいけにえとして雄牛二頭、雄羊五頭、雄やぎ五頭、一歳の雄の子羊五頭。これがペダツルの子ガムリエルのささげ物であった。九日目にはベニヤミン族の族長、ギデオニの子アビダンであった。そのささげ物は、銀の皿一つ、その重さは百三十シェケル。銀の鉢一つ、これは七十シェケルで、聖所のシェケルによる。この二つには穀物のささげ物として、油を混ぜた小麦粉がいっぱい入れてあった。また香を満たした十シェケルの金のひしゃく一つ。全焼のいけにえとして若い雄牛一頭、雄羊一頭、一歳の雄の子羊一頭。罪のためのいけにえとして雄やぎ一頭。和解のいけにえとして雄牛二頭、雄羊五頭、雄やぎ五頭、一歳の雄の子羊五頭。これがギデオニの子アビダンのささげ物であった。十日目にはダン族の族長、アミシャダイの子アヒエゼルであった。そのささげ物は、銀の皿一つ、その重さは百三十シェケル。銀の鉢一つ、これは七十シェケルで、聖所のシェケルによる。この二つには穀物のささげ物として、油を混ぜた小麦粉がいっぱい入れてあった。また香を満たした十シェケルの金のひしゃく一つ。全焼のいけにえとして若い雄牛一頭、雄羊一頭、一歳の雄の子羊一頭。罪のためのいけにえとして雄やぎ一頭。和解のいけにえとして雄牛二頭、雄羊五頭、雄やぎ五頭、一歳の雄の子羊五頭。これがアミシャダイの子アヒエゼルのささげ物であった。十一日目にはアシェル族の族長、オクランの子パグイエルであった。そのささげ物は、銀の皿一つ、その重さは百三十シェケル。銀の鉢一つ、これは七十シェケルで、聖所のシェケルによる。この二つには穀物のささげ物として、油を混ぜた小麦粉がいっぱい入れてあった。また香を満たした十シェケルの金のひしゃく一つ。全焼のいけにえとして若い雄牛一頭、雄羊一頭、一歳の雄の子羊一頭。罪のためのいけにえとして雄やぎ一頭。和解のいけにえとして雄牛二頭、雄羊五頭、雄やぎ五頭、一歳の雄の子羊五頭。これがオクランの子パグイエルのささげ物であった。十二日目にはナフタリ族の族長、エナンの子アヒラであった。そのささげ物は、銀の皿一つ、その重さは百三十シェケル。銀の鉢一つ、これは七十シェケルで、聖所のシェケルによる。この二つには穀物のささげ物として、油を混ぜた小麦粉がいっぱい入れてあった。また香を満たした十シェケルの金のひしゃく一つ。全焼のいけにえとして若い雄牛一頭、雄羊一頭、一歳の雄の子羊一頭。罪のためのいけにえとして雄やぎ一頭。和解のいけにえとして雄牛二頭、雄羊五頭、雄やぎ五頭、一歳の雄の子羊五頭。これがエナンの子アヒラのささげ物であった。以上が祭壇に油がそそがれる日の、イスラエルの族長たちからの祭壇奉献のささげ物であった。すなわち銀の皿十二、銀の鉢十二、金のひしゃく十二。銀の皿はそれぞれ百三十シェケル、鉢はそれぞれ七十シェケル。これらの器の銀は、合わせて、聖所のシェケルで二千四百シェケル。香を満たした十二の金のひしゃくは、聖所のシェケルでそれぞれ十シェケル。ひしゃくの金は、合わせて百二十シェケル。全焼のいけにえとして家畜は合わせて、雄牛十二頭、雄羊十二頭、一歳の雄の子羊十二頭、それにそれらにつく穀物のささげ物。また罪のためのいけにえとして雄やぎ十二頭。和解のいけにえとして家畜は合わせて、雄牛二十四頭、雄羊六十頭、雄やぎ六十頭、一歳の雄の子羊六十頭。これが祭壇に油がそそがれて後の祭壇奉献のためのささげ物であった。モーセは、主と語るために会見の天幕に入ると、あかしの箱の上にある『贖いのふた』の二つのケルビムの間から、彼に語られる御声を聞いた。主は彼に語られた。」

民数記7章10−89節

 

聖書の中でいちばん長い章といえば詩篇119篇(176節あります)、2番めがこの民数記7章(89節あります)になるんですね。ちなみに一番短い節は「次男も、」という節。神様は一点一画も律法から落とさない、と言いますが、決して私たちの思いを、見過ごせない。だからこそ神様はご自身の身元に、愛の中に招かれる。私たちはこの愛にどう応えるでしょうか。

