スウェーデンでの話(心の交換) | とある働き人の聖書のお話

とある働き人の聖書のお話

東京で牧師をしておりました。
7年前子供が小学生に上がるまで離れていましたがぴったりの時に新しい働き(子ども関係)に招かれ、伝道させていただいています。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

スウェーデンの沿岸部にある地方のルーテル教会でのことでした。5人ほどの信徒の方が集まって、賛美歌を歌い、お祈りし、聖餐に預かっていました。スティーブンさんも祭壇に進むと、パンとぶどう酒を受け取って自分の席に戻りました。

 

牧師が会衆に背を向けてパンとぶどう酒を片づけ始めたとき、また、ふたりの信徒がやってきました。中年の女性が、母親を乗せていた車いすを押しています。そのお母さんを見て、スティーブンは、その外見にずいぶんな印象を受けたそうです。

 

聖餐台の二人の女性のことは、牧師以外誰も知りませんでした。牧師は彼女たちが来ていることにようやく気付くと、パンとぶどう酒を戻して、二人に授けました。それから少し間をおくと、年老いた母親の目をまっすぐに見つめ、いつものように祝福を与えました。「我らの主イエス・キリストの肉と血潮を、あなたは今、受けました。あなたの魂が永遠のいのちを保たれますように。」

 

スティーブンは皮肉な思いに捕らわれます。母親は体のバランスを取ったり、頭をまっすぐにすることもできないほど年老いている。彼女は曲がった身体と弱った骨以外に花にも持ってこられなかった。こうした魂をも、神は大切にしてくださるのだろと誰が信じるだろうか。

 

そう彼が心の中で自問したとき、いきなり教会の鐘が鳴り出しました。荘厳な鐘の緒炉がれは移動に響きわたりました。あたかも、神様ご自身が宣言しておられるかのように。「わたしは弱いものを招き、衰えたものを守り、疲れたものに休息を与える。彼らを、私の元にこさせなさい」。

 

そのとき彼は心砕かれ、「この心を何とかしていただけますか?」と訪ねたそうです。その彼に主は、うなずきほほえんで答えられたそうです。「では、私の心と交換しよう」と。

 

※神様はご自身のもとにいつでも招かれる。それは弱さを抱える人だけじゃない。自分は強いと思っている人でも、偉いと思っている人でも。本来あるべき姿に回復させてくださる。弱いものも強いといえる、貧しいものも豊かだと言える、そんな神様の愛は私たちが想像する以上に深い。イエス様の命をもってまで交換された新しい命、本当の平安は、ここから始まる。私たちは救われたから、強いから、と言い訳を付けて頑張る必要はない。イエス様に委ね、ともに歩ませていただこうではありませんか。