 

さて、↑は昨日の出発の準備に続けて、各部族の捧げ物と、配列についてになります。今日の箇所、本当は途中で分けることも考えたのですが、分けてはいけない深いメッセージがここに込められているのです。というのも、さすが民数記、「数」と言うだけあって、数えるのを途中で彼らやめていない。一つ一つの部族を大事にされていることが見えてきますね。

 

最後にまとめて捧げ物をそれぞれ分類して、総数をまとめるのではなく、1部族ずつ、それぞれ記しています。神様はカインのときのように捧げる人の心を見ていますから、たくさん捧げるかどうかは別なのです。1日1日、あの部族はあれだけ捧げたから私たちはこれだけ捧げればいいや、とかもっと捧げないと、と追われるように捧げるのではなく、喜んで捧げるものから、出エジプト記でも見ましたが受け取りました。そして、一つ一つ数え上げられていたのです。あの部族は小さい部族だし、とか役に立たないから、とかそういう考え方ではなく。

 

ちなみに、↑がものすごく長いので捧げられた種類と数の総数を抽出すると、銀の皿が各部族1枚ずつ捧げられ12枚、銀の鉢もそれぞれ1つずつ捧げられ12。金の柄杓は各部族1つずつで12。全焼の生贄として若い雄牛を各部族1頭・計12頭、お羊も各部族1頭・計12頭、1歳の雄の子羊も各部族1頭・計12頭。罪のための生贄として、お山羊を各部族1頭・計12頭、和解のための生贄として、各部族雄牛2頭・計24頭、雄羊各部族5頭・計60頭、お山羊各部族5頭、計60頭、1歳の雄の子羊各部族5頭計60頭になります。名前までしっかり記録しています。

 

これを神様は一番最後にもありますが、1つ1つみて、受け入れられた。各部族全部同数ならまとめて、ではなく、私たちの捧げる時間、祈り、思い、一つ一つを神様は見ておられるのです。神様は、その上で語ってくださるのです。きっと一日一日、捧げに来る、つまり神様を求め、神様の、昨日見たように、油注がれ、御霊様が豊かに働かれていく、命ある部族になっていくことを何より願い、近づく彼らを喜んだのではないでしょうか。ある日だけ私達に関心を示すのではなく、毎日毎日、いつも私達に心を、愛を、命を注いでくださっているのではないでしょうか。

 

神様の心に、天にあなたの名前が刻まれ、覚えられる、何という恵みでしょう。大きい部族も小さい部族も、関係ない。あなたがどんな人であろうと、神様に立ち返ることを神様は喜んでくださるのです。大勢の中のひとりではない、一日一日、一人一人。

 

イエス様は「自分の十字架を負ってわたしについて来ない者は、わたしにふさわしい者ではありません。自分のいのちを自分のものとした者はそれを失い、わたしのために自分のいのちを失った者は、それを自分のものとします。あなたがたを受け入れる者は、わたしを受け入れるのです。また、わたしを受け入れる者は、わたしを遣わした方を受け入れるのです。預言者を預言者だというので受け入れる者は、預言者の受ける報いを受けます。また、義人を義人だということで受け入れる者は、義人の受ける報いを受けます。わたしの弟子だというので、この小さい者たちのひとりに、水一杯でも飲ませるなら、まことに、あなたがたに告げます。その人は決して報いに漏れることはありません」と仰られましたね。

 

罪あるものであっても、イエス様こそ救い主なんだ、全てなんだ、とついてくる、求めてくる人をイエス様は喜んで受け入れ、命を与えてくださる。なにより、この小さい者にと言うくらいですから、たとえあなたが周りから小さいものと見られても、イエス様はあなたから目を話したりはしないのです。むしろそんなあなたのために、命を与えるため、あなたを神様の家族・子として受け入れるため、御子イエス様は私たちの罪も一切背負われ十字架にかかられ、死なれたのです。しかし3日目によみがえられたことによって、あなたは神様の子とされる。

 

私たちの捧げられるものなど世の中からしたらちっぽけに見えても、ただ神様を求めるその心を捧げる、委ねるとき、神様は小さいどころではない、神様の特権、数には数え切れないほどの恵みを注いでくださるのです。あなたの地境、いのちを大きく広げてくださる。私たちは今こそ、神様に立ち返り、この命、恵みの中、歩ませていただこうではありませんか。そこに待っている神様、御子イエス様の命さえ惜しまない神様が用意されている最高の恵みに期待して。